2013年 04月 12日
指導者を悪く言ってはいけない
パウロはトーラーからではなく、ミドラッシュの「あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない」(使徒23:5)を引用した。これには、指導者が同胞として正しく振る舞うときに尊敬に値する、が省かれている。当時の人は出だしを言えば後は言わなくても分かるので省かれている。周りの人々はそれを理解している。理解してないの現代の私たちである。そこで問題が生じてくる。 「牧師は神が立てる器だから悪く言ってはいけない。」と言い替えられたり、過剰に尊敬するように言われたりする。聖書は無条件に尊敬するように教えてはいない。ここでもパウロが言外に言わんとしたように、現代の牧師も職務に忠実であるときに尊敬に価するのである。なぜこのような事を取り上げるのか。それは、カルト化した教会牧師が、間違って多用する言葉だからである。教会員が牧師に対して反論や批判をすることは、除名処分の対象となっているカルト化した教会もある。これでは牧師の独裁を許してしまう。聖書が牧師によって都合の良いように引用されてる事は他にもある。牧師が聖句を引用されているから正しいと思い込む事は危険である。今必要とされている事のは、見分ける力である。やがて多くの偽教師が現れて、多くの人を惑わす時代が来る。いやもうその時が来ている。なぜなら、多くの惑わされた被害者が世界的に増えている。聖書は本当にそのように言っているのかを調べることを、人任せにしない生き方が要求されている。
by maranatha
| 2013-04-12 21:14