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村上 密 Blog

前提

ルカの福音書6章を開いてみよう。13節には、イエスが12弟子を選ばれたことが書いてある。これからイエスは弟子たちを福音宣教の為に遣わされる。これは福音を語り実践する者への心得である。イエスは弟子たちに、福音を拒み、侮辱する人々に対してどのように対応するかを話された。20節には、「イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「~とき」を心にとめて読んでみよう。「人々があなたがたを憎むとき、人の子のゆえに排除し、ののしり、あなたがたの名を悪しざまにけなすとき」(22)そんなときは哀しいはずだが、イエスは「あなたがたは幸いです」(22)と語られた。「人々がみな、あなたがたをほめるとき」(26)普通ならうれしいはずだ。しかし、イエスは「あなたがたは哀れです」(26)と語られた。前者が哀れで後者が幸いの間違いではと思われるがそうではない。前後関係をしっかり読めばイエスの発言の意味は弟子たちにはわかる。

次にイエスは「~なさい」「~いけません」を繰り返し語られた。
「これを聞いているあなたがたに、私は言います。
あなたがたの敵を愛しなさい。
あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。
あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。
あなたがたを侮辱する者たちのために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬も向けなさい。
あなたの上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。
求める者には、誰にでも与えなさい。
あなたのものを奪い取る者から、取り戻してはいけません。」(27~30)

あなたがたを憎む者たちも呪う者たちも侮辱する者たちも頬を打つ者も奪い取る者もみな「敵」に当てはまるではないか。「敵」とは福音を受け付けない人々をさす言葉として使われている。なぜなら弟子たちは福音のゆえに迫害されるからである。弟子たちはイエスの話を聞いてどうしてと思ったことだろう。そこでイエスは説明をされた。それからイエスは次のような者を想定して話された。「~しても」に注意しながら読んでみよう。

「自分を愛してくれる者を愛したとしても」(32)
「自分に良いことをしてくれる者たちに良いことをしても」(33)
「返してもらうつもりで人に貸したとしても」(34)
イエスは「あなたがたは自分の敵を愛しなさい。」(35)と勧められた。なぜこのように対応しなければならないのか、それは「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。」(36)罪深い人々に神のあわれみ深さを知ってもらうためにである。

「さばいてはいけません。そうすれば、あなたもさばかれません。人を不義に定めてはいけません。そうすれば、あなたがたも不義に定められません。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦されます。」(37)6章を長々と引用し、説明を加えてきたが、ここで語られている「赦しなさい。そうすれば赦されます」の前提を知ってもらうためである。教会で問題が起きたとき、すぐ「赦しなさい」が強調される。それは聖書に書いてあるからと説得される。その赦しが語られていえる前提は「敵」と表現されている福音を知らない人々、福音を受け入れない人々に対応するためである。教会やクリスチャンに対しては「もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したら・・・」(15~20)で話しておられる。天の御国の鍵(マタイ16:19、18:18:15~20)とは教会内で起きた出来事を判断する権威をさす言葉である。「赦しなさい」を教会員に強制している牧師やクリスチャンが多いが、ここでの「赦しなさい」の前提はノンクリスチャンの行為に向けられている。教会内で起きた問題は教会でしっかり段階を踏んで扱うように教えてる。罪を認め、改めない人に「赦しなさい」はない。関係を切るように勧められている。何事も前提の上に成り立っている。その前提が間違ていたら、結論を考え直さなければならない。クリスチャンの間で起きた問題で赦しなさいを多用し強制してはならない。


by maranatha | 2020-09-16 16:20 | 聖句の誤用
宗教問題