2021年 04月 12日
礼拝
新型コロナウィルス感染で礼拝の形態が変わった。教会に集まって礼拝するから、一部の教会ではパソコンの画面を通して礼拝するようになった。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:20)を文字通り、物理的に考える人は、教会こそ、主がおられるところだ、と思い込んでいる。ところが、この「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所」は、物理的ではなく関係論である。信頼し合い、互いに愛し合い、祈り合う関係の中に、主は共におられるのである。だから、距離が離れていても、主は共におられる。天も地も、主をお入れすることはできない。主は信じる者たちのこころを住まいとしてくださる。宇宙の果てにおられるのではない。物理的な空間に住まいがあるわけではない。空間を超えた世界に主はおられる。大切なのは、礼拝の形態が変わっても、主をこころから礼拝することである。そして、日曜日の午前の礼拝会を礼拝と限定するのではなく、礼拝は主の教えに毎日応答する信仰生活であるから、そのこころで過ごすことである。
by maranatha
| 2021-04-12 20:05
| 教会