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村上 密 Blog

カテゴリ:霊の戦い( 16 )

シャドーボクシング

論争しているとき、こちらが話していない、思ってもいないことを、相手が想定して反論したりするとき、それは論争ではない。自分の想定への反論である。相手はこれで論争していると思っている。実際は自分が作り上げた人物と論争しているにすぎない。例えれば、これはリングの上のファイトではなく、シャドーボクシングをしているようなものである。面白いのは、こちらが攻撃していないのに相手は絶えず攻撃されながらもそれをかわして勝っていると思い込んでいる。シャドーボクシングではいつも自分が相手の拳をかわして効果的な自分の拳を打ち込んでいるイメージを持ち続ける。相手にしないと逃げていると思い込んでいる。なぜ相手にしないのか、シャドーボクシングに生きがいを感じ、そこに自分の存在価値を見い出しているからである。闘う相手を悪魔化して闘うのは霊の戦いと同じである。カウンセリングで非現実の世界で過ごしている多くの人を現実世界に連れ戻ししてきたが、中にはそこに留まりたい人もいる。しかし、絶えず攻撃されている世界に生きている人はいつか戦闘ストレスに陥ることになる。
by maranatha | 2018-10-01 23:04 | 霊の戦い

「霊の戦い」過去・現在・未來

「霊の戦い」の過去
「霊の戦い」は、1990年代に熱狂的に日本中に拡散した。しかし、2015年春の寺社連続油被害事件の報道を機に、狂信的な行いは影を潜めた。

「霊の戦い」の現在
「霊の戦い」に取り組んでいる教会が現在もある。教会の中での「霊の戦い」から、「地域の霊との戦い」へ移行して、寺社連続油被害事件報道後、再び教会の中での「霊の戦い」に戻ってきた。教会は、神側にいると思い込んでいるので、反省もなく今日に至っている。

「霊の戦い」の未来
「霊の戦い」の思想は神とサタンの戦いである。この世はサタンの支配下にあるとみなし、この世の法律さえも見下している。極端な主観主義で、戦闘的である。誤りを正そうとする人の意見を感情的に受け付けない。自分たちこそ、霊的選民であると思い込んでいる。今後も「霊の戦い」に取り組む教会の中には自死者が出る。それは霊的バトルストレスが原因である。何事も不都合なことは、悪霊か人の罪のせいにして悪霊追い出しをすることは人権の軽視であり、虐待である。インスピレーションと直接啓示を混同し、神から啓示を受けたと言って、今後も反社会的な行動を起こす可能性がある。

by maranatha | 2017-02-25 00:00 | 霊の戦い

石造破壊 その宗教的背景は?

韓国人男性が、福島県泉崎村の神社の石像を破壊したとして、逮捕された。私が知りたいのは、彼がどんな宗教的背景を持ているかである。単独なのか、集団なのかも気になる。昨年、神社仏閣への油まきがあり、先月から、「油まき」が再開された。石造の破壊は、油まきより、過激である。韓国の仏教関係者が破壊するとは思えない。この反社会的な行為は、石造を忌み嫌うキリスト教の原理主義的なカルト化教会の信者がしそうである。
by maranatha | 2016-12-12 21:29 | 霊の戦い

ある牧師たちの霊の戦い

 霊の戦いは、いろいろなグループが実践している。下記に取り上げるのは、Tトレーニングに関わる牧師たちの会話と実践を見聞きした人の証言である。霊の戦いが破壊的であることがよく分かる。神社仏閣油事件は氷山の一角である。今、この愚かな破壊を伴う霊の戦いを止めないと、防犯カメラを日本中に増やすどころか、やがてこれを実践している教会が警察の監視の対象になる可能性がある。刑事告訴されて、迫害だと言う牧師が出ないように、この警鐘が耳に届くことを願う。

 ある日の礼拝で、WチャーチのM牧師が「ある牧師と、いくつかの拝所を周り、地域を縛っている悪霊を断ち切る祈りと追い出す祈りをしてきました。祈りが熱くなり、足で蹴ったりしながら祈りましたが、悪霊を追い出すには、これ程熱く祈らないといけないのです。」と言っておりました。また、同様な事をK教会のK牧師が言っておりました。K教会は、Wチャーチと同様に、礼拝で「拝所を支配している悪霊を追い出すには、熱い祈りと蹴って追い出す程の激し祈りが必要です。そうする事によって地域の悪霊を縛りやすくなります。」と言っていました。K牧師は大阪のBチャーチ、Y牧師とY婦人が扱っていたTトレーニングに没頭していました。K牧師がTトレーニングの関連でM牧師夫妻と共に、M島のY教会に行った時に、M島について飛行機から降りた途端に「L牧師」が何度も嘔吐したとのことでした。歴史的に罪深い島なので、L牧師は地域を縛る悪霊をとっさに感じ何度も嘔吐したとの説明をしていました。
by maranatha | 2015-07-01 00:05 | 霊の戦い

霊の戦い 神学なき実践


 神社仏閣油事件についての「村上密ブログ」を読んだ読者からメールがあった。自分の属する教会でどのようなことをしていたか、反省を込めた感想のメールを送ってくれた。このようなことをしている教会は他にもある。これは霊の戦いを実践するように教えるグループが、何をやっているか知ることのできる情報である。

Cさん
神社仏閣油事件を聞いた時、私達の教会でも同じような事をやって来ので、逸脱した一部の人のことと思えない心情でした。いろんな神社仏閣へ祈りの歩行に出掛けて行きました。ブドウジュースを注いで祈ったり、御言葉の杭という御言葉を書いた紙を埋めたりもしました。また、古戦場へ行って祈ることもしました。犯罪に繋がるような事を霊の戦いの為とどこか正当化していたり逸脱した考えをおかしいとは思わなかったのは何故かと考えましたが、「村上密ブログ」に書いておられましたが、教会の牧師が事ある毎に「神様がそう導いておられると受け取った」と言われる事の影響が大きかったと思います。霊の戦いだけでなく、何かの方向性や祈る課題を打ち出すときに、「神様からこう受け取ったので」と言われる事が多く、神様が語られたのならそこは間違いないだろうし、従わなければと盲信して行きました。そして私も神様の語りかけを聞きたいと、求めるようになって行きました。祈り会は勿論のこと、スモールグループで祈る時も、事ある毎に「何か神様から受け取った事はありませんか?」と聞かれてきたので、受け取れないとだめなのか、もっと受け取れるようにならなければ、と熱心になって行きました。神様から直接語ってもらいたい、神様の声を聞きたいという心情は分かりますし私もありますが、それはいま悪影響が出ている預言を求める姿勢と変わらないのではないでしょうか。

Aさん 
以前は牧師と一緒にたくさんとりなしに行きました。その時に、神社仏閣など偶像礼拝をするところにはサタンを滅ぼすための御言葉の剣である聖書の言葉を紙に書いて神社の境内に埋めたり、仏閣の柱と柱の間に入れたり、たくさんの人の血が流されたところは呪われているからということで、そこで聖餐式をしてぶどうジュースを注ぎかけてその土地を清めたりなどしました。今思うと、油まきと類似してることを私もしていたと恥ずかしくなります。でも、礼拝メッセージでまったく油まき事件に触れようとしない牧師はそのことに気づいていないようです。

Bさん
今回の油まき事件もそうですが、それ以前に、私の属する教会では、あるムーブメントの波にのりまくり、その中で「霊的戦い」の名のもと、よく牧師とともに夜、神社や仏閣などに祈りに行きました。その中で排他的な考えや先人が培ってきたことなどを悪と決めつける思考になってしまったことは今となっては苦しいです。きちんと見分けることができなかったことにより、時間や財産を浪費し、精神も消耗しました。今までの行動をくい改めるばかりです。先生のブログをことあるたびに拝見し、根底なき教えに振り回されることの怖さを感じています。これからは二元論的思考と行動を克服し、礼節ある生き方をしたいです。

by maranatha | 2015-06-10 21:34 | 霊の戦い

「霊の戦い」は独善に陥る

 村上密ブログに掲載された「霊の戦い(霊的戦い)」について、読みやすいように、選び出した。「霊の戦い(霊的戦い)」と称する悪魔や悪霊との戦いを実践する者たちに、警告と誤りを指摘してきたが、近年、いよいよ独善に陥ってきた。霊の戦いは、二元論で、反対するものを悪魔と見做す。忠告を聞き入れることはない。カルト化していると発言しているのは、法を軽視し、独善的に陥っているからである。法を無視した行為は、いつか法的裁きを招く。キリスト教会の中で、浸透してきたこのムーブメントは神学なき実践に堕した。

霊の戦いと破壊
http://maranatha.exblog.jp/23149335

「『霊的戦い』に疲れていませんか」
http://maranatha.exblog.jp/5485518/

『帰還兵はなぜ自殺するのか』
http://maranatha.exblog.jp/23159209

悪魔払い、悪霊払い
http://maranatha.exblog.jp/13474355/

サタンよ出ていけ??
http://maranatha.exblog.jp/11372101/

ビュン・ジェーチャン事件
http://maranatha.exblog.jp/22337555/

教会のカルト化
http://maranatha.exblog.jp/17467867/

パウロの信仰観
http://maranatha.exblog.jp/21315254/

*参考事例
以下のサイトは、沖縄キリスト福音センターで実践された「霊の戦い」である。今は、美浜教会と称しているが、名前は変わっても、やっていることは変わらない。この美浜教会で、過去にどんなことが行なわれたかはこのサイトが詳しい。
http://blog.livedoor.jp/habakkuk/
by maranatha | 2015-05-29 00:00 | 霊の戦い

霊の戦いと破壊

 「インターコープは(海外布教で)優越的、征服的、排他的、一方的、誇示的、競争的」と前回のブログで取り上げた。国内のキリスト教団体でこのような特徴を持つのはどんなところだろうか。「霊の戦い」(或いは霊的戦い)を極端に実践している教会はこれに当てはまるのではないか。イスラム教の中の一部の人間が、ジハードの名のもとに暴力を正当化するように、キリスト教の一部の霊の戦いをする教会が、悪霊追放の名のもとに暴力や破壊を正当化するところがある。現に、病人に悪霊が住んでいると言って徹夜で追い出し、病人を死に至らしめた教会が沖縄にある。悪霊を体から叩いて追い出す教会で打撲傷を負う人もいる。人形の中に悪霊が住んでいる、壊しなさい、と言われて、先祖代々の大切なひな人形を壊したり、高価な人形を壊した話も聞く。家族親族の承諾なしに仏壇を偶像と言って破壊させる教会もある。言うならば、信仰によって「破壊」を正当化する信仰は、エスカレートすれば、公共のモニュメントや宗教的建造物に移行する可能性を持っている。霊の戦いを提唱する人が富士山で何かを壊したとの話を聞いたことがある。「破壊」は「征服(勝利)」を意味する。霊の戦いで、悪霊の侵入を防ぐために、至る所にキリストの血をジェスチャーで塗ることをやった話を直接聞いたことがある。外に安心して出れなくなり、ノイローゼ状態になった人をカウンセリングしたこともある。霊の戦いは、いつも悪霊との戦争状態であるために、実践している人の中には「バトルストレス」にかかる人もいる。戦闘中の兵士が、いつ敵に攻め込まれるか分からない心理状態で恐れと不安から陥る。深刻な症状になる人もいる。この霊の戦いをどのように正当化しようとも、すでに、悪霊の住むところを征服するための「破壊」と心の「破壊」が起きている。極端な傾向に移行するのは、「誇示的」「競争的」だからである。このようなことへの心配は、このムーブメントが導入された時から心配されてきた。そして、今がある。いつ反省するのだろうか。その時はいつもあった。今もある。
by maranatha | 2015-05-22 22:48 | 霊の戦い

「サタン」

 「サタン」は旧約聖書中のヨブ記(1、2章)ゼカリヤ書(3章)1歴代誌(21章)に出てくる。ヘブライ語聖書の三部構成の中で、ゼカリア書は「預言者」に、ヨブ記と1歴代誌は「諸書」に属する。年代的には、ゼカリア書はバビロン捕囚期後であり、1歴代誌もバビロン捕囚期後である。ヨブ記は時代背景としては族長時代であるが、バビロン捕囚期後の「諸書」の中に属している。バビロン捕囚期前の預言者エゼキエルは14章14節でヨブに言及しているので、これは「諸書」の編纂される前の『ヨブ記』と見做すことができる。それで分かることは、ヨブ記で取り上げられる「サタン」が最も古いと言うことである。「サタン」は、堕落する前には別の名前があったと思われる。ミカエルやガブリエルのように「エル」(神)が付いていたであろう。

 アヒトフェルはダビデの議官である。「当時アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。」(2サムエル16:23と言われている。しかし、アヒトフェルとは「(私の)兄弟は愚かである」との意味である。親が生まれた子に付けた名前ではない。ダビデへの謀反の計画が破たんし、自死した以降に付けられた名と思われる。

by maranatha | 2014-12-03 18:44 | 霊の戦い

サタン

 『旧約新約聖書語句大辞典』(教文館)で「サタン」を調べると、「ヨブ1:6<サタン>7、8、12、12、2:1、2、2、3、4、6、7」とある。1:7に2回出てくるので「7、7」とすべきである。ヨブ記には14回サタンが出てくる。この他には、1歴代に1回(21:1)、ゼカリア3回(3:1、2、2)に出てくる。旧約聖書には「サタン」は18回、ヨブ記において「サタン」は14回である。回数は突出している。実は同じようにヨブ記で突出しているのが「全能者」である。旧約聖書において「全能者」は48回、ヨブ記において「全能者」は31回で際立っている。ヨブ記におけるサタンは何でも自由にできるわけではない。神の許可がなければ、彼はヨブに何もできない。ヨブ記では神の主権が明白である。ヨブ記においては神が全能であると同時に全知であることも知ることができる。天上における神とサタンの対話を地上にいる人間は誰ひとり知らない。ヨブを慰めに来た友人たちは、因果応報論でヨブへの災いはヨブの罪が原因であると責めたてる。ヨブには身に覚えがない。友人たちも「全能者」を使うが、神は「あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかった」(42:7、8)と言われる。友人たちは「全能者」を語るが、神は「わたしについて真実を語らず」と語られる。神を語るが神について真実を語らないのはヨブの友人に限ったことではない。「霊の戦い」を実践する人々は「神」と「サタン」についても誰よりも知っているように語る。しかし、神の主権をしっかり教えるなら、「霊に戦い」を実践する教会において、サタンを恐れる人は少なくなり、情緒不安定な人も減少するだろう。「霊に戦い」を実践している人々は、神とサタンの戦いという二元論に陥っている。そして、サタンは一人であるにもかかわらず、世界中で「サタンよ出ていけ」と叫んでいる。神の前にサタンが出ている時、それ以外の所にはいない。どこかにいたら、それ以外の所にはいないのである。それにもかかわらず、あらゆるところでサタンの追い出しをしている。惑わされていることになぜ気付かないのか。それは経験から語り、聖書から学ばないからである。経験が何でも正しいわけではない。経験は主観に陥る。これが罠である。

by maranatha | 2014-12-02 17:32 | 霊の戦い

下がれ、サタン

 「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思ている。」(マルコ8:33)ペテロは、イエスが受難を予告されるのを聞いて、それを否定した。イエスは厳しく「下がれ、サタン」と叱責された。弟子に言う言葉だろか、と誰しもが思うところである。言葉の使い方を理解しないと誤解が生じる。イエスは「あなたがたが進んで受け入れるならば、実はこの人(バプテスマのヨハネ)こそ、きたるべきエリアなのです。」(マタイ11:14)このようにヨハネはエリヤではないが、イエスがエリヤと語るのは、ヨハネがエリアのような働きをするからである。人々はイエスに対して、「バプテスマのヨハネ・・エリヤ・・預言者のひとり」(マルコ8:28)と言っている。そのものではなくとも、その人物を彷彿させる人物を「~に似ている」とは言わない。ペテロの場合も同じである。ペテロはサタンではないが、神の計画であるイエスの受難を否定する発言をした。それがサタン的(現代人に使い勝手てのいい言葉である)であるために、「下がれ、サタン」と語られたのである。

 興味深いことは、「下がれ、サタン」である。イエスは、ペテロの中から、サタンを追い出ししてはいない。もし、「霊の戦い」の信奉者たちであるならば、この箇所は、ペテロの中にサタンが入っていて、イエスがサタンを追い出していると解釈する。そうではない。「下がれ、サタン」は神のことを思わないで、自分のことを思っているペテロへの叱責である。

by maranatha | 2014-10-05 21:50 | 霊の戦い
宗教問題