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村上 密 Blog

次の手

カルトの関する記事が少ないのではないか、と思われる方がおられると思う。自分でも少ないと思っている。カルトの相談より、カルト化した教会の中で起きた問題の相談が割合では多くなってきている。カルトは訴訟をある程度想定して行動しているが、カルト化した教会は訴訟を想定していないことが多い。それで、訴訟をしないだろうと思っているために対応を遅らせ、結果的に時効にもっていくケースがある。対応が遅れたら訴訟を起こす意思をあらかじめ伝えていると対応することもある。カルト化した教会では、訴訟を聖書的ではないと教えているため、被害を受けたクリスチャンが訴訟にもっていく道をあらかじめ閉ざしている。教会を出た後ですら、訴訟を避けようとするのは、聖書的であろうと思っているからである。裁判に関することは1コリント人への手紙に書いてあるが、訴訟にすぐ持っていくのではなく、なぜ教会で解決できないのかと叱責しているところであって、裁判を禁じているわけではない。元々、ユダヤ教内でも裁判が行われている。ユダヤ教から生まれた初代のキリスト教会の中でも、罪の問題をどのように扱ったらいいかマタイ18章に書いてある。今で言ったら自浄作用である。カルト化した教会は自浄作用などない。法を見下しているからである。法の裁きを受けても自分は正しいと思うのがカルト化した教会の指導者である。そのような人物が自教会内で最高決定権を持っているのだから、不正な裁判官の下でその不正な裁判官を非難するようなものである。不利な状況で闘うのではなく、まだ第三者機関である裁判所に訴える方がよい。話し合いで解決すると思って取り組む場合、解決できなかったら何もしないのか。話し合いに誠実に応じて非を認め、謝罪と償いをするようなケースはまれである。裁判に最後は訴えるぞ、という思いをしっかり持っていれば、話し合いに失望することなく、次の段階に移って決着をつけるだけと割り切ることができる。大切なのはいくつか対策をもって取り組むことである。
by maranatha | 2020-06-26 22:21 | 裁判
宗教問題

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