Aさんが嬉しかったことを話してくれた。
Aさんは、5年前にいじめにあった。
いじめは、第三者を介しておさまった.
けれども、AさんはBさんとの関係に距離を置き続けてきた。
謝罪がなかったからである。それから5年が経った。
Aさんは、ある出来事から、Bさんと会話するきっかけが生まれた。
その対話の中で、Bさんが悔い改めていること、
関係修復を望んでいることがわかった。
悔い改めが心からのものとわかったので、
赦す気持ちが与えられた。そして和解した。
Aさんは、復讐はしないが、神に正しい裁きをしてください、と祈っていた。
神は和解へと導かれ、正しい裁きをされた。
忍耐を必要としたが、よい結果を得ることができた。
AさんはBさんの悔い改めの言葉を直接聞いた。
それで、赦そうという気持ちが与えられ、和解ができた。
そして、心がとても楽になった。
それまではBさんが悔い改めることはありえない、と思っていた。
聖書には悔い改めた人を赦すようにと書いてある。
それは知識としては知っていた。
けれども、現実に起きるはずがない、と思っていた。
しかし、起きるはずがないと思っていたことが起き、反省した。
この出来事で、神への信頼が深まった。
Aさんは、加害者が悔い改めていないのに、
赦しなさいを強制することを改めてほしいと願っている。
私は、悔い改めていない人を赦す必要はないと教えている。
悔い改めたら赦しなさい、と教えている。
悔い改めていないときは、悔い改めていない人の問題である。
しかし、悔い改めた人を赦すか赦さないかは自分の問題となる。
赦さないなら、聖書の教えに反することになり、
赦すなら、聖書の教えに従ったことになる。