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村上 密 Blog

カテゴリ:霊の戦い( 16 )

サタン

 サタンがどこにいるか、黙示録から回答します。このことで恐れている人が多いからです。黙示録は「さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。」(1:19)がキーワードです。見たことは、1章のキリストの黙示です。今あることは、2章、3章の7つの教会です。今後起ころうとしていることは、4章1節「この後必ず起こることをあなたに示そう」から22章6節「すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。」までです。これは終末に起こることの預言です。特徴は裁きです。7つの封印が開かれ、7つのラッパが吹かれ、7つの鉢が注がれ、それぞれ災害がもたらされます。12章の7節9節に注目してください。「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」大患難はサタンが地に落とされてから始まります。ということは、現在サタンは天にいると言うことです。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」(エフェソ6:12)ここでも天です。天は天国のことではありません。ここではサタンや悪霊の活動する領域として表現されています。
by maranatha | 2012-10-18 07:46 | 霊の戦い

悪魔

 悪魔は一人です。ところが、『新約聖書 フランシスコ会 聖書研究所訳注』(1989年6月10日 改訂16刷発行)には「、悪魔ども」(8:27,30,31,3,33,38)と複数で書いてあります。これでは神学的誤解を読者に与えます。最近、『聖書 原文校訂による口語訳』(フランシスコ会聖書研究所訳注 2011年8月15日初版発行)が出版されました。前書の「悪魔ども」は、後書で「悪霊ども」に訳されていました。同様に前書の「悪魔」(8:29、36、9:1、42、11:14,14,15,15,18,19,19)も後書において「悪霊」と訳されていました。これで誤解が解けるでしょう。
 悪魔祓いをしている教会は、神学的には誤った悪魔祓いをしています。それは悪魔は一人なのに、実践的な悪魔祓いでは多数になっているからです。誰かが、キリスト教のどんな有名な人物を引き合いに出して、悪魔を複数扱いしても、それは誤りです。表現を厳密にしていないため、誤解を与えるのなら、厳密にするべきです。クリスチャンが教会のカルト化で誤謬に陥っているからです。悪魔が多数である教え込みによって、信者の恐怖感が増幅されています。恐怖は行動をコントロールするために用いられます。
 聖書では、悪魔に勝利されえたイエス・キリストが、信じる人の心の中に内住されることが書いてあります。信じる人の心の中におられる方が、彼のものより強いのです。どうして、悪魔が信者の心の中に住むことができるでしょうか。聖い方と悪魔が同居できるはずがありません。クリスチャンの心の中には、父、子、聖霊の三位一体の神が内在しておられます。このような信仰的な理解を持てば、恐怖感から解放されます。
by maranatha | 2012-01-18 22:45 | 霊の戦い

悪魔払い、悪霊払い

「霊の戦い」を提唱する人たちがいます。この人たちはクリスチャンの中から悪魔や悪霊の追い出しをしています。そのような対応を受けたクリスチャンが、心の病に至る事例が多発しています。真理は人を自由にするものです。しかし、「霊の戦い」は人を自由にするどころか、不自由にしています。「霊の戦い」が真理か間違いか、聖書から検証してみたいと思います。

「使徒の働き」にはクリスチャンの中から悪魔や悪霊を追い出している記事がありません。「使徒の働き」は教会の誕生と発展の歴史的記録です。イエス・キリストの教えを信じた人々が、その教えを実践した記録でもあります。その中に,クリスチャンの中から悪魔や悪霊を追い出した記事が一つもありません。

「霊の戦い」の提唱者は聖書の中にないことを実践していることになります。聖書にないのに教理を作ることはできません。聖書だけではなく、組織神学や教理の本の中には、クリスチャンの中から悪魔や悪霊を追い出すと言う教えはありません。このような教えは体験から作られたものです。体験があってもそれが正しいとは限りません。聖書によって吟味することが大切です。クリスチャンの体験が全て正しいわけではありません。体験が正しいのなら、異端で起きている体験も正しいことなります。体験を聖書啓示の上に置くことはできません。

「霊の戦い」の」提唱者は、聖書にない事を聖書的だと思い込み、クリスチャンの中から悪魔や悪霊を追い出していることになります。キリスト教文化と聖書の教えがしばしば違うことがありますが、このこともその一つです。「霊の戦い」はキリスト教文化のリニューアル版です。キリスト教文化が聖書的に正しいとは限りません。

悪魔は一人です。悪魔払いをする人は世界中にいます。悪魔は同時にいろいろなところに存在できません。それでも、悪魔払いをする人は、世界中で「悪魔よこの人から出て行け!」と叫んでいます。正解は同一時間において一つか全てが間違いです。確率から言うとほとんどが間違っていることを、多くの人が実践していることになります。

悪霊は多数存在します。だから、悪霊はクリスチャンの中に住むことができると主張します。クリスチャンの中に存在されるのは三位一体の神です。「その方は、真理の御霊です。・・・その方はあなたがたとともに住み」(ヨハネ14:17)「わたしの父はその人を愛し、わたしたちは(父と御子)はその人ところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14:23)この出来事は、使徒の働きの2章で起きました。聖霊降臨とも教会の誕生とも言われるところです。私たちがイエス・キリストを救い主と信じる時、神が内住されます。そのようなクリスチャンに悪魔や悪霊が神とともに内住できるかです。どうして聖なるお方が悪魔や悪霊を受け入れられるでしょうか。

「福音書」にはイエス・キリストが悪霊を追い出している記事がありますが、悪魔を人の中から追い出している記事はありません。また、弟子達が悪霊を追い出している記事はありますが、悪魔を人の中から追い出している記事はありません。「使徒の働き」も同様です。

私は、「教会成長」や「弟子訓練」、「霊の戦い」に影響されている人を見ているうちに、それは本当に聖書的に正しいだろうかと考えるようになりました。提唱している人が倫理的に間違いを犯す事例が目立つからです。それは個人的な問題で片付けてよいのでしょうか。教えの中に問題があるとは思いませんか。「教会成長」や「弟子訓練」、「霊の戦い」を実践している牧師が大勢います。私はこのようなムーヴメントには賛同しません。キリスト教文化や習慣が正しいとは限りません。読者も検証を心掛けましょう。私も正しいと思い込んでいる教えや解釈があるかもしれません。それを克服する為に学び続けています。気づいたことは人々にも分けていこうと思います。
by maranatha | 2010-10-22 07:27 | 霊の戦い

サタンよ出て行け??

 カルト化した教会ではサタンの追い出しが盛んです。クリスチャンでない人から追い出すのではなく、クリスチャンの中から追い出します。クリスチャンは聖書によると「神の神殿」「聖霊の宮」「キリストの体」です。このように譬えられているクリスチャンの中にサタンが同居できるでしょうか。同じ家のなかに、神とサタンが同居できるでしょうか。ありえないことです。神が住んでおられるならサタンは住んでいません。住んでいないところから延々と追い出しをすると疲れます。不安になります。クリスチャンからサタンを追い出すことは教理的に問題です。福音派やペンテコステ、カリスマではサタンは堕落した天使で、サタンはひとりでたくさん存在しません。どこかに居たら他にはいません。天使ガブリエルがマリアの前に現れた時、そこ以外の場所にガブリエルはいません。ところがサタンを追い出す教会では、クリスチャンからサタンを追い出します。全てが嘘かひとつだけ事実です。そのひとつも疑わしいものです。私に言わせれば追い出す人に対して「惑わす霊よ、この人から出て行け。」と言いたいです。サタンはひとりですが悪霊はたくさんいます。しかし、恐れることはありません。悪霊の方がクリスチャンを恐れているのです。なぜなら、神がクリスチャンと共におられるからです。サタンや悪霊に対していつからクリスチャンがこんなに怯えるようなようになったのでしょう。「霊の戦い」が盛んになってからです。キリストの内住が強調されていればこんなことにはなりません。教理的に偏ったおしえがクリスチャンの中に拡がったために問題が起きています。「霊の戦い」は宣教の中で実践されているもので、聖書的な根拠が希薄です。体験を根拠に物語を作り過ぎです。霊的な地図の作成などは全くでたらめです。ダニエル書から導き出すことはできません。神社の出版物やクリスチャンでない人が書いた本を用いて霊の地図を作成するのは、否定している分野からの引用です。このおかしさに気付いてください。歴史的な場所、異教の敷地で歩きながら霊の追い出しをすることも変だと思いませんか。パウロは偶像の満ちているアテネで歩きながら霊の追い出しをしたでしょうか。聖書のどこにそんなことを実践している使徒がいるでしょうか。このようなことを実践する人を「使徒」「預言者」ともてはやしている教会と牧師には注意しましょう。もし、あなたがこのような教えに影響を受けたら、あなたの心は平安を失い、霊に怯えるようになります。そして、いつも心が戦争状態となります。戦いを意識しないと一日を始められなくなります。神の臨在なきクリスチャン生活は不毛です。
by maranatha | 2009-10-16 07:46 | 霊の戦い

サタンよ出て行け Part2

 「サタンよ出て行け」だけで人間の異常行動が治るわけではない。人間の異状行動は、宗教モデル、生理モデル、社会モデル、心理モデルに分類され、治療が試みられてきた。

 宗教モデルは、人間の異常行動を悪魔の仕業とみなし、宗教家による悪魔祓いによって癒そうとする方法である。12世紀頃からヨーロッパに広がった魔女狩りは、精神病者を魔女とみなし多くの人々に対して悲惨な扱いを行った。

 生理モデルは、ヒポクラテス(B.C460-B.C377?)が人間の異常行動は脳の異常であるとし、安静と節制による自然療法をすすめた。19世紀半ば、ドイツで精神病や異常行動を身体因による病気とみなす医師が登場した。

 社会モデルは、18世紀にフランスで非人間的待遇を受けていた精神異常者に対して、人道的立場から彼らを収容施設から解放し、静養できる施設の建設が始まる。

 心理モデルは、人間の異常行動は心的機能不全とする心因論に精神分析学、心理学とが結びつき治療しようとする心理療法の立場である。

 なぜこのようなことを取り上げるかと言うと、カルト化した教会ではしばしば宗教モデルのみが取り組まれ、被害者へのダメージが深刻になっているからだ。人間の異常行動だけでなく、病気も不幸も全て悪魔のせいにして「サタンよ出て行け」を何日も何ヶ月も何年も繰り返している教会が存在する。この異常とも思える取り組みによって、正常な人々までもが異常心理状態に陥り、日常生活に異変が起きているのが現状だ。私は悪魔の存在を信じている。しかし、宗教モデルに固執しない。どのモデルも必要だと思う。

 以前遠方から悪霊を追い出していただきたいと依頼を受けたことがある。娘さんの異常行動は悪霊につかれていると思っておられた。状態は悪霊につかれているように見えるが何度かカウンセリングを通して、統合失調症ではないかと思い、精神科医の診断を勧めた。結果は統合失調症であった。私は勧められる薬を飲めば症状はおさまると伝えたところ、ほどなくみちがえるような回復をみせた。又、悪霊つきと言われて10年近く悪霊追い出しの対象となっている女性をカウンセリングしたことがある。統合失調症だとわかったので、「あなたに悪霊はついていない。精神科に行って診断してもらい、薬を飲みなさい。症状がよくなるから」と勧めた。彼女は来たときと出て行くときとでは顔が違って見えるほど笑顔で退出した。

 カルト化した教会では、日常が神と悪魔の戦いで、精神的緊張が強いられている。精神的な病を持っている人や情緒不安定な人は症状が悪化するだけだ。何度も「サタンよ出て行け」「悪霊よ出て行け」という対応だけを繰り返されたら、それはもう信仰による虐待だ。

 読者に勧めたい。「サタンよ出て行け」と度々牧師や信徒が何人もの人に命じて追い出しているようなら、その教会から出て行くほうがよい。サタンは一人であって偏在ではない。何人もの人に何人ものサタンがついているような神学をもっている教会はその対応において間違っている。又、「悪霊よ出て行け」と毎週礼拝や集会で悪霊追い出しをしている教会なら、注意が必要だ。ノンクリスチャンに対してするよりもクリスチャンに対して悪霊追い出しを日常的にするのはおかしい。パウロは「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることをしらないのか」(Ⅰコリント3:16)と言っているではないか、なのに悪霊追い出しばかりして、いつクリスチャンが悪霊の宮になったのか。あなたの教会は悪霊の住処ですかと言いたい。

 全ての不都合なことを宗教モデルで解決しようとする運動に私は荷担しない。私はペンテコステ派の牧師であるが見分けることを重視し、それにふさわしい対応を心掛けている。もし、ペンテコステ派の牧師がみんな悪魔祓いや悪霊祓いを日常的に実践していると思っていたら、それは偏見である。最後に私自身も悪霊を追い出したことがある。だから、悪霊追い出しを全面的に否定しているわけではない。悪魔祓いや悪霊追い出しによって何でも解決しようとする傾向に注意するためにこの記事を書いている。サタンは偏在ではない。しかし、悪霊は多数存在する。この件では又筆を取ろう。

注:4つのモデルは『講座 臨床心理学-1臨床心理学とは何か』(下山晴彦、丹野義彦 編:東京大学出版会)を参考にした。
by maranatha | 2008-05-15 08:56 | 霊の戦い

サタンよ出て行け

 過激な悪魔祓いをするカルト化した教会では、「サタンよ出て行け」と会堂のあちらこちらでサタンの追い出しをしている。又。同じようなことをしているカルト化教会がちらほらある。そして、世界のいたるところで同じようなことをしている教会がある。

 ちょっと考えて見よう。天使ガブリエルがマリアのところに受胎告知をしたとき、彼は世界のあちらこちらにいただろうか。天使ミカエルがペルシャの君と戦っているとき、彼は世界のあちらこちらにいただろうか。天使は偏在ではない。サタンも一人であって、たくさんいるわけではない。だから、彼はどこかにいるわけだが、どこにもいるわけではない。
 
「サタンよ出て行け」とだれかに対して、大声で、命令口調で追い出している人に言いたい。あなたの神学と行動は一致していない。もし、あなたがやっている行為が正しいなら、他で同じことをやっている全ての人はサタンがいないのに追い出していることになる。もし、他でだれか(単数)がサタン追い出しをしている人が正しいなら、あなたの行為は間違っている。あなたがだまされている確率の方が高い。騙されているあなたのところに、もはやサタンがいる必要はない。

 これは私の見解だが、このようなことを大げさにやっているところにサタンはいない。彼の出る幕はこんな簡単な誤りにも気づかないところにはない。私たちの知らないところにサタンはいるはずだ。至るところで「サタンよ出て行け」と追い出しをしていることをサタンは見て喜んでいるはずだ。一つ所にしかいないのに、世界中にいると思い込んでいる人々がたくさんいるからだ。

 なぜ、今日この記事を書くのかと言うと、先日このことをある人に話したら、「そうか」「そうなんだ」「サタンは偏在じゃないんだ」と手を打って合点していたからだ。私にとってはあたりまえのことが、気づいていない人にこの話が目覚めさせる効果があることをその人が気付かせてくれたからだ。
by maranatha | 2008-05-14 09:51 | 霊の戦い
宗教問題