2021年 06月 08日
新しい戒めを守る
そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。(新改訳2017 使徒の働き3章43節から47節)
私は長い間、この聖句を初代教会を特徴づけるところとして読んでいた。確かにそうなのだが、昨年からヨハネの福音書の最後の晩餐の席から「ユダが出て行ったとき、イエスは言われた」(13:31)この後にある16章33節までを何度も読む機会が与えられた。それは15章からわかり安い説教をしていただきたいとの依頼が喜多方から受けたからである。今だ、コロナ禍で訪問ができず、説教はしてはいない。説教が伸びた分、何度も何度も読み、前後の章を読み、「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(13:24)を心にとめて13章から17章までをまた繰り返し読むことにした。そうこうしているうちに、こんなにイエスが命じておられるのだから、弟子たちの心に残り、それを実践する時が来るはずだ、と思って使徒の働きを読んだ時、使徒の働き3章43節以降の書かれてあることが、新しい戒めの実践であると得心したわけである。使徒の働きがルカの福音書の続きであるため、そのことに気が取られて、ヨハネの福音書との関連に気が回らなかった。わかった喜びからこの聖句から機会があるごとに人々に語ってきた。
by maranatha
| 2021-06-08 23:01
| 聖書