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村上 密 Blog

カテゴリ:虐待( 17 )

聖イエス会 強制婚を拒む 4

結婚をやめることも、恐怖で出来ない。絶望の中で結婚式に向かった。私は信仰者として結婚は神聖なるものであるべきと思っていた。私は誓いを神にしなかった。嘘の誓いは出来なかった。神に対して、嘘は言えなかった。司式者は何度も言わそうとしたが私は言なった。司式者は誓いの言葉も聞かぬまま、式を進行させていった。それでも式を進めていくとは、キリスト教の結婚式何なのだろうと。私はすぐに逃げた。自分と、自分の生活と信仰を守りたかったから、逃げた。当然結婚生活もしていない、入籍もしていない。それでやっと私は神がそばにいて安心を得た。自分の生活を取り戻したと思った。この時点までは神が私の内にはしっかりと存在し神が味方してくれていると平安があった。しかし、これで教団が、相手の親族の相手が許すはずがなかった。これで終わりに向かうことを許さなかったのです。直ぐに牧師達は私のもとにやって来た。家に上がり込んできた。自由に友人に会うことも、仕事をする事も、教会へ行くことも禁じた。今は牧師である僕たちの指示に従って、と他人と接触する事を禁じた。一方で教会の信者には私と接することを禁じていた。ここから、私の生活は暗闇の中へ追いやられて行った。信じられない悪夢が始まった。恐怖で式をやめる事が出来なかった理由のその恐怖が現実となってやって来た。教会の牧師、この教団の本当の怖さをこの時知り、もうそこから逃げられない恐ろしさ。私はこの時から自分のそれまで生きてきた心の明るさ、それまでの生き生きとした人生の希望、自信もなにもかも失ったのです。音楽家として歩み始めたこの時から演奏がそれまでのように全く出来なくなった。心が壊れたために歌えなくなったのです。


by maranatha | 2018-10-15 10:34 | 虐待

聖イエス会 強制婚を拒む 3

私は、結婚式までに、男性にも話した。私は周りがこんなに結婚へ向かわせるだけの牧師達、結婚を牛耳っている聖職者相手にどうすることも出来ないなら、どうであろうと結婚は2人で決めることだと考え、私と相手の男性と話し合い、やめる方向へ持っていけたらいいのだと思い、男性に自分の気持ちを言い続けた。しかし全く相談にならない、そんなこと言われても困る、僕は結婚したいから自分で牧師に相談してくれ、といった決断力のない人であった。その相談にのってくれる牧師は私には皆無であるのに。しかも教団相手に私一人に決断させ、責任を取らせるような態度であった。式の前1週間は一言も会話をせず式の日を迎える有様だった。牧師、結婚相手、縁談に関わった聖職者全てが私の味方ではなかった。こんな巨大な相手を前に、一信者の私一人が結婚をしないこと、式をキャンセルするなど、いかに不可能で、どれだけ絶望と諦めしかなかったか。周りの大人達が一人の女性の気持ちも尊厳も蔑ろにする、その冷たさに、私は段々と抵抗する力も萎え、精神が弱っていった。教会の縁談なら牧師を中心に男性と女性2人でカウンセリングを受けながら結婚を決めて行くが、私の時は一度も2人で牧師を挟んで話すということは行われなかった。悩んでいるのを知りながら牧師は一度もしなかったのは何故か。私が嫌がっている事を知ったら余計にカウンセリングをするべきでは無かったのか?何故こんな状態を牧師は知りながら、話し合いもさせず、自分の役割も果たさず、結婚をさせようとしたのか。この様な状態を知っていながら何も牧師として対処してくれない牧師達の態度に私は精神が限界に達し、絶望の結婚式になった。


by maranatha | 2018-10-15 10:33 | 虐待

聖イエス会 強制婚を拒む 2

私の知らないうちに、相手側だけで式の日取りが決められていた。私には「〜日に決まりましたから」とすでに決定したことを報告されたのです。私は日まで決められてしまい、更にやめることが出来ない状態に追い詰められていき、従わなければならなくなった。教会側と相手側は結婚ありきの姿勢だけであった。相手男性の後ろに大きな教団が立ちはだかっている状況であり、この縁談は恐怖に変わっていった。阻止するにはどうすればいいだろうか、と私は一人追い詰められていた。しかし若かった女性一人に、そんな巨大な相手を前に何も逃げ道も解決も味方も何もなかった。その状況がただただ恐ろしく孤独であった。牧師は今更そんなことしたらどうなるかわかりませんよ!というだけの態度しかなく、私は恐怖で従うことしかなく、自由な考えをする事はゆるされてはいなかった。私の気持ちがこんな状態になっているのを知りながら、私の相談にはだれも耳を貸さなかった。その様な状態で私の知らぬ間に決められた式の日に短期間で向かわせるという状態だった。私の意思とは全く違うペースで式まで進められた。母が一度だけでも娘と話をしてくださいと願った。しかし牧師は話しかけたが、「もう式が迫っているけど、今更もう大丈夫だろ?」と私の辛い気持ちを言わせず聞こうともしなかった。そして結婚式の前日になり、私は精神的にも限界状態で起き上がれない状態であったため、親が私の代わりに、牧師になんとかやめさせてほしいと願い出たが、牧師は今更やめるなど許されるはずがないだろう!と言い親を教会から帰らせた。最後まで私の教会の牧師であるのに親身になって私と話し合いを持つ姿勢は最後の最後まで示してくれず、何を言っても相手側に立つだけであった。結局、逃げることさえも教団に何をされるかわからない恐怖で出来ない、結局、孤独のうちに式に向かうしかないまでに追い込まれた。私の精神は限界の状態で式に向かった。




by maranatha | 2018-10-15 10:31 | 虐待

聖イエス会 強制婚を拒む 1

掲載する記事は、強制婚を拒み、苦難を受けた女性の心の叫びである。


そもそも、結婚式に至るまでに、私は一度も牧師から結婚カウンセリングというものをしてもらえなかった。私の牧師はしようとしなかった。この縁談が来たときから、一度も信仰者の結婚について教えもなく、カウンセリングなど一切行われなかった。聖イエス会の有力な一族からの縁談の為、親族の聖職者が牛耳った。私が何を言ってもその聖職者と牧師で処理され、中立に相談を聞く人はこの縁談には存在しなかった。助けてくれる人は誰一人いない状態であった。あっという間に、結婚式の日取りが決定された。私は従うだけに追い込まれた。私はこの結婚にはいろんな疑問と問題を感じ、やめたかった。しかし周りの牧師、結婚相手、その親族の牧師、聖職者が全ての権限を持ち、その力に従う牧師は、一切私の相談に乗ろうとしなかった。ただの信者である私にはなんの権限も無かった。教会からの結婚話であるのにもかかわらず、教会の牧師はじめ誰一人私の相談に耳を貸す人はいなかった。結婚式を延期するとか、キャンセルするとかいろんな方法があったであろうが、牧師は相手側に立つだけで、私の苦しみには一切耳を貸さなかった。はじめから中立であるべきはずの牧師、関わった親族の聖職者は私の話には一切耳を貸さず、やめる方向への相談、両者を交えての話し合いをしたくてもしてはくれず、聞き入れもしてくれなかった。


by maranatha | 2018-10-15 10:29 | 虐待

司祭による性的虐待

2月6日、CNNによると、オーストラリア王立委員会は、国内におけるカトリックの司祭による児童への性的虐待の被害状況を明らかにした。これによって、オーストラリアにおけるカトリックの信用は失墜する。今後、司祭の処分と被害者への償いをしなければならない。カトリック信者の減少も予想される。また、被害者を出した教会や学校や施設からは、信者や子どもたちが他に移ることにもなるだろう。

詳しくは
http://www.cnn.co.jp/world/35096138.html

by maranatha | 2017-02-07 11:50 | 虐待

偽善

ある教会が、ある人に対して、医者でもないのに、病名をつけた。
そして、ある教会は、間違った病名を文書に書いて、ある人に送った。
それには、回復するまで、教会は対応できないと書いてある。
その教会のホームページに聖句がある。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
教会に病気をいやしてほしい言っているのではない。
それでも、教会は来訪を願っていない。
回復するようにお祈りしますと文書に書いてある。
その祈りは、拒絶しているのに、教会を正当化する言葉である。
なんという偽善。
間違った病名をつけて、対応を切ることは、差別である。
その人は、この対応に、深く傷ついた。
それ以前から、教会の対応に傷ついていたからである。
傷口に塩や唐辛子を擦り付けられたようなものである。
うめき、苦しみ、私のもとに電話をかけてきた。
私は遠くに住んでいるその人を訪ねた。
苦しんでいるその人と母を伴って人権擁護局を訪ねた。
私たちは今までの経緯を説明した。
また、文書にして、それを渡した。
人権擁護局は対応をしてくれている。
教会は招く聖句とは裏腹に拒絶する。

同じようなことは悪霊追い出しを行っている教会に多くある。
悪霊につかれていないのに、つかれていると言われる。
言われるだけではなく、何時間も強制的に追い出しが始まる。
これは精神的虐待である。
教会にとって不都合なだけで、悪霊つきと言われる。
多くの傷ついた人から相談があった。
教会は過ちを犯しながら、常に自分たちを正当化する。
正しいと思うことと正しいことは違う。

by maranatha | 2017-01-12 22:53 | 虐待

にせのエクソシスト

映画『エクソシスト』で有名なった言葉である。日本語は悪魔祓いをする人である。イタリアで起きた事件が「世界キリスト教情報」に掲載されていた。日本でも悪魔祓いが盛んに行われている。ただしカトリックではなく、プロテスタントである。日本での被害は過度の悪魔祓いを受けて、精神的に不安定になる人が増加している。不安から恐怖に支配され、精神病院へ通う人も出ている。私のところにはカウンセリングの依頼がよくある。実践されている悪魔祓いは、一種の恐怖のマインドコントロールである。悪魔に取りつかれていないのに、悪魔祓いを受けることは、精神的虐待である。

「世界キリスト教情報」より
イタリアでエクソシストの神父らを逮捕
http://cjcskj.exblog.jp/

by maranatha | 2016-10-27 19:00 | 虐待
宗教問題