人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

村上 密 Blog

イザヤ7章

Q:今日はイザヤ書からですね。
A:そうです。使徒の働きも続けますよ。
 イザヤ書の7章14節がインマヌエルに注目が向けられ、その前後があまり理解されていません。
Q:イザヤ書の6章はイザヤが預言者として召されるところで有名ですね。
A:王や祭司は世襲制ですが、預言者は世襲制ではありません。
 そこで、どのようにして神から預言者に召されたのかを語る必要がありました。
 それで、旧約聖書には預言者たちの召されたときのことが多く書かれています。
Q:6章から7章まで期間がありますね。
A:アハズ王の業績は2列王記16章に詳しく記されていて、悪い王です。
 イザヤの語ることを聞くような王ではありません。
 イザヤは神のことばを聞かない王や人々に遣わされます。
Q:6章8節に「だれを遣わそう。」「私がおります。」とありますが、
 誰も聞かないような状況の中に遣わされることが先に分かていたら、イザヤはどうしたでしょうね。
A:それでもイザヤは、私がおりますと言ったでしょう。それほど彼の召命体験は強烈でした。
Q:7章と8章に3人の子が出てきます。2人はイザヤの子で、もう一人はインマヌエル、だれですか。
A:マタイは福音書でこれはイエスの誕生を預言していてそれが成就したと言っています。
 イスラエルでは子供に名前を付けることを重視します。
 イザヤの子はやがて起ころうとすることを表しています。
 残りの者は帰ってくる。そして、分捕りものはすばやく取り去られる、です。
Q:現代から歴史を見ると、どれも成就しましたね。神のことばは出来事になることがよくわかります。
A:それを確信して、神のことばは、まだ起きていなくてもやがて必ず起きると信じるのが信仰です。
Q:それで、イザヤはアハズ王に、あなたがたが信じなければ、長く立つことができない、と語ったのですね。
A:信じるは、神に自分を全く委ねることで、どんなことがあってもかたく信頼して立つことです。
Q:アハズ王はそれができませんでしたね。彼は列王記によるとアッシリアの王に支援を求めています。
 布さらしの野への大路のそばにある神の池の水道のところに行ったのはなぜですか。
A:おそらく、アラムと北イスラエルの連合軍と戦って籠城戦になったときの水の状況を確認しに行ったのでしょう。
Q:神により頼むのではなく、アッシリアと水を頼りにしているわけですね。
A:人は見えないものではなく、見えるものに頼りがちです。それは信仰ではありません。
Q:アハズ王はこの時はまだ知らないのですが、やがて連合軍は戦に負けます。
A:神は連合軍を二つの木切れの煙る燃えさしと語っておられます。
 神の前には、もう彼らは消えかかっているのです。
Q:私たちは将来のために何か保証を求めますね。
A:神のことば以上に確かなものはありません。私たちが聖書を学ぶ理由がここにあります。
 私たちは先のことを聖書の預言で知ることができます。闇夜での、足のともしび、道の光です。
Q:私たちにはインマヌエルが与えられたので、神がわれらとともににいつまでもいてくださるのですね。
A:そうです。ですから、何かが起きても驚いて慌てふためいてはなりません。
 インマヌエルの信仰は大切です。

by maranatha | 2021-08-01 18:21 | 聖書
宗教問題

by maranatha