2013年 04月 13日
ボンヘッファーの言葉
「世界史における偉大な出来事を、下から見上げること。除者にされ、疑われ、虐待され、抑圧され、抵抗する力とてなく、あざけられる者の目でものを見ること。すなわち苦しむ者の立場に身を置くことを、われわれは学んだ。」 (『ユダヤ人の歴史』ポール・ジョンソン 徳間文庫)
これは、ナチスから迫害され、獄死したドイツ人牧師ボンヘッファーの言葉である。彼は教会がナチス化していくなかで、正義と真理のために、ナチス抵抗運動に身を投じた人である。。神学者である彼が、社会問題に目を向けるようになったのは、アメリカ留学中に、アフリカ系アメリカ人への差別を知ったからである。
カルト化教会の中では、独裁的な指導者と親衛隊のような信教会員たちによって、よく「造反者刈り」がある。運営を批判したり、指導者の権威に服従しないと、教会員は「反逆者」として精神的に虐待される。親しい家族、親戚以上の絆で結ばれていると思っていただけに、精神的ショックは相当である。指導者は「反逆者」への敵対心を集団の中で増幅し、教会員の絆を強化する力へと転化させる。このことによって、教会員が不信仰な発言や行動を取ったとき、自分が攻撃され、虐待されるという恐怖心が形成され、服従が促される。これはもはや愛と信頼ではなく、恐怖のマインドコントロールである。
ボンヘッファーの言葉は、カルト化の被害の中にある人にとって慰めとなる。被害者は苦しみの意味を求めている。彼の言葉はそんな被害者の心の必要にある答えを与えているのである。ボンヘッファーは、ドイツ人でありながら、ナチス化への抵抗をしたために、ユダヤ人と同じように虐待される側になった。しかし、虐待される側に立たされることによって、今まで得られなかった視点や洞察が与えられた。このような人こそ、被害者の心の思いを、言語化してくれる理解者である。
8年間、カルト化による被害者の声に耳を傾けてきた。彼らの被害状況は深刻で、霊的、精神的、経済的、身体的な被害救済を継続する必要がある。私が被害者側に立って行動すれば、加害者側からは「悪魔」「破壊者」と誹謗中傷や悪辣な噂が流される。このようなことは、指導者たちが集団の団結心を強化する手段だ。第二次世界大戦の時の「鬼畜米英」と同じである。敵愾心を燃やし、冷静さを奪う手段である。当然、被害者は私に相談するまでは大変な勇気を必要とする。敵か味方かは、戦争心理である。カルト化教会では、神と悪魔の戦いが日々行われている。指導者に逆らえば、悪魔の餌食となり、地獄行きと言われる。このような二元論のイデオロギーが強調される集団では、苦しむ人が増加し、服従のメカニズムの中で脅え続ける。御言葉は何と言っているだろうか。「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主である。」(箴言29:25、26)「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)
これは、ナチスから迫害され、獄死したドイツ人牧師ボンヘッファーの言葉である。彼は教会がナチス化していくなかで、正義と真理のために、ナチス抵抗運動に身を投じた人である。。神学者である彼が、社会問題に目を向けるようになったのは、アメリカ留学中に、アフリカ系アメリカ人への差別を知ったからである。
カルト化教会の中では、独裁的な指導者と親衛隊のような信教会員たちによって、よく「造反者刈り」がある。運営を批判したり、指導者の権威に服従しないと、教会員は「反逆者」として精神的に虐待される。親しい家族、親戚以上の絆で結ばれていると思っていただけに、精神的ショックは相当である。指導者は「反逆者」への敵対心を集団の中で増幅し、教会員の絆を強化する力へと転化させる。このことによって、教会員が不信仰な発言や行動を取ったとき、自分が攻撃され、虐待されるという恐怖心が形成され、服従が促される。これはもはや愛と信頼ではなく、恐怖のマインドコントロールである。
ボンヘッファーの言葉は、カルト化の被害の中にある人にとって慰めとなる。被害者は苦しみの意味を求めている。彼の言葉はそんな被害者の心の必要にある答えを与えているのである。ボンヘッファーは、ドイツ人でありながら、ナチス化への抵抗をしたために、ユダヤ人と同じように虐待される側になった。しかし、虐待される側に立たされることによって、今まで得られなかった視点や洞察が与えられた。このような人こそ、被害者の心の思いを、言語化してくれる理解者である。
8年間、カルト化による被害者の声に耳を傾けてきた。彼らの被害状況は深刻で、霊的、精神的、経済的、身体的な被害救済を継続する必要がある。私が被害者側に立って行動すれば、加害者側からは「悪魔」「破壊者」と誹謗中傷や悪辣な噂が流される。このようなことは、指導者たちが集団の団結心を強化する手段だ。第二次世界大戦の時の「鬼畜米英」と同じである。敵愾心を燃やし、冷静さを奪う手段である。当然、被害者は私に相談するまでは大変な勇気を必要とする。敵か味方かは、戦争心理である。カルト化教会では、神と悪魔の戦いが日々行われている。指導者に逆らえば、悪魔の餌食となり、地獄行きと言われる。このような二元論のイデオロギーが強調される集団では、苦しむ人が増加し、服従のメカニズムの中で脅え続ける。御言葉は何と言っているだろうか。「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主である。」(箴言29:25、26)「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)
by maranatha
| 2013-04-13 15:41