教団に属する牧師が問題を起こした。役員会が牧師の問題を正しくさばくことができるだろうか。長老制の運営のしっかりしている教会であれば、それもできるだろう。牧師の権威を強調する監督制の教会や権威主義の教会形成をしている教会では、どの教団に所属していようがいまいが無理な話である。権威主義の教会では、役員は牧師に問題があってもしっかり意見を言う人はいない。意見を言えるような人はすでに教会を去っているか追い出されている。あるいは、問題を扱おうとした時点で追い出され始める。
今まで、私は牧師の問題に取り組んできた。問題の相談が私の所に来ること自体が教会に自浄作用がないからであって、牧師の権威主義による深刻な精神的虐待であったり、経済的な搾取であったり、時には性的虐待の被害者であったりする。被害者の話を聞けば、いずれも役員会が機能していない。牧師を支えることを使命と思い込んで、間違った牧師を支えることも使命と勘違いしている。正しい牧師と支えるのは問題ないが、正しくない牧師を支えると、時には犯罪のほう助となることもある。そうでなくても、牧師の問題が裁判で明らかになった場合、牧師の辞任で済むわけではない。辞任するほどのことを支えたのだあるから、役員たちの辞任してしかるべきである。ところが、辞任も責任も感じないほど役員たちが厚かましく留まる場合がある。外科手術は腐った部分の切開が遅れると体全体に壊疽が広がる。