2021年 06月 12日
手を置く
重い皮膚病を患ったナアマンは、エリシャから癒やしてもらおうと、アラムからイスラエルに期待して来た。期待した癒やしの方法とは「私は、彼がきっと出て来て立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、ツァラアトに冒されたこの者を治してくれると思っていた。」(2列王記5:11)エリシャは紀元前9世紀の預言者である。アラムでの治療を背景に、「この患部の上で彼の手を動かして」と期待したものと思われる。イエスの時代も人々は「手を置いてくださるように、願った。」(マルコ7:32)ナアマンは異教の世界、イエスの時代はユダヤ教の時代、日本国においては、病気を治す祈願本尊として薬師如来が信仰されてきた。薬師如来は奈良時代に日本の伝来している。印相は施無畏(せむい)印で、右手を肩あたりまで上げ、5指をそろえて「恐れるな」(平安があるように)を表している。左手の「薬壺」(やっこ)はもともとなかったらしい。昔は患部をさすりながら真言を唱えたと言われている。どれほど昔かわからないが、手を置いてさすることが治療法として用いられていることは、古今東西共通している。
by maranatha
| 2021-06-12 21:26
| 歴史