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村上 密 Blog

最後の晩餐の後で

ヨハネの福音書13章31節から17章26節までを先月から何度も何度も繰り返し読んでいる。ユダが最後の晩餐の席から去った後のイエスの話である。18章からは、ゲッセマネの園での出来事が書いてある。何度も何度も読みながら、教えられたことを、京都で語り、東京で語り、沖縄で語り、12月には喜多方の集会でzoomで語る予定である。こんなにある個所にとどまり繰り返し語ったことはあまりない。夜が明けたら十字架刑で、イエスの話は遺言のようなものである。

10月末、田舎の母を見舞った。母は90歳だ。階段から転倒して入院したが回復して退院した。4日滞在している間、朝の散歩に付き合った。最後の日に、こんなに元気なときはこれからもうないかもしれない。頭もしっかりしているので、思い切って、おかあさん、大切な話があると切り出して、福音を語たり、父が召される前に信仰決心したことを思い出して語った。そして、信仰の決心に導き、信じた母に洗礼を授けた。11月上旬、再び故郷に帰り母を見舞った。母は体調を崩して、日課の散歩を控え、歩くのも話すのもおぼつかない。様子がおかしいので救急車を呼んで救急外来にかかった。一旦家に帰ったが、家族で話して大事を取って入院することになった。この経過を振り返り、大事な話があると切り出して、頭が明晰な時に信仰決心に導けたことを神に感謝した。

子や孫たちはみな母親思いで、それぞれができるだけのことをしている。母は、わたしゃ、一番しあわせたい、と言っている。父が66歳で召される前、おれは、むらでいちばんしあわせもんたい、と言っていた。母も父もしあわせもんだ。父が召されてから26年が経った。私は来年66歳を迎える。私の心の中では大切な区切りの歳である。人生を四季に譬えるならば、もう初冬を迎えている。いくつか深い挫折を経験したが、あれは神の恵みだったのだと感謝することができる。思うようにいかなかったとき、神がとどめてくださったいたのだと思うことができるようになった。

by maranatha | 2020-11-16 10:26 | 聖書
宗教問題

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