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村上 密 Blog

カテゴリ:故郷( 41 )

母が90を迎える。妻が誕生日カードに何か、書いてください、と手渡してきた。長生きしてください、とだけ書いた。妻がほかに何か書くことはないのですか、と尋ねたので、ない、と答えた。90歳、十分に長生きである。それでも、長く生きしてほしいと息子は思う。私も兄も妹も同じ気持ちで過ごしている。父が66歳で召された時、兄が、私が、妹が、おっかさん、おとっつあんの分まで長生きしてはいよ、と願った。願いが叶って90。父の火葬のとき、妹が母に、おっかさんがなくなったときゃ火葬にゃせん。塩漬けにするたい。母は妹に、そぎゃん、愛せんでよか。私が妹に、塩漬けより油漬けが長持ちすっと。私たち家族は悲しみも苦しみも深刻に話さない。父が召される前、おら、むらでいちばんしあわせもんたい、と何度も言っていた。だから、残った者たちは、おとっさんないちばんよかときなくなったたい、と言って慰め合った。あれから34年。母はやせて小さくなった。料理も作らなくなったが、私が帰れば、ぜんざいを今でも作る。おもさん、たべなっせ。おっかさん、もうそぎゃんたべれんようになった。そぎゃ~いわんにゃ、もっとたべなっせ。こんな会話をたびたび繰り返している。ありがたい。ありがたい。
by maranatha | 2019-11-22 17:47 | 故郷

経文石に「密」の文字

大智禅師が創建したと伝えられる楳谷寺(梅谷寺)の奥の院から経文石が出た。その数10万個、映像(1)を見ることができる。その石に「密」の文字があることを知人が教えてくれた。奥の院も大智禅師の座禅石も子供の頃の遊び場である。映像の中で説明をしておられる住職さんは森先生で、私の保育園児の時の園長先生の息子さんである。私が日曜学校の教師で、バスに乗り遅れて遅刻しそうになった時、バス停に立って祈っているとき、森先生が目の前で車を止めて、密さんどこ行くの、島崎です、通り道たい、とやり取りして乗せてくださった。おかげで遅刻しなかった。森先生は島崎を通て金峰山の山越えで河内へ向かわれた。当時、河内の学校の先生をしておられた。今日、河内から来られた相談者と話しているとき、その方の娘さんが森先生の教え子だと聞いた。私の親戚のいとこ達も森先生から教えていただいた。

(1)https://www.youtube.com/watch?v=Kx86Y9H7YeA

by maranatha | 2019-10-09 00:39 | 故郷

肥後の小山瓦

肥後国分寺跡から楳谷寺瓦窯跡で焼かれたものが出土したことは知っていた。楳谷寺から国分寺跡へは南西約8kmである。江戸時代に小山で瓦が作られていることも肥後地誌で知っていた。最近、もっと詳しい情報を下記のサイトで知った。熊本城の瓦に小山瓦が使用されている。今まで聞いたことがなかったので、住んでいる人たちも知らないのではないか。この記事が小山に住む人の郷土の歴史を知るきっかけになればよいと思っている。

楳谷寺には以前小山保育園があった。その園に入園していた私にとって窯跡あたりは遊び場だった。しかし、その当時は知らずに過ごしていた。寺から坂道を下ると途中のお堂のあたりは瓦用の粘土を採ったところである。さらに坂道を下ると、昔、瓦を造っていたK家がある。その斜向かいは瓦用の粘土を採ったところである。いずれも私の幼少期の遊び場である。遊んだあたりが瓦の歴史と関係していることに感動している。

引用:https://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=5566&sub_id=3&flid=52725

by maranatha | 2019-10-09 00:09 | 故郷

故郷の地形と地層

家の土場(資材置場)は黒土。隣の土地も黒土だが、宅地造成するときに隣の土地の下の層から大石がたくさん出てきた。その話を聞いて、地形を実際に見るために造成地に行った。東が高く西に低くなっている。しかし、大石の層は近くの土地の造成から南から北に位置していることがわかった。現在の地形と大石のできた時代の地形が違うことがうかがわれる。ここから東に500メートル行けば縄文遺跡が散乱しているところである。その場所から、くぼ地が西に向かい、溝となり、水が流れ、やがて健軍川に合流する。健軍川の最上流である。この水の流れの向きと、大石の地層の向きが違う。宅地が造成されていくとき、大石地層がどのようになっているかさらにわかるときがくる。



by maranatha | 2019-10-08 22:49 | 故郷

墓を訪ねる

熊本に帰られたら声をかけてください、と相談者から依頼された。いつも利用しているカフェで待ち合わせすることにした。ところが、食事を済ませてからと思い、1時間前に着いた。そうしたら、相談者の方が遠方からだったので、早く着かれて、駐車場で一緒になった。父方の先祖の墓がこのカフェは庭園の塀の向こうに見える。話が終わって、父が眠っている墓に出掛けた。熊本に帰る度に足を運んでいる。宿泊は自宅、仏壇の間で寝ている。
by maranatha | 2019-10-08 17:48 | 故郷

ガネブ

熊本の友人宅を訪ねた。庭の垣根にガネブ(山ぶどう)があった。友人の了解を得て、さっそくふた房頂いて口にした。ひと房は熟して甘かった。他はまだ酸っぱかった。熊本でガネブを見つけたのは少年の時以来である。種は捨てずに持ってきたので、京都に帰ったら鉢に植える。教会の庭にはアケビの蔓がのっびてきた。鳥が種を運んできたのだろう。花が咲いたが、実を実らすまでには至っていない。可憐な紫の花を咲かせて、楽しませてくれた。
by maranatha | 2019-10-08 17:36 | 故郷

写真

子どもの頃、母に僕はどうして生まれたの、と聞いた。密はね、白川の川上からどんぶらこ、どんぶらこと流れてきたのよ。それを拾い上げたの、と言っていた。桃太郎みたいだと思っていた。私は母にも父にも似ていない。父の母は若くして亡くなった。叔父がその祖母の写真を一枚だけ宝物のようにして持っていた。その写真を10年ほど前にはじめて叔父から見せてもらった。私と叔父はよく似ている。その叔父も叔母たちに似ている。祖父と祖母の間には5人の子供が生まれた。父は祖父によく似ている。次男の叔父は祖父母に似ていない。三男の叔父と長女と次女の叔母は祖母に似ている。そいうわけで、私は祖母によく似た顔である。不思議なことに、祖母に似た子や孫たちには、顔のほうれい線にほくろがある。祖母の古い写真をよく見ると、祖母にもほうれい線にほくろがある。ブログに私の写真を掲載しているが、来年の春までには削除する。写真は相談者と待ち合わせするとき、すぐにわかるので十分に役に立ってきた。どんなに役立っていても、使用期間がある。代わりの写真を掲載する予定はない。
by maranatha | 2019-08-21 09:16 | 故郷

子育て


父は厳格な人だった。教育熱心が高じて、父自身が受け入れられないテストの結果を私が取ってくると、お前はこれくらいか、としかりつけた。母は優し人で、あまりしかられたことがない。テストの結果が悪くても、ひそかは頭はいいがテスト運が悪い、と言ってくれた。頭はいいと認めてくれているのが慰めになった。私は比較的勉強はできる方だった。どんなに良い点を取っても父が直接ほめることはなかった。私に対する大きな期待が私の重荷で苦痛だった。このような父と母から多くのことを学んだ。自分の子育て時期に父を反面教師として、自分なりの子育てに取り組んだ。

by maranatha | 2019-07-06 19:44 | 故郷

熊本弁

小学生の時、理科の問題にハイと答えた。答案用紙が帰ってきて✖だった。

私  先生、こるはハイたい。
先生 密、こるはハエたい。
私  おったちゃ、こるはハエちゅう言うたい。
先生 ぬしどんがそぎゃんいうたっちゃ、こるは教科書にハエてでとっとが。
   教科書にでとるごつかかんといかんたい。

家に帰ってから

私  おかあさん、ハイでまちごうた。
母  そら~、ハイじゃとおらんばい。
私  まちごうたつはこるばっかりだったたい。
母  よかたい。こるかるきいつけるたい。

私はこの時から方言で答えを書かなくなった。蠅を熊本弁ではハイともひゃあとも言う。おかあさんと言う言い方は、小学生になって、かあちゃんといっととはおかあさんというようにせなんばい、と勧められたからである。これからをこるかると言う。

熊本弁で灰をハイとは言わないでひゃあと言う。灰を被ることをひゃあかぶると言う。蠅をハエではなくハイ、灰をハイではなくひゃあと言う。母の実家の畑にひゃあがると言う呼び名がある。それは這い上がることである。畑が畑道より高台にあるので、這い上がらないと上がれなかった。はいといいえは、はいははいでひゃあと言わない。いいえはうんにゃと言う。一杯飲みませんかはいっぴゃのまんね。

by maranatha | 2019-06-25 23:42 | 故郷

鳥の鳴き声

小学生、中学生の時、学校への通り道に楠の大木の並木があった。毎年、同じ季節の同じ楠にフクロウのひなを見ることができた。一列に並んでいるさまは何ともかわいらしかった。鳴き声はホー、ホーである。家の近くに沢水を貯めた堤があった。その近くに椎の木の大木があった。この木にはときどきアオバトがやってくる。山鳩は茶色だが、アオバトは緑色である。鳴き声はポー、ポーである。昨日、滞在先でカッコーの鳴き声を聞いた。午前10時から10時30分までガッコ―(学校)ガッコ―(学校)とは鳴かなかった。もう登校は終わっていたからだ。澄んだ声で、カッコー、カッコーと鳴いた。鳴き声が名前である。故郷では都市化が進み、フクロウとアオバトを見ることはなくなった。カッコーの鳴き声を故郷で聞いたことはないが、カッコーの鳴き声を聞いて、故郷で聞いた様々な鳥の鳴き声を思い出した。
by maranatha | 2019-06-04 16:27 | 故郷
宗教問題