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村上 密 Blog

校長

聖書学校の校長を思い出したら、中学の時の校長を思い出した。この校長は剣道部の監督もしていた。私は部員だった。監督は文武両道をきわめて厳格に実行した。大半の部員は成績が良かった。部活動で成績が落ちるようだったら部活をやめて勉強せい、と叱った。私がキャプテンをしていたころは、私の成績が悪いと、校長室に呼びつけられて叱られた。そればかりではなく、部員の成績が落ちると、私が校長室に呼び出されて、お前はどのように指導しているのだ。成績も剣道もしっかりするように指導せい、と叱られた。職員室の中を通って校長室に行くので、また村上が呼ばれとるばい、と見られることになった。だいたい、このような日の道場では、校長が、どしっと構えてかかってこいと竹刀を構え、受け留めてははじき返し、私は何度も板張りに背から転がる羽目になる。こい、もういっちょうこい、と大声で、私は歯を食いしばってかかっていった。厳しい校長だった。しかし、一番思いで深い校長だった。私は期待されていることを感じていた。だから、くじけず勉強にも部活にも取り組んだ。卒業式で、特別にほめられた。この学年は問題を起さないで学年だった。生徒会長はよく取り組んでくれた。私は剣道のキャプテンと生徒会長をしていた。文武両道、いやというほど叩き込まれた。私は校長の精神を受け継いで学業にも部活動にも取り組んだ。そんな中で、中学3年生の夏、中体連を終えて体育館で整列しているとき、私は卒倒した。暑さと疲れと蓄膿が悪化してだった。夏、秋と部活を終えてから市内まで耳鼻咽喉科に通った。手術を2回した。勉強の時間が削られた。その結果、希望する高校に行けなかった。そこでミッションスクールの高校に行くことになった。それがキリスト教に触れる機会となった。もし、この出来事がなければ今の私はないと思うと、神の計画が進んでいたのだと思う。私が望むようにではなく、神が望まれるように、ことは進んでいく。その時はわからない。悔しい、悲しい、なんでだ。時がたって、あ~、あのとき、神の手が動いていた、とはっきり言える。失敗と挫折、しかし、周囲に良い人々を置いて、立ち直るように配慮してくださる神がおられる。
by maranatha | 2020-08-30 21:23 | 故郷
宗教問題