2021年 07月 14日
自由の回復
自由を奪われのは、自分で考え、判断し、責任を取ることを放棄するからである。権威主義の教会では、牧師の考えと判断が絶対である。教会は、統率が取れていて、明るく、礼儀正しい人が多い。しかし、違和感がある。画一的で、そこに自由が感じられない。権威と服従が確立している権威主義の教会の中では、自由は、不服従とみなされ、不信仰の扱いを受ける。「信仰」という名の判断基準が何よりも優先される。牧師はその判断基準を作り上げた人物で、不可侵であり、不祥事を起こしても、役員会も信徒もだれも責任を追及しない。不祥事さえも信仰とみなす思考に陥っている。教会員は、牧師への服従の結果、良心の判断基準を奪われ、牧師の信徒への精神的虐待のいったんを負わされている。このことに気づくのは脱会してからで、気づいて責任を取る覚悟がないと、責任を払わなければならない重圧から自由になれない。責任を取る覚悟ができると自由を取り戻せる。
by maranatha
| 2021-07-14 21:58
| カルト化