11 指導者について、信者間で意見や見解を述べる自由がない。
*まったく当てはまる。もし信徒の誰かが牧師を批判したら、その場にいる誰かが密告をする。疑問を持ったり、考えることすらいけないことになっている。私はそういうことは脱会する少し前まで、意見や見解を述べることを考えられなかった。つらいとか、苦しいと思ってもそれは私のの従順さが足りないから、私がいけないと思っていた。「神が立てた牧師を批判してはいけない。」と教えられていた。
**独裁者の国では、独裁者を批判できない。生存の危機に瀕する。言論の自由もない。批判する者は消される。白い家フェローシップチャーチでこのような時期があった。今はどのようになっているのだろか。民主化しているとは思えない。牧師が独裁的になることは、教会の危機であり、それは名ばかりの「教会」である。聖書は支配するのではなく、仕えるものとなるように教えている。
12 指導者は信者の質問や意見に耳を貸さずに、逆に怒る。
*まったく当てはまる。私は聖書のことでわからないことを質問した時に怒られた。「これくらいもわからないの。」と言われた。聖書のこと、神について知りたいから質問しているのに、なぜ怒られるんだろう)と疑問に思ったが、それ以上は何も言えなかった。
**白い家フェローシップチャーチの牧師は神学校を卒業したわけではないので、質疑応答は苦手と思われる。これくらい、としかりつけて答えていない。学びの研さんを積み上げないでムーブメントに取り組む牧師は、往々にして反知性主義に陥っている。
13 指導者の方針に対して反対意見を述べると制裁が加えられる。
*まったく当てはまる。ある信徒が私をかばって、牧師に意見を言ったら、私は夜中まで責められた。
**まだかばってくれる人がいる。まだ、信徒の中に希望がある。しかし、牧師は反対を受け入れるだけの許容はない。
14 指導者に批判的な信者を集団で取り囲んで攻撃することがある。
*まったく当てはまる。私が白い家フェローシップチャーチの間違いに気づいて脱会したのは、次のことを目撃したからである。牧師が経営していた美容室のスタッフ(彼女は教会役員)で秘書もしていた女性が、牧師に意見を言って、悔い改めるように言った。ところが、その人はその後から教会内で集団で無視され、礼拝の司会やその他奉仕から降ろされた。その人は集団で取り囲まれ悪霊の追い出しの祈りをされた。ここでは意見も言えない教会だと気づいた。
**これは宗教の名を借りた集団リンチである。後遺症が心配である。
15 指導者を崇拝する(過剰な敬意を払う)ように、いつも信者を教育している。
*まったく当てはまる。牧師はいつもそのように教えた。牧師の言うことは神の言うことと同じだった。
**これは人物崇拝である。危険な兆候である。脱会することさえ恐怖である。牧師は脱会した信徒の個人情報をゆがめ、個人の信用をおとしめるようなことを拡散させている。多くの人がこのことを恐れ、委縮している。