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村上 密 Blog

味方か敵か

 私たちは、人を味方か敵か、どちらかはっきりさせたい時があります。それは自分を中心にした判断の仕方です。そして、私たちが間違っている場合、味方をする人は同じように間違ってしまうこともあります。もし、私たちが間違っているのに、相手に呼びかけて間違ってしまったらどのように責任をとればよいのでしょう。私たちが絶対に正しいという保証はありません。

 ヨシュアがエリコを攻める時、ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていました。ヨシュアは「あなたは私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」その人は思いがけない言葉を発します。味方とも敵とも言わないのです。「いや、私は主の軍の将として、今来たのだ。」ヨシュアはこの主の軍の将に従わなければならない身です。私たちが中心ではなく、キリストが中心です。

 教会の中では、味方か敵かという考え方はしません。私たちが真理に従って生活しているかどうかです。それを判断するのは「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。」(Ⅰコリント13:4~6)聖霊の火に燃やされているかです。これを、御霊の人、霊的な人と言います。そして、信じてはいても、自分中心の生活をする人は肉的な人と言います。

 さて、キリストは霊的な人の味方でしょうか。肉的な人の味方でしょうか。私たちはそのような考え方をしません。誰もがイエス・キリストに従う生活を選び取っていくのです。それでは、キリストは霊的な人の敵でしょうか。そうではありません。それでは肉的な人の敵でしょうか。そうではありません。キリストは肉的な人を霊的な人に変えようとして、かかわってくださる陶器師です。
by maranatha | 2009-02-21 19:36
宗教問題

by maranatha