教会活動中心の大きな教会で伝道者・牧師として働き、心身を壊してしまうケースがある。これは教会成長と弟子訓練を取り入れた教会でよく起きている。このような教会では自由と時間と体力が奪われている。徹底した従順が要求される。個人の自由意志が阻害されている。精神力が奪われる。休みなく奉仕が次々とある。体力が奪われていく。このような環境では、牧師に言われたことをやっていれば、よい献身者で通る。牧師が語る説教が絶対であるため、じっくり本から学ぶことができない。よって、牧師が取り入れる新しい教えが正しいか間違っているかを検討しようともしない。大教会に成長させた牧師を教会全員が尊敬するように仕向けられているので、反対できない。意見も言い辛い。教会の役員会は牧師の言いなり。教会総会で反対する人はいない。教会の財産目録は作られていないケースがよくある。役員会議事録を閲覧請求できるとしても閲覧する人はいないだろう。役員会は牧師の事後報告を聞かされ、追認する機関である。このような教会が大教会に多いが、大きいことが祝福されていると思い込んでいる教会員は、牧師の説教をありがたがって聞いている。献身者は疲れが礼拝時にどっと押し寄せ、睡魔と戦う時間となる。これでは悪魔の戦いではなく睡魔との戦いである。このようなことを書く私は、彼らの仮想敵ではなく、本物の敵扱いとなる。