2021年 06月 10日
手を置いて
イエスが人々を癒やされるとき、「手を置いて」(マルコ6:5、ルカ4:40)というのがある。また、人々がイエスから癒やしていただこうと「手を置いてくださるように、願った」(マルコ7:32)こともある。イエスが手を置いてを拒まれたことはない。むしろ、積極的に手を置いて癒やしておられる。「天を見上げ、深く息をして」(マルコ7:34)の「深い息」は「嘆息」という訳もあるが、「深い息」がふさわしいと思う。「天を見上げ」はより深く息を吸い込む時に自然に出るしぐさである。2年前から手に何か力があることに気づいたが、その後、呼吸と深く関係していることに気づいた。「神である主は…鼻にいのちの息を吹き込まれた。」(創世記2:7)とあるが、息は口でするより鼻の方が良い。「力」は鼻から深く息を吸い、ゆっくり息をはくときによく出る。または、「力」は口から急に出す時にでる。不思議なことだが、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』には動物たちがセロ(チェロ)の音で病気が治る話が出てくる。セロの周波数が癒やしに関係しているらしい。人の口から出る言葉の響きが、相手に落ち着きを与えることもある。手、深い息、周波数が互いに関係している。
by maranatha
| 2021-06-10 21:07
| 聖書