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村上 密 Blog

カテゴリ:聖句の誤用( 6 )

償い

なぜ、教会関係の民事訴訟で原告の損害賠償請求が判決で通った場合、何もそれに対して発言しない人が、裁判ではなく、教会内で問題解決をし、償いを要求するとき、なせ赦しなさいで終わらせようとするのだろうか。経済的な被害を相手に与えた加害者に対して償いを求めることは正当であるのにどうして非難するのだろうか。私は損害賠償と言う用語を使うときは裁判で取り組むときに使う。教会内で解決するときは償いと言う用語を使う。ザアカイはイエスに出会い、回心した。悔い改めた証に、貧しい人々に財産の半分を、だまし取った人へは4倍にして返すことを表明した。だまし取った人には2倍にして返せばいいのだが、ザアカイは4倍を返すと言った。悔い改めた人が損害を与えていて、ごめんなさいで済ませようとし、牧師が被害者に赦してあげなさいで済ませるのは、あるべき姿ではない。イエスはザアカイの言葉を聞いて、そんなにしなくていいよ、とは言われなかった。町の人に、ザアカイを赦してあげなさい、とも言われなかった。被害を与えた人に弁償することは当然のことである。何でも、赦しなさいで物事を解決しようとしてはいないか。それが、教会内に不公平な扱いを広めていることになぜ気付かないのか。
by maranatha | 2019-06-04 16:49 | 聖句の誤用

赦すか裁くか

「『主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。』」(マタイ18:21,22)ここだけを読むと徹底的に赦しなさいをイエスが教えているように見える。しかし、イエスは七度の七十倍と語られる前に、兄弟間の罪の問題をしっかりプロセスを踏んで裁くように教えておられる。「兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。・・・それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないならば、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。」(18:15~17)「彼を異邦人か取税人のように扱いなさい」とはユダヤ人は異邦人か取税人との交わりをしないようにしていた。それは兄弟の交わりから追放を意味した。赦しなさいではなく、裁きがしっかり語られていることを見過ごしてはならない。また、七度の七十倍を語られた後、23節から天の御国のたとえをイエスは語られた。借金の返済に対して、「主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予をください。そうすれば全部お払いいたします。」と言った。」(26)借金の返済は当たり前である。ひれ伏して返済の猶予を願い出たしもべを「かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。」(27)赦しが先ではない。15節から流れている「悔い改めたら」を見失ってはならない。悔い改めるものに対して「赦し」が与えられるのである。一方、赦されたしもべは同じしもべ仲間で、彼から借金をしている者に出会った。借金を返済するから猶予をくださいと願うしもべ仲間に対して牢に入れた。ここでこの出来事を知った主人が再び出てくる。先のしもべへの赦しは取り上げられ、「主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。」(34)「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようにされるのです。」(35)赦すように語られる神が、悔い改める者を、赦さないなら、神は赦さない者を裁かれるとイエスは教えておられる。このように聖書を解く説教者たちがどれほどいるだろうか。聖書の言葉を用いて、赦しなさいばかりを強調しているのではないだろうか。聖書の神は悔い改めたものに対して赦しに富んでおられる方である。それに対して、悔い改めたものを赦さないなら、赦さない者を裁かれる神である。私たちが見分けなければならないのははたして彼は本当に悔い改めたのか。悔い改めるふりをして見せたのではないか。見分ける方法がある。謝罪である。借金を返済しますとの言葉である。
by maranatha | 2018-09-17 15:58 | 聖句の誤用

聖句の誤用

「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネ8:7)律法では、姦淫した男も女も共に石打ちの刑で処刑される。律法学者とパリサイ人は、姦淫の場で女を捕えられたのに、男は捕えていない。「イエスをためすため」(6)に女が利用されている。この女の罪よりも、女を告発した者たちの方がもっと罪は重い。イエスは「あなたがたのうちで罪のない者が」と言って、裁いておられる。簡潔に言えば、あなたがたは罪びとである。だれひとり正しい人はいない。律法を悪用している。どうして女を裁くことができるか。だれも女を裁く人はいなかったことによって彼らは裁かれた。彼らは去って行った。こうしてイエスは女を石打ちの刑から救われた。聖句を悪用するものは、だれもが罪人だから裁いてはいけないと語る。イエスは「うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい。」(7:24)と語っておられる。聖句を悪用するものは都合のよい聖句を引用する。聖書への無知に付け込んでいるわけである。騙されないために、もっと聖書を学ぶことである。

by maranatha | 2017-05-09 00:06 | 聖句の誤用

解釈ではなくご都合主義


弟子訓練を極端に強調するカルト化教会では、文字通りに聖書を解釈する傾向にある。以下の聖句で家庭破壊が起きる。「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:26、27)また、信徒は以下の聖句で個人財産を失ない、貪欲な牧師は資産を増やすことがある。「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:33)しかし、以下の聖句を文字通りにとる教会はひとつもない。「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」(マタイ5:29、30)これは聖書解釈を都合よく利用する事例である。

新改訳聖書第三版を引用

by maranatha | 2017-02-28 11:23 | 聖句の誤用

聖書のことばの悪用

カルト化教会では聖書のことばを自分勝手に利用する。「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。」(ルカ14:26)牧師は、このことばを、信徒を献身的に奉仕させるために、文字通りに利用する。しかし、牧師は、私腹を肥やして、財産を築いているため、「あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。」(ルカ14:33)を語らない。同じ章の直ぐ後に書いてあることばなのに、気づく信徒もいない。牧師は、自分勝手に利用している聖書のことばを、文字通り取り組んでいるわけではない。自分を例外扱いしているだけである。

*口語訳聖書から引用

by maranatha | 2017-02-26 21:03 | 聖句の誤用

聖書の教え

妻たちよ 夫たちよ
 キリスト教の結婚式では、エペソ人への手紙から、夫に対する教え、妻に対する教えが朗読される。「妻たちよ。あなたががたは、主に従うように、自分の夫にしたがいなさい。・・・」(5:22~24)「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。・・・・」(5:25~33)この箇所は、結婚式のために書かれたのではなく、結婚している妻たちと夫たちへの教えである。

間違った読み方 正しい読み方
 この聖書箇所は、あるイデオロギーで読むと、「差別」と見做される。聖書を読むときは、全体を読むことが大切である。5章22節から6章9節までは、妻たちと夫たち、子どもたちと父たち、奴隷たちと主人たちへの教えである。3つの順序はいずれも弱い立場が先に書いてあり、強い立場が後に書いてある。これは書き方である。日本基督教団の式文では、夫に対する教えを先に朗読する。今日の教え方は先に重要なことを伝えて、後に補う言葉を持ってくる傾向にある。その思考法でエペソ人への手紙を読むと、女性は頭に来る。「なぜ、夫に従うのが先に書いてあるのよ。夫が本当に愛してくれたら、従うこともできるけど。」と言いたくなる。その通りである。聖書は、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも妻たちを愛しなさい。」を強調し、アガペー(献身的な自己犠牲的な愛)を勧めている。キリストが先んじて教会を愛されたように、このような愛で愛されてこそ、妻は従えるのである。「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、一心同体となる」(5:31)と勧められているが、「結ばれ」は、神と人、人と人の親密な関係を表す重要な動詞である。それが、妻たちと夫たちに使われている。この言葉は、子どもたちと父たち、奴隷たちと主人たちとの関係とも深く関係する言葉である。それぞれに関係を結びつける、関係性を表す言葉が書かれてある。最後は「主は人を差別されることがない」(6:9)とある。差別を克服する教えなのである。
by maranatha | 2013-07-14 06:28 | 聖句の誤用
宗教問題