2025年 01月 03日
白い家フェローシップチャーチ 牧師による献金強請の証言
私は献金袋自体が苦手だ。なぜ名前を書くのかに対して疑問を持っている。なぜ献金袋に自分の名前を書くのか。名前を書いたら、誰がいくら献金したかがわかってしまう。私はそれに抵抗を覚える。白い家フェローシップチャーチでは、献金袋があって、名前も書かれてあった。 誰がいくら献金したのかわかるようになっていた。それで、牧師にチェックされて、十一献金(収入の10分の1を献げること)できない人は呼び出されて怒られた。十一献金は献げる目安でこの教会では最低金額だった。10分の2、10分の3献げた人は、名前が発表されてた。多く献金すると多く祝福されたと証をしていた。 礼拝の後は、出席者の人数と氏名、 誰がどこの席に座っていたかをチェックされ、 献金もチェックされていた。
☆ コメント
私は牧師に給与の額を聞かれたことがある。夜中に電話がかかってきて、十一献金をしていないと責められ、給与の額を聞かれたので答えてしまった。今もこのことを思い出すと、悔しい。これはパワハラではないか。
☆ コメント
私は牧師に給与の額を聞かれたことがある。夜中に電話がかかってきて、十一献金をしていないと責められ、給与の額を聞かれたので答えてしまった。今もこのことを思い出すと、悔しい。これはパワハラではないか。
*村上のコメント証言者のコメントを見ると、これは牧師による強請である。教会員となるとき、十一献金をするとの約束事は文書に書かれていないはずである。それは問題となるからである。自主的であるべきものが、他者によって決められ徴収されるのは、本来の献金の趣旨からそれている。献金の確認には、会計役員と会計奉仕者が二人以上で確認し、「済」印を押す。正しく受理されました、の印でもある。印鑑が押されれば、税務署から税の徴収対象になる。それで営利ではなく、宗教行為なので「済」印にする。献金する側と受け取る側が、双方で確認できるので、不正を防ぐ手段でもある。献金担当者はだれがいくら献金したかを口外しない。プライバシーを尊重する。献金は教会運営の意味合いが大きい。神様に献げると言いながら、神様はそれをデパートやスーパーで買い物をし、支払いをされることはない。それは人がする。牧師が教会に必要と判断して支出する場合は、事後報告になるので、月額の上限を役員会で決めておく。牧師と役員会が支出を決めて、教会運営のために支出する。大きな額は予算で総会で承認を取り付けておく。牧師が献金の額を決めて教会員に献げさせるのは、強請である。強請は場合によっては法的問題となるので、口頭で押し付ける牧師がいる。献金は自分で定めた金額を自主的に献げるものである。十一献金したい人はそれをする。月定(月にいくらささげるか一定額を自分で決めること)をしたい人はそれをする。まちまちであっても自主的にしたいときにしたい人はそれをする。教会員の経済的な事情もあるので献金の方法は一定ではなく、いろいろな方法があってしかるべきである。白い家フェローシップチャーチの献金に関することが事前に来会者に知らされていたら、誰がこの教会に足を運ぶだろうか。知らずに入会したら、重い負担が神の名のもとに行われている。これは聖書の教えに反する行為である。繁栄の神学に傾倒する牧師は、ひたすら自分の教会の繁栄を求めている。
by maranatha
| 2025-01-03 13:03