私が白い家フェローシップチャーチの記事をブログに書いたら、ある人が、6年ほどの教会員在籍期間に一回しか総会は開かなかった、総会は総会議案もなく質問もない短い時間で終了した、と伝えてきた。教会が宗教法人を取得した後の出来事なので、沖縄県庁への報告は総会を反映した総会議事録ではなく、事前に役員会で作成された文書が提出されたと思われる。これは県に対して不誠実である。そして、教会員に対しても不誠実である。教会では、牧師も教会員も神の前に平等で、教会の運営を共同で運営する。プロテスタントが主張している万民祭司を受け入れている牧師ならば、今のような教会運営になっていないはずである。教会員が私のこの記事を読んで、教会を批判している、と思うなら、それは間違っている。私は教会員が民主的な教会運営ができるようになるために書いている。教会規則を見た教会員がいるだろうか。その存在すら知らないで、良い教会と思い込んで通ってはいないか。牧師は神学校で学ばないで牧師になった。この場合、牧師は反知性主義に落ちる傾向にある。自分以上に聖書に詳しい人は教会にいらない。自分に従う教会員を求めることになる。教会には牧師や伝道師たちがいるが、どこで学んだかよくわからない。これでよい教会と言えるのは井の中のかわずである。知性に基づく判断ではなく、イメージに基づく判断である。