2019年 03月 26日
聖公会 初の審判廷
今回、1860年の日本聖公会設立後の初めての審判廷というニュースを耳にしました。「京都教区の対応を糾す会」の働き、並びに司祭2名を含む、申立人の努力は大変だったと思います。この審判廷は元司祭の終身停職を求める懲戒申立です。私としては、当時の執行部の判断ミスが、被害者とその家族を苦しめたことを考えると、運営責任を追求してもよいと思います。今年の秋には第一回審判廷が開催される予定ということですが、被害者とその家族の痛みが少しでも和らぐことを願っています。又、支援者たちに対する様々な中傷や妨害が止むようにも願っています。
加害者は被害者に対して、密室においては力関係で勝っています。しかし、公の審判廷では逆転します。しかし、被害者が勝訴するまでは、被害者を支援する人は、加害者の一方的な発言を信じた人々によって、ことばの虐待を受けます。私はこれを虐待促進作用と呼んでいます。聖公会で起きた一連のことは、まさに虐待の連鎖であり、虐待促進作用です。
初の審判廷において、当時の教区指導部は、「審判廷規則第5条(2)審判員が事件について前審の審判に関与しているとき。」により除斥の対象になります。公平な審判廷が行われ、聖公会の自浄力を証明していただきたいものです。それにしてもなんと「有力」な人が関わっていることでしょう。聖公会の真価が問われる年となりました。
私の手許には『カトリック新教会法典』(日本カトリック司教協議会 教会行政法制委員会訳 有斐閣)があります。1000ページを超える本ですが、時々読んでいます。佐藤賢一の『王妃の離婚』(集英社)も合わせて読めば、興味がつきません。「第Ⅶ集、訴訟」は何度も読みました。場合によっては訴訟を考えた時期があったからです。
『日本聖公会法憲法規』(日本聖公会管区事務所)は大変わかりやすい本です。教団で戒規を考えているところは参考になります。ただし、どんなにりっぱな規則があっても、執行部が適用できなければ、宝の持ち腐れです。
『日本基督教団 教憲教規および諸規則』(日本キリスト教団出版局)も時々読んでいます。
カトリック、聖公会、日本基督教団と歴史的かつ大教団には積み重ねられた経験が規則として出来上がっています。しかし、戦後出来た教団には十分と言えるものが少ない状態です。私の手許には他の教団規則や・教会規則もあります。いずれの教団でも、今まで執行部(理事会)が様々な問題を処理してきました。中には、規則を十分知らない理事もいることでしょう。訴訟に詳しい牧師がいずれの教団にも複数出てこなければ、教団内で、正しい裁きは出来ず、世の裁判に頼むしかないことになります。コリント化した現代の教会に賢い人はいないのでしょうか。「天の御国のかぎ」をどこに忘れてしまったのでしょうか。(2008年7月25日の記事を再掲載)