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村上 密 Blog

手を置けば癒される

マルコ福音書に次の言葉がある。「安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた人々は驚いて言った。『この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われる力あるわざは、いったい何なのでしょう。』」(6:2)そこで、イエスの手によって行われた癒やしのわざを福音書の中から探してみた。ヨハネの福音書の中にはなかった。共観福音書の中からイエスの手による力あるわざを選び出すことにした。

マタイ8:9  イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめら     れた。
マタイ8:15 イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。
マタイ9:25 イエスは群衆を外に出してから、うちにお入りになり、少女の手をとられた。すると少女は起き上がった。
マルコ1:31 イエスは。彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。
マルコ1:41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」
マルコ5:41 そして、その子どもの手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。(訳して言えば、「少女よ。あなたに言う。起きなさい」という意味である。)
マルコ6:2 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。」
マルコ6:5 それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。
マルコ7:32 人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださるよう、願った。
マルコ8:23 イエスは目の不自由な人の手を取って村の外に連れて行かれた。そしてその両目につばきをつけ、両手を彼に当てて「何か見えるか」と聞かれた。
マルコ9:37 しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。
マルコ16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。
ルカ4:40 日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは。ひとりひとりに手を置いて、いやされた。
ルカ5:13 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに、ツァラアトが消えた。
ルカ7:14 そして近寄って棺に手をかけられる、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われた。
ルカ8:54 しかしイエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。」
ルカ13:13 手を置かれると、女たちはたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。

共観福音書の中では重複する記事があるが、イエスの力ある手のわざは驚くべきわざである。何と、マルコの福音書では、復活されたイエスが弟子たちに「病人に手を置けば病人は癒されます。」(マルコ18:18)と語っておられる。ペンテコステの牧師だから、癒やしも奇跡も信じている。そしてたくさんの癒やしや奇跡を体験してきた。しかし、振り返って見て、積極的に「病人に手を置けば癒されます」に応えて来たかと言えば反省するしかない。2年前から、癒やしが顕著になってきた。病気の人に手を伸ばせば癒やされる。通常は非接触で取り組む。同意を得て手を置くこともある。頭痛、腹痛、肩の痛み、腰痛、打撲痛、腫れ、痒み、怠感等々、日常的に癒やしのわざが伴うようになった。半信半疑で取り組むのではなく、真剣に取り組むことを覚えた。聖書の言葉を理屈をつけてそのまま受け留めることを現代人はしなくなっている。しかし、イエスは信じる現代人の私たちにも「病人に手を置けば癒されます」と語り掛けておられる。

by maranatha | 2021-06-12 18:12 | 聖書
宗教問題

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