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村上 密 Blog

カテゴリ:聖書と法( 11 )

カエサルに上訴

パウロは、なぜ、カエサルに上訴したのか。簡単に使徒の働きを振り返ってみると、パウロはアナニヤから自分がイエスの名を「異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ器です。」(9:15)と聞かされていた。そのため、彼は異邦人に福音を伝える働きを忠実に果たしてきた。彼は三次の伝道旅行をした。その過程で、「私は、心を縛られて、エルサレムに上る途上です。そこで私にどんなことが起こるかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でもは私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っているといわれることです。」(20:22,23)と示されていた。それゆえ捕縛の覚悟はできていた。ユダヤの最高議会であかしをした。(22、23章)その過程で、パウロは夜、「主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかししなければならない』と言われた。」(23:11)これが上訴した理由の一つである。もう一つは、パウロの姉妹の息子がユダヤ人たちのパウロを殺す陰謀を耳にしてパウロに告げた。パウロはそれを千人隊長に伝わるようにした。それで、裁判がエルサレムからカイサリヤに移った。裁判を担当したフェリクスは、ユダヤ人の歓心を買おうとして、裁判をエルサレムでするかと問われた時、パウロは「カエサルに上訴します。」(25:11)と言ったわけである。こうしてパウロは、アナ二ヤから聞いた「イエスの名を・・・王たち・・に運ぶ器」(9:15)となった。

使徒の働きには「裁判」10回、訴えるが6回、出廷が2回出て来る。それは使徒の働きの終わりに集中している。ルカは福音書において、イエスが十字架にかけられて息を引き取られた時、百人隊長が「この人は正しい方であった」(23:47)との証言を記録している。使徒の働きにおいては、千人隊長から総督ペリクスへの文書に「死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました」(23:29)と書いてあることを記録している。考えられることは、ルカがパウロのローマでの裁判に必要な「準備書面」を用意したのではないかと言うことである。パウロはどのような方を信じたのか。それをルカの福音書で書いた。その中に、イエスが罪がないことを書いた。そして、使徒の働きで、教会がどのように異邦人に伝わったか。その担い手であるパウロがどのようにしてイエスをキリストと信じるに至ったか。福音のゆえに囚われに身になったパウロが罪がないと千人隊長の証言を引き合いに出して、ローマで起きている裁判を勝訴に持って行こうとしているように思えるのである。裁判でパウロの弁護をしていると思われるテオピロに詳しい経過を2巻の文書にして送ったのではないか。

by maranatha | 2019-07-23 23:43 | 聖書と法

目には目を歯には歯を

目には目を歯には歯を、を調べると、過剰な復讐を防ぐための教えとか同等報復とか書いてある。聖書を知っていると思っていて、目を傷つけられたら相手の目を同じように傷つけてよい、歯を折られたら相手の歯を折ってよい、と理解していたら、それは間違いである。聖書は、何か損害を受けたなら、2人か3人の証人を伴って裁判に訴える。裁判官が、経過を理解し、判決を下す。目や歯への報復は被害を受けた人ではなく、刑罰を執行する人が行う。私的な復讐は規制されている。被害は、正当な手続きを持って行ってこそ、報われるのである。加害者が目に対して刑が執行されるのを望まない場合、金銭で被害者に償うことで免れることもできる。イエスの時代にもそれ以前にもイスラエルには裁判があった。このようなことが聖書に断片的に書いてあるが、通読とかでは読み過ごしてしまう。また、ちょっとどこかで学んだぐらいでも読み取っていない場合が多い。イエスは教会の中で起きる罪の問題や重要な決定を行うときのことをどのようにするかを教えられた。それがマタイの福音書16章18章の中で書いてある天の御国の鍵である。イエスはペテロにそして弟子たちにそれを与えられた。それは教会に与えられたものである。そして、弟子たちは教会でそれを執行した。それが使徒の働きに中にいくつも出て来る。一番大きな出来事は15章のエルサレム会議である。
by maranatha | 2019-07-23 09:13 | 聖書と法

聖書と法

使徒の働き16章から何を学ぶことができるだろうか。ピリピでパウロは不当な扱いを長官たちから受けた。ローマ市民であるパウロとシラスを、有罪判決を受けていないのにむち打ち、牢に入れた。このことを詫びずに去らせようとしたとき、パウロはローマ市民権を言い立てた。この発言を聞いた長官たちはやってきて、2人をなだめ、牢から出し、町から去るように頼んだ。看守が自害しようとしたのは、逃げられたら死を持って償う責任が看守にあったからだ。なぜ長官たちがわざわざなだめに来たのか。パウロがローマの市民権を用いて長官たちの不当行為を申し立てたからだ。長官といえどもローマ法には勝てない。彼らの不当行為をパウロはローマ法で謝罪するように働きかけたわけである。パウロは訴訟を起こしたわけではないが、法に訴えて、長官たちの不当行為を詫びさせた。パウロが法に訴えれば、長官たちは地位を失うことになる。ローマ法も守らない長官は失格だからだ。だれかがどんなに偉い立場であっても、不当行為を犯せば、法によって裁かれる良い例である。
これは現代でも言えることである。聖書だけで全ての問題を扱おうとしたら、解決をしないかもしれない。しかし、法律を用いれば速やかに解決するものがある。悔い改めない人を謝罪させる方法に法律があることを知れば、問題解決には聖書と法律があることになる。法を知らないために、法を否定することは、パウロの生き方から学ばない生き方である。私は聖書も法律も使って宗教問題を扱ってきた。

使徒の働き16章
19彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。
20そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、
21ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」
22群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、
23何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
35夜が明けると、長官たちは警吏たちを送って、「あの人たちを釈放せよ」と言わせた。
36そこで看守は、この命令をパウロに伝えて、「長官たちが、あなたがたを釈放するようにと、使いをよこしました。どうぞ、ここを出て、ご無事に行ってください」と言った。
37ところが、パウロは、警吏たちにこう言った。「彼らは、ローマ人である私たちを、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それなのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。とんでもない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです。」
38警吏たちは、このことばを長官たちに報告した。すると長官たちは、ふたりがローマ人であると聞いて恐れ、
39自分で出向いて来て、わびを言い、ふたりを外に出して、町から立ち去ってくれるように頼んだ。
40牢を出たふたりは、ルデヤの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った。
(引用:新改訳2017)

by maranatha | 2019-07-21 23:57 | 聖書と法

追及

ある宗教団体で起きた不祥事を扱っている。加害者が行為を認めない。そこで加害行為を目撃者した人たちに証言を書いていただいた。文書に、誰が、いつ、どこで、何を、どのように、を書いていただいた。この証言で、もし団体の執行部が加害者を庇うようなことがあれば、執行部の隠ぺいとなる。すでにこの不祥事は時効(民法724条)を迎えている。しかし、宗教団体で起きた不祥事には時効はない。道義的責任を果たさなければならない。執行部は訴えを取り上げなければならない。裁かなければ、裁く立場が責任を果たさないならば、それが責任問題となり追及される。
by maranatha | 2018-05-11 22:54 | 聖書と法

聖なる法か 世俗の法か 2

一般社会では、不当解雇にあった人が地位保全の裁判をして、不当な処分によって失った地位の回復と利益を取り戻すために損害賠償を請求することがある。Tさんは教会の中で何ができるか。客員決定の日時と理由を、牧師の話ではなく、役員会議事録にどのような理由で客員となったかを確認するために閲覧請求ができる。教会員であっても、外国人教会の教会員であっても、同じ宗教法人の下で教会員である。それを拒むなら、閲覧請求のために裁判所に提訴できる。役員会議事録に明確な理由なしに客員となっていた場合は、不当とみなし、教会員に復帰する提案を教会に提出することができる。もし、役員会議事録を閲覧して、教会員から客員になった記述がない場合は、教会はTさんに対して謝罪と教会員に対して公の場で謝罪をしなければならない。今後、二度と同じことが起きないように気を付け、再発防止策を講じなければならない。この場合、一般社会における不当解雇による賃金未払い分を損害請求するように、教会に対して損害賠償を請求することはできない。そこに賃金の損害が発生していないからである。被ったのは精神的なダメージである。何の知らせもなく、一方的に教会員から客員に籍を移動され、教会員の当然の権利(閲覧請求)を奪われた。権利の侵害である。となれば、民事で精神的な慰謝料請求の道も開けてくる。教会を正すために法の力を借りることは避けがちであるが、自浄作用がなければ裁判も視野に入れる必要がある。
by maranatha | 2018-02-28 22:10 | 聖書と法

聖なる法か 世俗の法か 1

TさんはS教会で洗礼を受け、教会員となった。ところが、TさんがS教会に対して閲覧請求をしたとき、S教会は、あなたは客員だから閲覧請求はできない、と言って拒んだ。TさんはS教会の礼拝に出席を続けてきた。それでも、いつ客員になったかを聞かされていなかった。客員になった年月日を問うがはっきりしない。Tさんはどこの教会からの客員かと聞くと、S教会の宗教法人の下にある外国人教会からの客員であると言う。Tさんは、外国人教会から私たちの教会員ですと言われたことはない。S教会と外国人教会の間では話し合いはなく、文書による通知もない。もし、個人の籍が勝手に他に移っていたら大変な問題である。ところがS教会では重大な問題であるとの認識がない。



by maranatha | 2018-02-28 22:08 | 聖書と法

正しい判断

教会の駐車場で接触事故が起きたと仮定しよう。当てた人が謝るだけで済むだろうか。示談で済ませる場合もあるが、自動車の保険会社に任せるか、警察を呼ぶかである。より客観的な判断が大切である。

教会の中で盗難があったと仮定しよう。牧師は被害にあった人に警察に届けないように言った。理由は、教会の恥になるから。これでは何の解決にもならない。これは、解決ではなく、隠ぺいである。

教会の中で、障害者への差別発言があった。発言者への厳重な注意と被害者への謝罪は当然である。ところが、牧師や役員会が差別発言をした場合はどうだろうか。注意すべき立場の人が注意されるべき立場になったわけである。誰もこの問題を扱わないで放置され、被害者は深刻なダメージを受けた。被害者が取れる取り組みは、法務局に常設されている人権相談所に相談することである。それでもだめなら弁護士に相談して、解決する道がある。大切なのはあきらめないことである。そうでなければ、教会全体が差別体質を持ったまま教会運営をして、これからも被害者が出続けるからである。深い悲しみは自分で止める勇気が必要である。

by maranatha | 2017-12-05 12:10 | 聖書と法

侵犯事実不明確

人権侵犯したと思われる東北のある教会を人権擁護局に訴えた。ところが、人権擁護局の呼びかけに責任者の牧師は応じない。それで、人権擁護局の調査は進まず、「侵犯事実不明確」の通知が届いた。人権擁護局に訴えたのは、途中から交渉に応じなくなったので、公的機関の力を借りたわけである。強制力がないので、牧師は応じなかった。強制力はないが、正しければ逃げる必要はない。相談者には時系列の記録をすでに相談の時点から依頼している。人権侵害の証拠文書もある。この文書は専門的な分野の人に「人権侵害」だとの意見を聞いている。裁判をしないで解決したかったが、せざるを得ない状況になってきた。

参考:http://www.moj.go.jp/content/000002021.pdf
人権侵犯事件調査処理規程(平成16年法務省訓令第2号)(事件の調査及び処理の目的) 第2条 事件の調査及び処理は,人権侵犯の疑いのある事案について,関係者に 対する援助,調整の措置を講じ,又は人権侵犯の事実の有無を確かめ,その結 果に基づき,事案に応じた適切な措置を講ずるほか,関係者に対し人権尊重の 理念に対する理解を深めるための啓発(以下「啓発」という。)を行い,もっ て人権侵犯による被害の救済及び予防を図ることを目的とする。

by maranatha | 2017-04-04 21:45 | 聖書と法

裁きなさい

コリントの教会の信者は、教会の中で本来は裁かなければならないことを、教会外の裁判に訴えている。日本の教会は教会で本来裁かなければならないことを、裁いてはならないと教えている。教会内で裁きがないので、教会外の裁判に訴えると、赦しなさいの一点張りで、加害者を擁護する立場に立つ。教会は本来、弱い立場の人々を助ける働きを担っている。それなのに、なぜ、加害者に、謝罪しなさい、償いなさいと言えないのか。そこには、加害者が教会内で力を持っていたり、献金が多かったりしていて、教会と加害者の関係をこじらせたくない、教会(或いは牧師)の保身が働いている。結果的に、教会は倒れた旅人を遠回りで避けて通る祭司やレビ人になっている。

イエスの時代には、エルサレムにサンヒドリン(最高法廷)があった。地方にある会堂は、地方裁判所として用いられた。ユダヤ教では、モーセの律法に基づいて、民事刑事の裁判が行われた。キリスト教には、「天の御国のかぎ」が与えられている。これが、教会内において、正義と公平を持って裁く教えである。ユダヤ教が裁判を持っていたように、キリスト教も教会内に裁判を持っている。

参考:「サンヒドリンはエルサレムの外、エリコ・ガリラヤのセフォリス・ハマテ・ガダラに支所が設置されている。その他各地に地方裁判所があり、最低3人で構成し裁判官・書記・執達史・執行人を置いている。」(『新約聖書の背景』北川博水)

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by maranatha | 2016-12-27 21:50 | 聖書と法

規則を無視した教会から、規則に基づく教会運営へ

2016年11月10日、私は代理人として、委任者と共にブレッシングチャーチインターナショナル(国際祝福教会)を訪問した。目的は閲覧請求である。開示の用意はしてあったが、条件付きであったので、閲覧をしないことにした。閲覧の目的は、如何に規則に基づかない教会運営をしているかを確認するためであった。そして、悔い改めと健全な教会運営を促すためであった。私たちは、代理人の弁護士、代表役員と責任役員、スタッフと協議した。規則があっても、規則に基づかない教会運営をしてきたことを認めた。役員会も総会も開かれてこなかったので、これでは叩けば叩くほど「叩けばほこりが出る」ことになる。しかし、教会は自分たちの非を認め、規則に基づく教会運営をすることを、私たちの前で約束した。私たちの訪問の前に急遽臨時総会が開かれた。教会始まって以来である。総会資料には弁護士の指導の下に必要な事項が掲載されてあった。教会員は初めて収支報告、財産目録等を知ることになった。このことによって、教会内で様々な議論がされることになる。疑問に対しては説明責任も生じる。委任者が願っていたことが始まっている。私は、弁護士に責任役員に規則に基づく教会運営を教えるように要望した。悔い改めて、再出発する教会にとって、私のブログの記事が重荷とならないように削除することにする。私は教会の敵ではない。健全な教会運営を勧める使者である。
by maranatha | 2016-11-11 10:32 | 聖書と法
宗教問題