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村上 密 Blog

聖書は愛の教え

「旧約聖書」という言葉は聖書の本文の中にはない。新約聖書の中では、「律法であり預言者です」(マタイ7:12)「モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で」(ルカ24:27)「聖書を説明してくださった」(ルカ24:32)「わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは」(ルカ24:44)この聖句はヘブライ語聖書の三大区分、律法(トーラー)5巻、預言者(ネビーイーム)8巻、諸書(カトビーム)11巻と同じである。私たちが手にしている旧約聖書の構成とは違う。私たちが使用している旧約聖書の構成は七十人訳聖書である。「これらは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです」(ヨハネ15:25)ここで引用されているのは詩篇(25:19、69:4)からで、それでも律法と書かれてあるのは、律法が聖書を表す言葉だからである。

「先生。律法に中でたいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じように大切です。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:36~40)ここには神への愛、自分への愛、他者への愛が語られ、共通するのは愛である。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」が「何事でも、自分にしてもらいたいことは。ほかのひとにもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」(マルコ7:12)と共通する内容を含んでいる。パウロは愛のいろいろな側面を第1コリント人への手紙13章で書いている。聖書は「愛」(アガペー)の教えである。それは掛け軸用の言葉ではなく、語るだけの言葉でもなく、実践しなければならない言葉である。それは神が求めておられる応答であり、礼拝である。




by maranatha | 2022-05-03 14:02 | 聖書
宗教問題

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