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村上 密 Blog

カテゴリ:償い( 9 )

宗教の中で解決ができるか

刑事訴訟と民事訴訟によって問題を解決する方法と宗教内で解決する方法がある。一般的には損害を受けた場合、民事で損害賠償請求をする。宗教の中では与えた損害に対して償いをさせる。私はある宗教団体を著作権侵害で追及している。今日、宗教団体から連絡が届いた。23日に役員7名を含む9名が連名で宗教団体に辞任を表明し、30日をもって辞任することになった。著作権侵害に9名が関係していた可能性がある。ともあれ、責任の取り方は辞任である。残っているのは償いである。被害者は出版社だけではない。テキストを購入させられたセミナー等の参加者も被害者である。参加費は不当な利益であるので、これも返金すべきである。返金しなければ税務署に知らせる。辞任する9名が形だけの辞任で追及をかわすなら、躊躇なく刑事告発をする。宗教団体は再出発のために真の悔い改めが必要である。
by maranatha | 2019-06-24 15:34 | 償い

サイト構築中です

著作権侵害を行っている宗教団体のことをブログで取り上げた。するとその団体のホームページが消されて「サイト構築中です。」となっていた。消されても、消されたものを見る方法はある。私はいつでも消されたものを再現して証拠として警察署に持って行くことができる。問題は、著作権侵害にどれだけの人が関係して、どれだけの被害者がいて、どれだけの被害総額になっていて、どれだけの謝罪と償いをするかである。以前、ある宗教団体の問題を追及したとき、その団体は問題を認め謝罪し、団体の土地と建物を売却して謝罪し償うと言ってきたことがあった。この著作権侵害をした宗教団体はどのように対応するか。
by maranatha | 2019-06-23 21:31 | 償い

特集 償い 1

償いについて過去の記事を訂正加筆して特集とした。

「赦しなさい」という人は多いが、「償いなさい」という人は少ない。被害相談者は、身近な人々から「赦しなさい」と強制され、赦せないで、苦しんでいる。時には「赦しなさい」が口封じの言葉として用いられている。聖書の中には償いについて書いてある。償いを請求するは悪いことではない。
1、自発的な償いについて
  加害者が被害者に対して自発的に損害賠償する場合、現物
  にその代価の20%を増し加えるように教えている。
  (レビ記6:2、民数記5:6、7)
2、強制的な償いについて
(1)加害者が現物未処理の場合は、現物の2倍をもって償う。
  (出エジプト22:4)
(2)加害者が現物を処分した場合は、現物の4倍をもって償う。
  (出エジプト22:1)
イエス・キリストを信じた収税人頭のザアカイは、盗み取ったものは、4倍にして償うと言っている。これは自発的なものである。強制的な償いが4倍だから、自らに厳しく対応しているわけである。また、自分の財産を半分は貧しい人々に分け与えることを宣言している。これも自発的なものである。これらの自発的発言によって、ザアカイが救いをどんなに喜んでいるかが分かる。カルト化した教会の牧師は、自発的な謝罪と償いをすることはない。「赦しなさい」を教会員に教え込み、神の立場に立って、赦さない人を裁いている。パウロはピレモンへの手紙の中で、オネシモの負債について、自分が肩代わりすると表明している。罪の肩代わりはできないが、償いの肩代わりはできることを教えられる場面である。カルト化した教会の牧師の肩をもつ友人の牧師たちは、償いの肩代わりをすることはない。問題は、聖書を自分の都合の良いように引用するが、正しく解くということをしないことである。

by maranatha | 2016-05-07 14:00 | 償い

特集 償い 2


『新改訳聖書 ハンディー・コンコルダンス』には「つぐない(償い)」は、「出21:30 レビ5:16 24:21 Ⅱサム22:25 詩18:24 箴6:35 」「つぐなう(償う)」は「Ⅱサム21:3 イザ40:2 ヨエ2:25」とある。「償い」「償う」は旧約ばかりで、新約にない。『新約旧約聖書語句大辞典』にも、「償い」「償う」は新約にない。牧師は、「償い」が新約にないから、赦すことが大切だと教えている。
『黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版 マタイ伝』の18章を引用してみよう。「兄弟の罪を赦せ18:21ー18:35」の中に「償ふ」(25)「償はん」(26)「償へ」(28)「償はん」(29)「償ふ」(30)が出てくる。新改訳では「返済する」「お払いします」「借金を返せ」「返す」「借金を返す」である。このことから、「償い」が「返済する」と同じであることが分かる。
マタイでは、「それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。」(マタイ18:26、27)赦したのは、ただ赦したのではない。ひれ伏して、猶予を乞い、全部お払いいたします、と言っ多から赦したのである。
「ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。』」(マタイ18:21、22)この聖句に償いや返済が書かれていないから、赦すだけでいいと言ってはならない。22節の「イエスは言われた」から始まる「」は35節で終わっている。22節のペテロの質問に、イエスは23節から35節まで答えておられる。すなわち、謝罪と償いを申し出ている者へ、イエスは赦せと説いておられる。
カルト化した教会では、牧師がマタイの18章をよく用いて「赦しなさい」を強制する。実は彼らが一番「赦しなさい」と引用しているところが、反証の聖句となっている。これで、カルト化した教会の牧師が聖書の学びを良くしていないことが証明された。赦しは強制されてするものではない。謝罪し、償う人に対して、罪を赦し、償いを受けてもいいのである。また、罪を赦し、償いを免除してもいい。それは被害者の自由である。

by maranatha | 2016-05-07 14:00 | 償い

特集 償い 3

2005年4月6日、金保の逮捕で聖神中央教会事件は世の多くの人々の知るところとなった。私の名前は、「被害者の会」代表村上密で知られるようになった。私はもともと、異端やカルトから被害者を救出し、カウンセリングをすることを専門としている。まさか「教会」を扱うようになろうとは思いもよらないことであった。ただし、この教会は「カルト化した教会」でベレアという異端の教えも導入されていた。私は被害者とおおぜいの脱会者のカウンセリングを手掛けつつ、新聞社と行政の協力を取り付けた。少しく回復しはじめた被害者に、警察に被害届けを出すようにすすめた。女性の弁護士も決めた。刑事、民事両方の訴訟の支援にも取り組んだ。
連日の事件報道によって、他のカルト化した教会からの被害者の相談が飛び込むようになった。私は異端やカルトを扱う方法をカルト化した教会に対しても適応するようにした。宗教界には司法とは違う独自の解決方法というものがある。それは、しばしば被害者に都合の悪い結果となる。組織防衛というものが働くからである。「謝っているのだから、赦してあげなさい」といわれ、損害を償うということが行われないことがある。なかなか赦すことができないでいると、指導者から被害者がしかられるということもある。これでは被害者が救われない。宗教界の中で犯罪が起きているのであれば、司法の場で取り組むことの方が、被害者の損害の回復は早い。それに、カウンセリングで心の回復に取り組む、これが今の私の立場である。
私たちの教会は「宗教トラブル相談センター」を教会総会で決議し、設置した。効果はすぐに現れた。被害相談や、問題解決のための依頼が以前よりも増加した。キリスト教界には「牧会不介入」という不文律の紳士協定がある。教会が相互の自主的運営を重んじて、他の教会の牧会に口を入れないというものである。しかし、「カルト化した教会」の中で行われているのは犯罪である。そこでは、暴力、経済的詐欺、人格破壊が起きており、キリスト者として見過ごすことはできない。私は長く社会問題に取り組んできた経験から、裁判に訴えるという方法が被害者の救済と犯罪の抑止効果になると判断し、被害者の裁判を支援している。

by maranatha | 2016-05-07 14:00 | 償い

償い

 『新改訳聖書ハンディー・コンコルダンス』には「つぐない(償い)」は、「出21:30 レビ5:16 24:21 Ⅱサム22:25 詩18:24 箴6:35 」「つぐなう(償う)」は「Ⅱサム21:3 イザ40:2 ヨエ2:25」とある。「償い」「償う」は旧約ばかりで、新約にない。『新約旧約聖書語句大辞典』にも、「償い」「償う」は新約にない。勉強不足の牧師は、「償い」が新約にないから、赦すことが大切だと教えている。

 『黒崎幸吉著註解新約聖書Web版マタイ伝』の18章を引用してみよう。「兄弟の罪を赦せ18:21ー18:35」の中に「償ふ」(25)「償はん」(26)「償へ」(28)「償はん」(29)「償ふ」(30)が出てくる。新改訳では「返済する」「お払いします」「借金を返せ」「返す」「借金を返す」である。このことから、「償い」が「返済する」と同じであることが分かる。

 マタイでは、「それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。」赦したのは、ただ赦したのではない。ひれ伏して、猶予を乞い、全部お払いいたします、と言っ多から赦したのである。

 マタイの「ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。』」(18:21、22)この聖句に償いや返済が書かれていないから、赦すだけでいいと言ってはならない。22節の「イエスは言われた」から始まる「」は35節で終わっている。22節のペテロの質問に、イエスは23節から35節まで答えておられる。すなわち、謝罪と償いを申し出ている者へ、イエスは赦せと説いておられる。

 カルト化教会では、牧師がマタイの18章をよく用いて「赦しなさい」を強制する。実は彼らが一番「赦しなさい」と引用しているところが、反証の箇所となっている。これで、カルト化教会の牧師が聖書の学びを良くしていないことが証明された。赦しは強制されてするものではない。謝罪し、償う人に対して、罪を赦し、償いを受けてもいいのである。また、罪を赦し、償いを免除してもいい。それは被害者の自由である。

by maranatha | 2014-07-28 23:03 | 償い

償い

 「赦しなさい」という人は多いが、「償いなさい」という人は少ない。被害相談者は、身近な人々から「赦しなさい」と強制され、赦せないで、苦しんでいる。時には「赦しなさい」が口封じの言葉として用いられている。聖書の中には償いについて書いてある。償いを請求するは悪いことではない。

Ⅰ、自発的な償い
  加害者が被害者に対して自発的に損害賠償する場合、現物
  にその代価の20%を増し加えるように教えている。
  (レビ記6:2、民数記5:6、7)

Ⅱ、強制的な償い
1、加害者が現物未処理の場合は、現物の2倍をもって償う。
  (出エジプト22:4)
2、加害者が現物を処分した場合は、現物の4倍をもって償う。
  (出エジプト22:1)

 イエス・キリストを信じた収税人頭のザアカイは、盗み取ったものは、4倍にして償うと言っている。これは自発的なものである。強制的な償いが4倍だから、自らに厳しく対応しているわけである。又、自分の財産を半分は貧しい人々に分け与えることを宣言している。これも自発的なものである。これらの自発的発言によって、ザアカイが救いをどんなに喜んでいるかが分かる。カルト化教会の牧師は、自発的な謝罪と償いをすることはない。「赦しなさい」を教会員に教え込み、神の立場に立って、赦さない人を裁いている。パウロはピレモンへの手紙の中で、オネシモの負債について、自分が肩代わりすると表明している。罪の肩代わりはできないが、償いの肩代わりは出来ることを教えられる場面である。カルト化教会の牧師の肩をもつ友人牧師たちは、償いの肩代わりをすることはない。問題は、聖書を自分の都合の良いように引用するが、正しく解くということをしないことである。償いは、旧・新約聖書を通して教えてある。被害者は、償いを請求する権利が、聖書的であることを知っていたほうがよい。もし、加害者が聖書に訴えても支払わないならば、この世の法に訴えて請求する権利を国民として持っている。パウロはローマ市民なのでローマの法に訴えたことを覚えておこう。




by maranatha | 2013-04-13 16:03 | 償い

償い

 私たちがだれかに損害を与えたとき、どのように対処したらよいのでしょうか。

 まず必要なのは謝罪です。それも心からの謝罪でなければ相手の心に到達することはできません。その場を繕うための言葉であったら、相手が許さないと言ったとき、逆上して「こんなに謝っているのに」と口走ってしまうかもしれません。これは本当の謝罪ではありません。言葉だけでは済まされない損害を与えているとき、私たちはその損害にも目を向けるべきです。

 損害については以下のことを心がけましょう。
1、傷害:傷害を与えた場合、その人の受けた傷害のレベルに応じて償う。
2、苦痛:傷害の苦痛をどれだけの期間耐え忍んだかも、損害賠償に含めるべきです。
3、治療:傷害の全快までかかった医療費は負担すべきです。
4、時間の喪失:傷害のため働けなかった期間の労働賃金は保障すべきです。

 このような償いのために代価を支払うことを正面から取り組もうと考える時、私たちは後ずさりをしたくなります。自分の犯した罪の大きさから逃げ出したくなります。しかし、被害にあった人が心からの謝罪を聞いたときの寛大さにはしばしば感動します。許しの大きさを体験できるからです。しかし、加害者はこれを期待しての謝罪ではなく、本当の心からの謝罪が大切です。そして、償いは一生かかってもの心が大切です。
by maranatha | 2008-07-06 20:42 | 償い

謝罪と償い

 2005年4月6日、金保の逮捕で聖神中央教会事件は世の多くの人々の知るところとなった。私の名前は、「被害者の会」代表村上密で知られるようになった。私はもともと、異端やカルトから被害者を救出し、カウンセリングをすることを専門としている。まさか「教会」を扱うようになろうとは思いもよらないことであった。ただし、この教会は「カルト化した教会」でベレアという異端の教えも導入されていた。私は被害者と大勢の脱会者のカウンセリングを手掛けつつ、新聞社と行政の協力を取り付けた。少しづつ回復しはじめた被害者に、警察に被害届けを出すように勧めた。女性弁護士も決めた。刑事、民事両方の訴訟の支援にも取り組んだ。

 連日の事件報道によって、他のカルト化した教会からの被害者の相談が飛び込むようになった。私は異端やカルトを扱う方法をカルト化した教会に対しても適応するようにした。宗教界には司法とは違う独自の解決方法というものがある。それは、しばしば被害者に都合の悪い結果となる。組織防衛というものが働くからである。「謝っているのだから、赦してあげなさい」といわれ、損害を償うということが行われないことがある。なかなか赦すことができないでいると、指導者から被害者がしかられるということもある。これでは被害者が救われない。宗教界の中で犯罪が起きているのであれば、司法の場で取り組むことの方が、被害者の損害の回復は早い。それに、カウンセリングを平行し心の回復に取り組む、これが今の私の立場である。

 私たちの教会は「宗教トラブル相談センター」を教会総会で決議し、設置した。効果はすぐに現れた。被害相談や、問題解決のための依頼が以前よりも増加した。キリスト教界には「牧会不介入」という不文律の紳士協定がある。教会が相互の自主的運営を重んじて、他の教会の牧会に口を入れないというものである。しかし、「カルト化した教会」の中で行われているのは犯罪である。そこでは、暴力、経済的詐欺、人格破壊が起きており、キリスト者として見過ごすことはできない。私は長く社会問題に取り組んできた経験から、裁判に訴えるという方法が被害者の救済と犯罪の抑止効果になると判断し、被害者の裁判を支援している。
by maranatha | 2007-10-26 20:28 | 償い
宗教問題