人気ブログランキング |
ブログトップ

村上 密 Blog

カテゴリ:カルト化教会の被害者への対応( 4 )

緊急事態

昨晩東京から22時に帰宅した。22時半に切迫した電話がかかり、会って話を聞いてほしいとのこと。時間も過ぎて、明日は5時に起きて福岡へ行かなければならない。3日後に面談できると伝えた。それでも、今日でなければと、内容を聞いても、会って話さないとの一点張り。承諾した。30分かかるところからタクシーで来会。運転手に往復をお願いし、待機していただいた。話を聞き終わったのが0時半だった。往復代金を渡して帰っていただいた。お金がないとのことで宗教トラブル相談センターから緊急支援金として出した。家について眠りについたのは1時だった。5時には起きなければならない。

5時に起きた。身支度して、外に出た。少し歩いてタクシーを待った。近くの鳥の宿る電線から数十羽づつ、一陣、二陣、三陣と鳥たちが飛び立っていく。まだ日は出ていない。空は朝焼けだ。タクシーに乗車して、空港バス乗り場に着くと出発寸前、声をかけて飛び乗った。バスの中では眠った。空港では新聞を読んだ。ジェット機の中では眠った。空港から地下鉄で博多駅に向かった。博多から乗り換えてこれから目的に向かう。

by maranatha | 2019-10-07 10:21 | カルト化教会の被害者への対応

代理人

2019年も半ばが過ぎた。私は2015年3月末を持って主任牧師を辞した。あれから4年が経った。主任牧師を辞したのであって牧師を辞したのではない。3月末で辞したのは4月になれば60歳の誕生日を迎えるからだ。私の属する教団には定年制はない。牧師は80歳頃にだいたい引退している。私はやらなければならない働きがあり、50歳から段々といろいろな役を降り、役職を断ってきた。最後に残っていた責任の重い主任を辞したら、もう少し時間にゆとりができるのではないかと思ったがそうはならなかった。異端・カルト問題を扱う牧師は少ない。それがカルト化教会の問題となるともっと少なくなる。需要と供給のバランスがこの分野は崩れている。教会のカルト化の問題は、2005年聖神中央教会事件をきっかけに増えた。教会のカルト化問題を解決するために役立つのが代理人である。しかし、代理人には責任が伴うために、わかってもそれをするのは大変である。代理人の判断によって相談者に損害が生じたとき、法的には問題がなくても、道義的には何もないと言うわけにはいかない。また、相談者や被害者の問題を引き受けるために、加害者や加害者とみなされる人々、その関係者からいろいろな攻撃や妨害、嫌がらせを受けることもある。すでに多数と少数と言う立場に陥っている人を助けをするわけであるから、労の多い働きとなる。代理人として動くとき、相手の弁護士から、あなたの行為は非弁行為ではないか、と内容証明が届いたことが何度かあった。あなたのように労働の対価として報酬を頂いていないので、非弁行為には当たらないと反論すると、代理人として対応してくれた。弁護士と文書や口頭で交渉することもある。法の専門家と問題を話し合うときは、ある程度問題に関わる法的な知識がなければ軽くあしらわれる。ただ、こちらの強みは被害者の代理人になっていることである。被害を明白に文書化して抗議すれば、向こうは対処せざるを得なくなる。何年も逃げまわる団体や人物もいるが、それぞれ応分の報いを受けている。
by maranatha | 2019-07-02 17:50 | カルト化教会の被害者への対応

苦しみの意味

ある人のカウンセリングをした。その人は自分のカウンセリングの途中で、ひとり、ふたり、さんにんと友人をカウンセリングに誘った。そして、その人たちが元気になっていった。彼女が悩み苦しんだことは無駄ではなく、同じように悩み苦しむ人を回復させる役割を担ってくれた。人は知らないうちに他の人の役に立っている時がある。自覚しないで過ごしているときから自覚して過ごすようになると、悩みや苦しみに意味を知って、今までとは違った見方考え方で過ごすことができるようになる。
by maranatha | 2019-05-27 22:25 | カルト化教会の被害者への対応

怒りを裁いてはならない

カルト化教会を脱会した信者が、新しい教会を捜して困惑するのは、被害に遭ったことを怒って牧師に伝えたとき、裁いてはいけない、と牧師から言われる時である。なぜ、被害に遭ったのに怒ってはならないのか。おまけに、赦しなさいと言われる。被害者は、牧師が訴えをじっくり聞くのではなく、牧師の価値観を押し付けてくるとき、ここは自分を受け入れてくれる教会ではないと判断する。私は、カルト化教会の脱会者が、教会不信、牧師不信に陥っているのを対応している。もし、受け入れ教会が本気で対応しようとするならば、被害者の訴えを聞いて、聞いて、それでも聞いて、断定的な判断をしないで、なぜ怒っているかがわかる怒りに対しては、怒るのがわかりますと認めることである。赦しなさいと決して言ってはならない。なぜなら、カルト化教会の牧師は反省しているわけでもなく、被害者に謝っているわけでもない。被害者が被ったことを現在も残っている信者に行い続けている。そのような牧師に対して何も注意をしないで、目の前の被害者を従来の価値観で牧師が対応すると、被害者からは牧師が加害者側に立ていると思われるからである。牧師が、私は中立です、と言ってはいけない。それは被害の事実を聞いていながら、何もしないことである。火事が起きているのに、ただ見ている野次馬と変わらない。中立とは体裁のいい言葉で、要は傍観者である。最も悪い対応である。
by maranatha | 2017-07-21 22:13 | カルト化教会の被害者への対応
宗教問題