2021年 05月 28日
見ているが見えていない 聞いているが聞こえていない
私たちの目は、見ているすべてを見ていない。見ようとしているものを、自分の思いで見ている。だから、事実と事実と思うものが異なってしまう。また同様に、私たちの耳は、聞こえているすべてを聞き取っていない。音声の断片を、自分の既に持っている情報とすり合わせたり、思いで受け留めて記憶してしまう。だから、事実と記憶の違いが起きてしまう。ある所に10分ほど立っていた。その間、10回ヤモリの鳴き声を聞いた。耳を澄ませて、聞こうとして聞いた。それで10回も聞き取れた。もし、他のことを考えていたら10回も聞き取っていないはずだ。寝る前のことである。目をつぶると、目の前が明るい。何度も試してが明るい。それで、両手を離れたところから段々近づけていくと、明るい輪郭がぶつかり、手にチリチリ感があった。何度も試しているうちに、今度は口を手で押さえてみた。すると、明るかったのが暗くなった。明るさの原因が手であること、また口であることに気づいた。目をつぶっているから見えないはずである。しかし、目をつぶっていても明暗はある。
聖書を学んでいるときのことである。学び終わた後、互いに感想を述べあった。何度も読んでいるところだったのに、気づかなかった、とある人が言った。何度も読んでいると知っているつもりになる。その知っているつもりで読み続けていても気づきはない。このところは何を伝えようとしているところだろうか、と考えながら読むことが大切である。通読ではなく、精読である。
by maranatha
| 2021-05-28 09:37
| 心理