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村上 密 Blog

カテゴリ:教会( 89 )

教会を訪ねて

昨年の12月だったか、旅行者が教会を訪ねてこられた。来訪の目的は、ある有名な俳優が京都教会で礼拝に参加されたことをネットで知って、どのような教会かを見に来られた、と言うことだった。その有名はクリスチャンの俳優は定期的に礼拝参加しておられるわけではない。撮影の合間に、こられたようだ。教会員はだれもその方に気付かなかった。忍者の役をしておられる方ではない。何組かこのような来訪が昨年あった。今まで、テレビの番組やパンフレットの背景にと問い合わせが何度かあった。建物は一目で教会とわかるような建物ではないが、建物の中は落ち着いた教会の内装である。

by maranatha | 2020-01-18 23:02 | 教会

オーストラリアの森林大火災

オーストラリアの森林大火災が大雨で拡大がひとまず抑えられた。しかし、保水力を失った森や原野は今度は大雨で大変なようである。京都教会はオーストラリアとの交流が長く、今回の火災でもメールのやり取りをして、教会では祈っていた。交流先のいくつかの教会は無事ではあるが、空を覆う煙と灰でうつうつした気分に多くの人がなっていると知らせてきた。有益な火と水が大きな災害のもたらす出来事に驚かされた。今後できる支援に取り組んで行きたい。
by maranatha | 2020-01-18 22:05 | 教会

責任者の務め

今日、あるキリスト教団体の理事たちと、団体の本部で傘下の教会の問題を話し合った。文書を送ったときから、理事たちにできることに取り組んでこられた。自分たちが問題を起こしたのではなく、傘下の教会が起こした問題で対応しなければならない立場には同情の念を禁じえない。しかし、組織の責任を負っている以上、このような問題の対応は避けられない。団体の良いことも悪いことも責任をもって取り組まなければならないのが組織の責任役員である。問題が起きるのは避けられない。問題にどう対処するかが問題である。今のところ適切に対応していただいている。私としては、弁護士に相談を続けている。県庁にはこれから宗教法人取得を防ぐために文書を作成して送る予定である。理事たちには、要望を申し上げて3時間近い話し合いを終えた。

明日は、大阪の弁護士事務所に、スピリチュアル系の団体の件で相談に行く予定である。昨年の12月に読売新聞に大きくこの団体の問題が2回取り上げられた。新聞記事を読んで、報道関係各社から問い合わせがあったので情報を提供した。

by maranatha | 2020-01-15 20:19 | 教会

教会形成

ほぼ毎月の沖縄訪問を始めたのは2005年2月からだった。15年間訪問を続けたことになる。訪問の目的は、カルト化防止と被害者の回復のためのカウンセリングである。沖縄では超教派の集会が頻繁に行われていた。国内で最も超教派活動が盛んと言われていた。しかし、招かれていた講師たちは、いろいろなムーブメントの提唱者であったり、それを取り入れて「成功した牧師」と呼ばれる人であったが、講師の問題とムーブメントの問題性が次々と発覚してから呼ばれなくなった。それは沖縄だけの出来事ではなく、日本全体がそうであった。盛んに外来講師を招く時期は、日本のプロテスタント教会がまだ教会員が増加傾向で経済的に余裕があった。しかし、働き盛りの年代が定年退職を迎え始め、教会員の高齢化とともに、2010年代から教会の財政は減少傾向に陥り、対外的な活動に教会の資金をつぎ込む余裕がなくなった。影響力があると思われた牧師が長年勤めた教会では世代交代が進まず教会員の高齢化とともに教会の活力が奪われていた。2020年代は教会を維持していくことが出来なくなったところが、解散か他教会との合併による生き残りが試みられるだろう。維持費がかからない教会堂なき教会の在り方を模索しなければならない。公共の建物や教会員の家を利用したり、インターネットを用いた教会形成も考えられる。教会形成に欠かせないのは献身的な信徒による奉仕である。教会は牧師だけでは運営できない。たとえ教会堂がなくてもである。役割分担をして一部の教会員に負担をかけすぎないような配慮が必要である。教会とは建物ではない。信仰者の集まりである。そこに必要なのはみ言葉と聖餐、聖徒の交わりである。もう一度、最も基本的な要素にそれぞれの集会に必要なものを加えて、福音の前進のために教会活動に取り組んでいかなければならない。

*教会堂なき教会とは、自前の教会堂を持たないで公共の建物や教会員の家を利用した教会員の集まりである。

by maranatha | 2020-01-09 15:14 | 教会

喜びを分かち合う

Kさんの告別式を4日に終えた。忘れられないのは25年前である。もし、この年にKさんが信仰決心をして洗礼を受けなかったら、私の京都での務めは終わっていた。なぜなら、京都に赴任するとき、ひとりも救われない年があったら辞任すると決めていたからである。この年はなかなか信仰決心者が与えられなかった。そんな中でKさんが信仰決心して洗礼を受けられた。受洗後、辞任を覚悟していたことをK伝えた。Kさんは自分の洗礼が私を京都にとどめる役割を果たしたことを喜んでくださった。その後洗礼者は途切れることなく与えられ、教会員は増し加えられた。
by maranatha | 2020-01-05 21:25 | 教会

主イエスを信じなさい

午後2時頃、東京行きの新幹線の乗車した。北山と比叡山が雪化粧していた。今年初めてこの光景をみた。昨年の12月は珍しく雪が京都市内では降らなかった。年末教会員の方が召天され、年を越してから4日に告別式があった。元旦の礼拝を終えて熊本に帰省し、3日に帰宅した。今日はこれから東京ブランチで礼拝の説教を担当だ。慌ただしく時が過ぎてゆく。しかし、召されて方の信仰の歩みを思い返し、神の恵みの業を数えてみた。教会の草創期に一人の女性が救われ、その後長男さん、ご主人、そして次男さん。ご主人が87歳で召された。25年の信仰の生涯である。
by maranatha | 2020-01-05 17:50 | 教会

反省からの展望

1980年代、教会成長した教会が、弟子訓練に取り組み、献身者という無給か薄給で奉仕するグループを形成した。教育と言うものは牧師個人が育てるものではない。いろいろな専門分野の教師が協力して育てるものである。そのために神学校がある。その後、塾レベルから神学校の中間的な牧師・伝道師養成校が誕生した。共通しているのは実践を重んじる校風である。
1990年代、このような養成校出身者の多くは、ムーブメントに飛びつき、反知性主義に走った。このような牧師の運営する教会から牧師・伝道師を志す献身者が起こされて、どのような牧師・伝道師養成校に進むだろうか。進路は所属教会の牧師の強い影響を受ける。しっかりとした学びのできる神学校に進むことは稀である。牧師以上の学びを受けることを牧師が嫌う。
2000年代、このような経過をたどった教会・教団やグループは組織の劣化を招いた。なぜなら、個教会中心の強い人材を育てたからである。教会を利用して自己実現を果たそうとする人物が現れた。もはや、組織を重んじる精神は崩れた。
2010年代、異端やカルトの問題より、教会のカルト化の問題が相次いだのは、信徒がキリスト教倫理や規範を持たない牧師の独裁を許したからである。牧師は牧師に従う信徒を模範的信徒と教え込み、信徒が牧師依存に陥った。教会は、力を失った。牧師は独裁により自己実現を追及した。それははキリストへの愛から離れた生き方である。
2020年代、教会の課題は、互いに愛し合い、仕え合う絆作りである。そして、聖書の学びをおろそかにしない、キリストの教えを生活化する取り組みである。

by maranatha | 2020-01-02 23:24 | 教会

悔い改めているのか

著作権侵害の件で東京の弁護士事務所に日帰りで行ってきた。クリスチャンセンターJ'sTableの仮役員たちが、被害者に送った報告書には、侵害した冊数を少なく報告したり、収支報告がなく、正直な悔い改めとは思えないために、今後の方針を協議してきた。当初、牧師が、私がしました、と言っていたが、そのほかにも関係者がいることが分かってきた。それは9名が辞任したことで明らかである。著作権侵害した冊数は10数冊が37冊になり、私の調べでは50冊近くである。収支報告は会計簿に基づいて収支が分かるはずであるが、明確な報告はない。これでは「聖書的」「専門家と相談している」とは思えない。牧師、副牧師、7名の役員がこの件で辞任したが、仮役員は4名となっている。9名が役員会構成であれば4名は役員会を開催して決議することはできない。何も考えているのか。とても専門家と相談しているとは思えない。これは日本のキリスト教会で最も著作権侵害したケースである。
by maranatha | 2019-11-30 22:15 | 教会

やがて火の粉が降りかかる

私は宗教法人法と教会規則に対しては少々やかましいと思われている。やかましいのではない。無視している人が多すぎるのである。まあまあで済ませる。目こぼしする。関係ないと逃げる。教会運営をしてくれていっればそれでいいではないか。何事もなく信仰生活ができれていればそれでいい。知らなかった。これは無責任である。いろいろなことが自分に直接関係がなくても、教会規則を無視する教会に所属していれば、やがてすべての教会員が不利益を被ることになる。ただ、それぞれに火の粉が降りかかる時間帯が違うだけである。
by maranatha | 2019-11-28 11:17 | 教会

教会規則の守る

神学生の時、宗教法人の学びがあった。こんなことを学ぶために神学校に来たわけではないと思った。聖書の学びをするためにと思っていた。牧師には福音を伝えることと間違った教えから教会員を守る働きがある。しかし、派遣された教会が宗教法人を取得していれば、都道府県庁から認証されている教会規則に基づいて教会を運営しなければならない。宗教法人法の目的は「宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運営し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする」と書いてある(第1条)。学んでいながら、このことの大切さを知るようになったのは、伝道師から牧師になった時ではない。宗教法人を取得している教会に派遣されてからである。新任牧師が宗教法人法に十分な理解がない場合は、宗教法人法と教会規則に精通した牧師がひとまず代表役員となって教会の運営を新任牧師に教えるべきである。教会規則を知らない教会員が多い。教会員は礼拝を守り、み言葉を聞くために教会に来ているのであって、教会規則を学ぶために教会に来ているのではないと思っている。それはそうであるが、所属する教会が宗教法人法第1条を遵守しているかどうかは教会員の信仰生活の安寧につながる大切なことである。教会のカルト化は教会規則を無視する代表役員(牧師)と責任役員によって引き起こされる。
by maranatha | 2019-11-28 11:07 | 教会
宗教問題