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村上 密 Blog

カテゴリ:聖書啓示( 2 )

エンパワード21全日本大会 聖書啓示に勝る啓示があるか

 エンパワード21全日本大会が開催中である。この時期に、この大会を福音主義に立つペンテコステ派の一牧師がどのように見ているか、ブログを集めて掲載したので読んでいただきたい。エンパワードは、後の雨運動の系譜に連なる運動である。アッセンブリーは後の雨運動を異端としてきた経緯がある。一線を画してきたはずである。ところが、最近の流れは、そうとも言えない状況になっている。アメリカのAG総会で、撤回されたとは聞いていない。日本もアメリカの見解に準拠しているので、以前として後の雨運動を異端としている。その見解が、撤回されたことはない。なし崩し的な「友好」は好ましくない。ここは「友好」より教理的立場を尊重すべきである。後の雨運動はカリスマ運動の中に浸透していった。アッセンブリーはペンテコステ派であり、カリスマ運動とは異なっている。区別をできない人々が増えて来たのか、結構交流が増えてきている。それが、使徒・預言者運動などの浸透によって、かき回されることが起きている。アッセンブリーが、JEAに加盟したとき、アッセンブリーが福音主義であることが認知された。以前からもそうであったのであるが、そうではないのでは、との嫌疑から、スタートの時点で加盟はできなかった。そのような経緯であるから、今になってカリスマ路線に傾斜していくのは信義誠実の原則に反すると私は考える。私は福音主義に立っている立場なので、今の路線には辛口である。ここで大きな問題は啓示の問題である。聖書啓示より、預言を重んじると言っていながら、預言を重んじる教団や教会、或いは牧師と親密な交流をするならば、第三者はどのように見るだろうか。聖書啓示を重んじるなら、疑わしい交流は避けるべきである。また、JEAは最近のムーブメントに対して、見解を表明すべきである。なぜなら、加盟団体の教団の教会の牧師の中に影響を受けている人が見られるようになったからである。それは、その教団内の問題と言えばそれまでであるが、JEAの見解を参考にして対処したいはずである。内部の摩擦を避けるため、JEAがこのような見解を取っている、と言うのは助けになるからである。本当は自分たちで取り組まなければならない問題であることは言うまでもない。団体の交流が拡大してくるとこのような問題が起きてくる。私はここで教派主義を持ち出しているのではない。私は福音主義の立場から、現代における啓示を重んじ、自分が現代の使徒・預言者であると言っている人物や団体に惑わされないように異端の教えに警告をしているのである。
by maranatha | 2013-10-13 08:10 | 聖書啓示

聖書の無誤性

 聖書の無誤性に関するシカゴ声明は「聖書の原典において誤りがない神の言葉であると宣言している。」(ウィキペディア)聖書の霊感についての聖書箇所は「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良き働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(Ⅱテモテ3:16,17)シカゴ声明は失われている、見たことのない原典を、誤りがない神の言葉としている。これは飛躍である。だれが見ていないものを誤りがないと断言できるのだろうか。シカゴ声明が言う「聖書」は66巻(旧約39巻、新約27巻)を指している。パウロがⅡテモテを書いたときは、新約27巻は定まっていない。そして、パウロが「聖書」と言っているのはヘブル語の旧約聖書を指している。それも、原典について言っているのではなく、シナゴーグで読まれている聖書である。パウロは限定して言っているのではない。すでに普及している旧約聖書を取り上げていっている。なぜなら、パウロは「幼きころから聖書に親しんで来た」(Ⅱテモテ3:15)と言っているからである。パウロは「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができる」(3:15)と言っている。幼き頃から親しんで来た聖書が、「救いを受けさせることができる。」(3:15)のである。また、パウロは「教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益」それゆえ「すべての良き働きのためにふさわしい十分に整えられた者となる」(3:17)とも言っている。聖書が66巻になるとは思いもしなかった時代に書いている手紙を根拠に66巻を「聖書は原典において」とは踏み込み過ぎた声明と思われる。声明文で救われるのではない。聖書によって信仰による救いを受けるのである。パウロの言うところの聖書で救われるのである。パウロの立場を私たちの立場として歩めば、十分に聖書的な信仰である。パウロは目にしていないもの(原典)ではなく、手に取って、読むことのできるもの(ヘブル語聖書)でテモテに語りかけている。声明文を作るとき、どうしても無理や飛躍が出てくる。教理が霊感されているわけではない。パウロの時代、聖書を用いて惑わしが横行していた。聖書が有害なのではなく、用いる人の解釈が誤りをもたらすので、啓発的な手紙を書いている。「どの人たちからそれを学んだか」(3:14)は当然パウロが含まれている。聖書を悪用する人が聖書をもって人を正しい信仰に導くことはできない。たとえ、救われたとしても、信仰は歪められて、有益な人には成長しない。聖書を支配の道具として用いるならば、速やかな裁きが悪用する人に下る。悪用が赦されるわけがない。それは偽教師だからである。私はシカゴ声明をそのまま受け入れてはいないが、聖書の霊感を信じている。「すなわち、聖書の預言の言葉はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(Ⅱペテロ1:20、21)このようなペテロの言葉を信じて、心にとめ、信仰生活を過している。声明をそのまま信じている人は、私の見解に異論があるだろう。ただ、私はどんな学者が知恵を集めても、見ていないで「原典において誤りがない」は実証的な見地ではなく、もはや失われた原典を祭り上げているように思える。 なぜなら、「原典において誤りがない」を支持する聖句はどこにもない。救いは、聖書を重んじるパリサイ人によってもたらされたのではなく、イエスをキリストと信じる人々によってもたらされた。どのように解釈し、どのような立場であるかも大事である。
by maranatha | 2013-05-31 09:29 | 聖書啓示
宗教問題