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村上 密 Blog

カテゴリ:教会( 92 )

大切なこと

神学校で宗教法人法と教団規則を学んだ。その時はさほど重要とは思わなかった。必要を感じ始めたのは卒業して7年目だった。宗教法人を取得している教会に赴任になり、法務局や府庁とのやり取りが必要になったからだ。しっかり学ばなければと思ったのは神学校を卒業して13年目に教会堂建設に取り組むようになってからである。それまでは教会の問題を宗教法人と教会規則で取り扱うことは考えてもいなかった。法律や宗教法人法、規則などが本当に重要だ認識したのは2000年代に入ってからだった。神学校を卒業して約20年経っていた。福音を伝えるために神学校に入ったのであって、法律を学ぶ必要はないと思っていたら大間違いである。牧師が人の罪や問題を扱う仕事であるなら、法律も神学も大切である。牧師が教会で独裁的になっている教会では聖書に基づく解決はない。裁判に訴えて牧師の問題を裁かなければならない事態が起きるからである。教会員は教会運営を牧師任せにしてはならない。自ら神学も法律も少しずつでもよいので学ぶ方がよい。教会のカルト化を未然に防ぐ力となるからである。
by maranatha | 2020-03-23 22:09 | 教会

教会総会

明日はアッセンブリー京都教会の教会総会である。総会議案は一週間前の日曜日に正会員に配布する。その日に休んだ人には郵送する。議案には委任状が添えられてある。総会成立条件を満たすために、どうしても当日出席できない方に委任状提出を依頼している。例年、京都教会の第1号議案は、前年度の報告で、活動報告、教勢報告、決算報告である。第2号議案は、新年度の計画で、活動計画、会計予算案である。第3号議案には教会役員選出である。年度によっては、この他にも議案が提出されることがある。昨年、総会のオリエンテーションの資料を配り、学び会をした。議案に対して、役員会が説明を行い、それに対して質疑が行われ、その後に賛成反対の討議が行われる。そして最後に決議をする。議案に対して、反対の場合は、議員提案をするように勧めた。できるだけ参加者の意見を聞くように努めているが、特定の議員が話しすぎる場合は、制限もしている。総会は何を言っていい場ではない。議案について話し合う場である。礼節をもった総会となるように暴言や人格攻撃、差別発言の場合は退場で、その発言者をどのように扱うかは役員会で話し合われる。重要な罰則にはその根拠となる戒規条項が必要なため、最近、教会では規則にそれを加えることが検討されている。
by maranatha | 2020-02-08 12:15 | 教会

神父の強制わいせつ

2月3日、長崎県警は、カトリックの神父を強制わいせつで書類送検した。長崎大司教区は2018年5月に起きたこの事件に対して、同年8月に神父を聖職停止としたが、停止処分を下した大司教区が、信徒に処分を伝えない、教皇庁にも伝えないミスを犯している。裁く人は正しくさばかなければ、裁く人が正しくさばかなかった場合、、今度は裁かれる側になる。
by maranatha | 2020-02-03 17:26 | 教会

教会を訪ねて

昨年の12月だったか、旅行者が教会を訪ねてこられた。来訪の目的は、ある有名な俳優が京都教会で礼拝に参加されたことをネットで知って、どのような教会かを見に来られた、と言うことだった。その有名はクリスチャンの俳優は定期的に礼拝参加しておられるわけではない。撮影の合間に、こられたようだ。教会員はだれもその方に気付かなかった。忍者の役をしておられる方ではない。何組かこのような来訪が昨年あった。今まで、テレビの番組やパンフレットの背景にと問い合わせが何度かあった。建物は一目で教会とわかるような建物ではないが、建物の中は落ち着いた教会の内装である。

by maranatha | 2020-01-18 23:02 | 教会

オーストラリアの森林大火災

オーストラリアの森林大火災が大雨で拡大がひとまず抑えられた。しかし、保水力を失った森や原野は今度は大雨で大変なようである。京都教会はオーストラリアとの交流が長く、今回の火災でもメールのやり取りをして、教会では祈っていた。交流先のいくつかの教会は無事ではあるが、空を覆う煙と灰でうつうつした気分に多くの人がなっていると知らせてきた。有益な火と水が大きな災害のもたらす出来事に驚かされた。今後できる支援に取り組んで行きたい。
by maranatha | 2020-01-18 22:05 | 教会

責任者の務め

今日、あるキリスト教団体の理事たちと、団体の本部で傘下の教会の問題を話し合った。文書を送ったときから、理事たちにできることに取り組んでこられた。自分たちが問題を起こしたのではなく、傘下の教会が起こした問題で対応しなければならない立場には同情の念を禁じえない。しかし、組織の責任を負っている以上、このような問題の対応は避けられない。団体の良いことも悪いことも責任をもって取り組まなければならないのが組織の責任役員である。問題が起きるのは避けられない。問題にどう対処するかが問題である。今のところ適切に対応していただいている。私としては、弁護士に相談を続けている。県庁にはこれから宗教法人取得を防ぐために文書を作成して送る予定である。理事たちには、要望を申し上げて3時間近い話し合いを終えた。

明日は、大阪の弁護士事務所に、スピリチュアル系の団体の件で相談に行く予定である。昨年の12月に読売新聞に大きくこの団体の問題が2回取り上げられた。新聞記事を読んで、報道関係各社から問い合わせがあったので情報を提供した。

by maranatha | 2020-01-15 20:19 | 教会

教会形成

ほぼ毎月の沖縄訪問を始めたのは2005年2月からだった。15年間訪問を続けたことになる。訪問の目的は、カルト化防止と被害者の回復のためのカウンセリングである。沖縄では超教派の集会が頻繁に行われていた。国内で最も超教派活動が盛んと言われていた。しかし、招かれていた講師たちは、いろいろなムーブメントの提唱者であったり、それを取り入れて「成功した牧師」と呼ばれる人であったが、講師の問題とムーブメントの問題性が次々と発覚してから呼ばれなくなった。それは沖縄だけの出来事ではなく、日本全体がそうであった。盛んに外来講師を招く時期は、日本のプロテスタント教会がまだ教会員が増加傾向で経済的に余裕があった。しかし、働き盛りの年代が定年退職を迎え始め、教会員の高齢化とともに、2010年代から教会の財政は減少傾向に陥り、対外的な活動に教会の資金をつぎ込む余裕がなくなった。影響力があると思われた牧師が長年勤めた教会では世代交代が進まず教会員の高齢化とともに教会の活力が奪われていた。2020年代は教会を維持していくことが出来なくなったところが、解散か他教会との合併による生き残りが試みられるだろう。維持費がかからない教会堂なき教会の在り方を模索しなければならない。公共の建物や教会員の家を利用したり、インターネットを用いた教会形成も考えられる。教会形成に欠かせないのは献身的な信徒による奉仕である。教会は牧師だけでは運営できない。たとえ教会堂がなくてもである。役割分担をして一部の教会員に負担をかけすぎないような配慮が必要である。教会とは建物ではない。信仰者の集まりである。そこに必要なのはみ言葉と聖餐、聖徒の交わりである。もう一度、最も基本的な要素にそれぞれの集会に必要なものを加えて、福音の前進のために教会活動に取り組んでいかなければならない。

*教会堂なき教会とは、自前の教会堂を持たないで公共の建物や教会員の家を利用した教会員の集まりである。

by maranatha | 2020-01-09 15:14 | 教会

喜びを分かち合う

Kさんの告別式を4日に終えた。忘れられないのは25年前である。もし、この年にKさんが信仰決心をして洗礼を受けなかったら、私の京都での務めは終わっていた。なぜなら、京都に赴任するとき、ひとりも救われない年があったら辞任すると決めていたからである。この年はなかなか信仰決心者が与えられなかった。そんな中でKさんが信仰決心して洗礼を受けられた。受洗後、辞任を覚悟していたことをK伝えた。Kさんは自分の洗礼が私を京都にとどめる役割を果たしたことを喜んでくださった。その後洗礼者は途切れることなく与えられ、教会員は増し加えられた。
by maranatha | 2020-01-05 21:25 | 教会

主イエスを信じなさい

午後2時頃、東京行きの新幹線の乗車した。北山と比叡山が雪化粧していた。今年初めてこの光景をみた。昨年の12月は珍しく雪が京都市内では降らなかった。年末教会員の方が召天され、年を越してから4日に告別式があった。元旦の礼拝を終えて熊本に帰省し、3日に帰宅した。今日はこれから東京ブランチで礼拝の説教を担当だ。慌ただしく時が過ぎてゆく。しかし、召されて方の信仰の歩みを思い返し、神の恵みの業を数えてみた。教会の草創期に一人の女性が救われ、その後長男さん、ご主人、そして次男さん。ご主人が87歳で召された。25年の信仰の生涯である。
by maranatha | 2020-01-05 17:50 | 教会

反省からの展望

1980年代、教会成長した教会が、弟子訓練に取り組み、献身者という無給か薄給で奉仕するグループを形成した。教育と言うものは牧師個人が育てるものではない。いろいろな専門分野の教師が協力して育てるものである。そのために神学校がある。その後、塾レベルから神学校の中間的な牧師・伝道師養成校が誕生した。共通しているのは実践を重んじる校風である。
1990年代、このような養成校出身者の多くは、ムーブメントに飛びつき、反知性主義に走った。このような牧師の運営する教会から牧師・伝道師を志す献身者が起こされて、どのような牧師・伝道師養成校に進むだろうか。進路は所属教会の牧師の強い影響を受ける。しっかりとした学びのできる神学校に進むことは稀である。牧師以上の学びを受けることを牧師が嫌う。
2000年代、このような経過をたどった教会・教団やグループは組織の劣化を招いた。なぜなら、個教会中心の強い人材を育てたからである。教会を利用して自己実現を果たそうとする人物が現れた。もはや、組織を重んじる精神は崩れた。
2010年代、異端やカルトの問題より、教会のカルト化の問題が相次いだのは、信徒がキリスト教倫理や規範を持たない牧師の独裁を許したからである。牧師は牧師に従う信徒を模範的信徒と教え込み、信徒が牧師依存に陥った。教会は、力を失った。牧師は独裁により自己実現を追及した。それははキリストへの愛から離れた生き方である。
2020年代、教会の課題は、互いに愛し合い、仕え合う絆作りである。そして、聖書の学びをおろそかにしない、キリストの教えを生活化する取り組みである。

by maranatha | 2020-01-02 23:24 | 教会
宗教問題