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村上 密 Blog

書く動機

 歴史を書こうとして筆をとる人の動機
1、文学的才能を誇示して自分の名声を獲得するため
2、自分の書くものの中にある特定の人物のご機嫌をとるため
3、自分が参加した歴史的事件が重要なため
4、知っておかねばならね歴史的大事件について世間があまりに無知なため、真相を語っておく必要から

 以上のことは私の古いノートから見つけた文である。誰かの本を読んでメモったもので出典を明示できないのが残念である。なぜこの文を書くかというと、「なぜ、私はブログを書くのか」と自問しているからである。

1、私には文学的才能はない。よって、ブログで名声を獲得するためでないことは明らかである。
2、ある特定の人物のご機嫌をとるようなブログは書いていない。むしろ、耳に痛いことを書いている。
3、自分がかかわっている事件が重要なため。そう、私はそう思って忘れないために書き溜めている。
4、真相を語っておく必要から。そう、事件にかかわっている者として、証言しておく必要を覚えるから。

聖神中央教会事件と取り組んだとき、私は歴史的事件とかかわっていると思った。発信しなければならないことが多くあったが、多忙を極め、又、プライバシーの問題も絡んでいるためできなかった。今も多数の問題が寄せられ、対応に追われている。今も歴史的事件とみなされる出来事に取り組んでいる。顔と顔を合わせて問題に取り組むことを基本にしてきたため、物理的限界を考えざるを得ない状態である。これを克服するために、「ペンの力」に取り組んでいる。
 精神科外来は5時間で40人の患者というのを聞いた。薬は出せてもこころに触れることは最小限である。約7.5分の診療。患者が一番求めているのは薬だろうか。話を聞いてほしいことだろうか。心理カウンセラーは薬を与えることはできない。これは補完しあわねばならない職業である。しかし、心理カウンセラーが対応できる人数は、1日8人、1人に1時間で、患者の支払う費用は高くならざるをえない。どの職業も物理的限界がある。

 ブログは不特定多数の人が読むことができる。北海道から沖縄まで読者からのメールが届く。ひとつひとつに返事を書いているため、語ることが多かったのに、今は書く時間も相当に多い。これも、物理的限界がやがて来る。しかし、語る言葉は消えても、文字は消えない。それにいつでも読み返すことができる。この利点は貴重だと思う。
by maranatha | 2007-11-19 13:52
宗教問題