村上 密 Blog:レストレーション
2020-08-31T16:32:27+09:00
maranatha
宗教問題
Excite Blog
教団の危機
http://maranatha.exblog.jp/29160742/
2020-08-31T16:32:00+09:00
2020-08-31T16:32:27+09:00
2020-08-31T16:32:27+09:00
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レストレーション
間違った聖書解釈
http://maranatha.exblog.jp/28454815/
2019-07-10T22:01:00+09:00
2019-07-10T22:01:07+09:00
2019-07-10T22:01:07+09:00
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レストレーション
主の再臨前には大リバイバルが起きると言っている。しかし、イエスは「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」(ルカ18:8)と語られた。パウロは「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。」(2テサロニケ2:8)前者は自分たちの願望を語っているに過ぎない。その願望を共有し、運動に献身していくと願望と現実の落差に失望するときがくる。しかし、イエスとパウロの教えに耳を傾けて終末に備えるならば、失望することはない。聖書の教えに堅く立って再臨を待ち望むようになる。しかし、間違った再臨待望論の影響を受けた人々が増えるとして、それをリバイバルと言うならば、それも気を付けなければならない。リバイバルと終末論を結びつけるのは避けよう。]]>
レストレーション
http://maranatha.exblog.jp/27581660/
2018-10-05T09:35:00+09:00
2018-10-05T09:35:07+09:00
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レストレーション
『日本のキリスト教会に忍び寄る危険なムーブメント』発売
[ 2018-10 -04 11:48 ]
「五役者の回復」の誤り
[ 2015-10 -26 23:15 ]
五役者の回復の誤り
[ 2014-10 -13 19:45 ]
聖書にない「五役者の回復」
[ 2014-09 -11 21:25 ]
ダビデの幕屋の回復
[ 2014-01 -14 18:08 ]
レストレーションの流れ
[ 2013-05 -04 00:00 ]
レストレーション
[ 2013-05 -01 17:11 ]
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『日本のキリスト教会に忍び寄る危険なムーブメント』発売
http://maranatha.exblog.jp/27580197/
2018-10-04T11:48:00+09:00
2018-10-04T22:18:05+09:00
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レストレーション
真理のみことば伝道協会のホームページにはNRAに関して「アメリカのカルト問題の専門家たちの間で問題視されているのは、行き過ぎた権威主義、聖書の軽視、極端な経験主義、神秘主義、偽預言による被害、「支配神学、既成教会の否定などです」と書いてある。
NARには、レストレーションの流れに身を置く教職が多数含まれる。米国アッセンブリーズ・オブ・ゴッドは1949年4月20日にレストレーションを間違った教えと公表している。9月3日には総会で決議している。しかし、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(JAG)には、レストレーションの危険性に気付かない教職がいる。 「24 時間祈りの家」に取り組む教会がいくつかあるが、これはダビデ時代の24時間賛美礼拝の回復を提唱している。「24時間祈りの家」は「ダビデの幕屋の回復」の言い換えと言える。驚くことに、教団の指導的な教職の中にもこのムーブメントに共感している教職がいる。アメリカでは分裂が起きたほどであるが、日本では分裂が起きていない。認識が低いからである。ウッド師の本がJAGの中で広く読まれることを願う。
引用:https://cult-sos.jp/cultarticle/cultnews/1854/
参考:https://lhconcernjp.wordpress.com/
関連記事:AGを侵食する新使徒運動
https://maranatha.exblog.jp/25800131/
その他:下記は新使徒運動とレストレーションについて書いたブログの記事である。
https://maranatha.exblog.jp/25795951/
https://maranatha.exblog.jp/25258081/
https://maranatha.exblog.jp/25147004/
https://maranatha.exblog.jp/25121395/
https://maranatha.exblog.jp/23480577/
https://maranatha.exblog.jp/22538431/
https://maranatha.exblog.jp/21146468/
https://maranatha.exblog.jp/20820124/
https://maranatha.exblog.jp/23811352/
https://maranatha.exblog.jp/22470423/
https://maranatha.exblog.jp/22378740/
https://maranatha.exblog.jp/21569908/
https://maranatha.exblog.jp/20412554/
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「五役者の回復」の誤り
http://maranatha.exblog.jp/23811352/
2015-10-26T23:15:00+09:00
2017-07-06T15:33:57+09:00
2015-10-26T23:14:27+09:00
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レストレーション
参考:聖書にない「五役者の回復」
http://maranatha.exblog.jp/22378740/
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五役者の回復の誤り
http://maranatha.exblog.jp/22470423/
2014-10-13T19:45:00+09:00
2017-07-06T15:34:27+09:00
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レストレーション
使徒と書いてないがないが使徒並み)、テモテ、シルワノ、アンドロニコ、ユニアスの20名である。預言者は、新約聖書中、アガポ、ユダ、シラス、ピリポの4人の娘で7名である。伝道者は、ピリポ、テモテで2名である。テモテは使徒でもある。牧師または教師では、牧師は聖書中1回のみである。だれが牧師か分からない。「牧師または教師」は「または」と接続詞で結び付けられ、一つの定冠詞の下にあるので、一つの職制の2つの側面と言えよう。パウロが「私は、この福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命された」(2テモテ1:11)、更にパウロは「私は宣伝者また使徒として任じられ・・・信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。」(1テモテ2:7)と言っている。パウロが教師だが牧師だろうか。パウロの職制は一つだけではない。この他に、みことばに仕える職務で長老と監督があるが、パウロがエペソの長老たちを呼んで、「聖霊は・・あなたがたを群れの監督にお立てになった」(使徒20:28)と言っているので同じ働きである。使徒ペテロは「あなたがたのうちの長老たちに、同じ長老のひとり」(1ペテロ5:1)と言っている。彼は使徒であり、長老である。長老であるが監督とは言い難い。使徒亡き後、エウセビオスによると、監督は重要な職制になっている。AはBである。BはAである場合と必ずしもAではない場合がある。このようなことを十分考察するならば、レストレーション運動の牧師たちが単純に「五役者の回復」と言っていることは、タブロイド思考(*)である。五役者の回復を預言している箇所は聖書にはない。願望と預言を混同してはならない。
*ja.wikipedia.org/wiki/タブロイド思考
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聖書にない「五役者の回復」
http://maranatha.exblog.jp/22378740/
2014-09-11T21:25:00+09:00
2017-07-06T15:35:05+09:00
2014-09-11T21:25:45+09:00
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レストレーション
ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師または教師として、お立てになったのです。」(エペソ4:11)から作られた言葉である。ここからも、聖書のどこからも、「五役者の回復」の根拠となる聖書箇所を見つけることはできない。。ところが、「五役者の回復」を主張する人々は、聖書的根拠がなくても、終末には「五役者の回復」がされると信じている。伝道師はいる。牧師または教師もいる。足りないのは、預言者と使徒である。まず、これを主張する人々は預言者を騙っていた。それから、使徒を自称するようになった。お互いが、預言者、使徒と認め合い、いつの間にか、世界中に預言者と使徒が増えてしまった。そして、自称預言者と使徒によって、混乱がキリスト教会にもたらされた。「〇〇使徒教会」と臆面もなく教会名を名乗り、牧師を使徒と崇める教会も出て来た。このような風潮は、後の雨運動の流れを汲む単立系のカリスマ教会によく見られる。
使徒時代、どんな働き人たちがいたか。エペソ4:11、ローマ12:6~8、1コリント12:28~30を参照すれば分かる。これに加えて、テトスへの手紙には「長老」(1:5)「監督」(1:7)が、テモテへの手紙第一には「監督」(3:1)「婦人執事」(3:11)「執事」(3:12)が書いてある。ペテロは使徒であるが、「私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じく長老のひとり」(1ペテロ5:1)と言いている。「ある人を牧師または教師」(エペソ4:11)とは別々の務めではなく、一対になった二つの働きである。使徒であるペテロもまた長老という勤めを併せ持っている。エペソ書から「五役者」を声高に取り上げる必要は全くない。教会は、多様な働き人たちの協力によって成り立っている。
使徒たちがまだ生きていた時代に監督と言う職務があった。エペソ教会の監督はテモテ、アテネ教会の初代監督はデオヌシオ、エルサレム教会はヤコブ次にシメオン次にユストス、ローマ教会はリヌス次にアネンクレトス次にクレメンス次にエウァレストス、アレクサンドリア教会ははアン二アヌス次にアビリウス、アンティオキヤ教会はエウオディウス次にイグナティウス、スミルナ教会はポリュカルポス、ヒエラポリス教会はパピアス。以上『エウセビオス「教会史」(上)』(講談社学術文庫 訳/秦剛平)より書き出してみた。初代教会時代の使徒たちの後、重要な職務は監督であった。「五役者の回復」を主張する人々は「五役者」の中に長老や監督を加えることはない。それは、教会の歴史性を無視した、ご都合主義である。
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ダビデの幕屋の回復
http://maranatha.exblog.jp/21569908/
2014-01-14T18:08:00+09:00
2017-07-06T15:35:47+09:00
2014-01-14T18:08:18+09:00
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レストレーション
この他に、罪の告白は、人に対して行うことで、赦しと解放が与えられる。現代の教会は、使徒と預言者の土台の上に築かれる。按手によって、賜物が与えられる等がある。私は、ブログで後の雨運動を否定してきたが、これは私が個人的意見を述べているのではない。私の主張の根拠は、米国アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団大23回の総会決議である。この総会で、後の雨運動は否認されている。その後もこの決議は覆されていない。覆っていないのであるから、教団の内外を問わず、これを認めない、と言うのが私の立場である。そこで、アッセンブリーの教職が、後の雨運動を信奉する団体と交流をしたり、宣教活動で協力関係を結ぶことは、後の雨運動を容認する行為である。エンパワード21に日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の牧師が参加したり、協力したりすることは、教団の歴史認識が欠乏している行為である。それが、米国であろうと日本であろうと、どんな立場の牧師であろうと関係ない。もし、後の雨運動を正しいと見做しているのであれば、按手礼に反する。正しい教理を伝えることが、牧師の務めだからである。
人が罪を赦しても、神の赦しがなければ、人に救いはない。イエス・キリストが十字架で人の罪を赦してくださった、と信じるならば、神は私たちを義としてくださる、と聞いたから信じたのである。人が他人に対して罪を犯した。その赦しが欲しい場合、それは、そう人たち同士でな話し合い、謝罪と弁償で解決すればよいことである。どうして、関係ない人々にまで罪の告白をしなければ赦しと解放がないのか。罪の悔い改めを人前で行うことが、どこから始まったのか。少なくとも、カリスマ運動においては、その源である後の雨運動である。個人情報を集団の中で暴露することに何の問題も感じていなかった沖縄キリスト福音センター(美浜教会)では、礼拝の中で詳しい罪の告白が強要され、テープに録音され、販売されていた。これはプライバシーの侵害であるが、その認識がこの教会にはなかった。カリスマ運動を取り入れている教会では、多かれ少なかれ、プライバシーの侵害と取れる罪の告白が人前で求められている。使徒と預言者の土台の上に教会は築かれる。これが現代のピーター・ワグナーの使徒運動につながっている。私がこれを否定するのは、この運動が、後の雨運動の教えだからである。もちろん、福音主義神学に立つ牧師であるならば、容認できない教えである。この使徒運動を信奉している牧師が、エンパワード21の運営者の中に名を連ねている。それで、アッセンブリー教団の理事長の個人参加は、教団の責任者として、歴史認識を欠く行為である。もちろん、米国のジョージ・ウッドも同様である。これは教団への背信行為と言える。私は、アッセンブリーの教理の立場からこれを言っている。
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レストレーションの流れ
http://maranatha.exblog.jp/20426148/
2013-05-04T00:00:00+09:00
2017-07-06T14:21:45+09:00
2013-05-03T20:50:50+09:00
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レストレーション
レストレーションの特徴は、その名が示す通り、回復である。終わりの時代を迎え、使徒的働きが回復された、按手によって御霊の賜物が付与されると主張する。今日、「五役者」特に使徒、預言者の回復を強調し、使徒、預言者を自称する牧師たちは、このレストレーションの流れを汲む人々と見做なされる。ピーター・ワグナーはこの代表的な人物である。彼は国際使徒連盟を設立している。この連盟の「使徒」たちは、預言を強調し、実践することで知られている。終わりの時代に、にせキリストが現れ、多くのにせ預言者が現れる、と預言されているが、ベントリーが「使徒」と任命された直後に、不道徳が発覚し、任命したピーターワグナーたちの識別力のなさが明白になった事件がある。
預言重視
ホープ・チャーチの「プランティング・セミナー」の資料の中には、「ホープ・チャーチに与えられた預言」が掲載されている。預言した人物は、フランク・デマジオ、ルイ・ハナンデス、ウィンデル・スミス、ジェニー・スミス、マイク・ヘロンである。フランク・デマジオはホープ・チャーチの監督教会の主任牧師である。預言を掲載したのは、ホープ・チャーチが、いかに神に祝福された教会であるか、入会しようとしている人に強調したいからである。このことからも、レストレーションの影響を受けていることが分かる。
日本ペンテコステ親交会
「日本ペンテコステ教役者大会」を主催する「日本ペンテコステ親交会」の委員長は、スティーブン・ケイラー牧師である。この親交会の常置委員、協力委員は、繁栄の神学とレストレーションの影響を受けた牧師たちが多数である。この教役者大会は、アッセンブリーの教職も参加するが、歴史的経緯を知って参加しているのだろうか。親交会の顔ぶれは、日本ペンテコステ協議会の加盟基準を超えている団体である。。レストレーションは、米国アッセンブリーの歴史の中で、否認されている教えである。『ありのパパのありのままのブログ』は「ピーター・ワグナー先生のこと」で、「五役者復活運動」、「預言者運動」が米国アッセンブリーから異端宣告を受けている、と指摘している。そのような米国アッセンブリーも繁栄の神学の影響を受けている。その中で、米国アッセンブリーの教職であり、リージェント・カレッジの著名な新約学者のゴードン・フィーは、繁栄の神学に強く反対している。「日本ペンテコステ教役者大会」には今まで、アッセンブリーの教えと相容れない講師が随分招かれている。さて、スティーブン・ケイラ―牧師の背景を知らない、レストレーションの歴史を知らない世代が彼を講師に推薦し、それが日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団内で通るようなことが起きてきた。また、教団内の集会に教理的に問題視される講師が招かれるケースも起きており、穏健なペンテコステ派と目された日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が福音主義から逸れ始めているのでは、と懸念している。もちろん、福音派に属する諸教団にも、ムーブメントを追っかける牧師やカルト化する牧師たち、更に異端的な教理に傾倒する牧師たちも現れている。宣教的融和主義に陥った教団・教会は混乱の時代を迎えている。]]>
レストレーション
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2013-05-01T17:11:00+09:00
2017-07-06T14:22:32+09:00
2013-05-01T17:12:01+09:00
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