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村上 密 Blog

給与か謝儀か

給与か謝儀か、それが問題だ。給与は労働の対価である。謝儀は対価ではない。謝儀は、牧師の奉仕に対する教会の感謝の気持ちである。私たちにはこれだけしか気持ちを表すものがありません。些少ですが、お受け取り下さい。だから、牧師は、その感謝の気持ちを受け取る。もっと出せるだろうと言って、牧師が謝儀を役員会で強要してはならない。それは利益相反である。多くの牧師は、自分の際限のない奉仕に対して、教会が対応できないことをわかっているので、謝儀として受け取っている。教会に養ってもらっているのではない。神に養ていただいている、と思わなかったら、多くの牧師は薄謝に耐えられない。薄謝に耐えられるのは信仰である。神が養ってくださる。

西日本福音ルーテル教会では、教団運営者側が牧師にハンコを押さないように指導した。それは働いていない、と思わせるためのもので、実は働いていた。だから、「給与」は教会から変わらずに支払われていた。教会の収入減で困っているのは牧師個人ではない。教会を運営する代表役員としての牧師である。そして、教会の収入の減少で困るのは西日本福音ルーテル教会(団体)である。だから、当時の議長が収入減の対策として、雇用調整助成金を申請したのである。議長の意識は、給与であり、謝儀ではない。大半の教団、教会は雇用調整助成金を申請していない。教会は国に税金を払っていない。制度上は申請が可能でも、可能だからと言って申請はしなかった。困ったと言って、訴えるところは国ではなく、神である。アドナイ・イルエ(備えたもう主)である。

by maranatha | 2021-03-26 10:18 | 教会
宗教問題