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村上 密 Blog

カテゴリ:献金( 6 )

聖イエス会の結婚観 4

白い結婚を聞いたことがあるだろうか。これは入籍はしているが、性関係が成立していないことを指す言葉である。以前、私は結婚をしたが性的関係が長年全くなかった「夫婦」の離婚を勧めた。離婚したものはこの職に就いてはならないと言う職業の人であったために職を失うことが考えられたが、これは白い結婚であるので職を辞する必要はないと主張し、辞任を防いだことがある。
by maranatha | 2018-07-23 10:33 | 献金

夢と現実

ある家の借金の話を聞いた。
1日に8万円支払いに掛ると言う。
1週間で56万円、1月で240万円、
1年で2880万円である。
総工費10億と聞いた。
金利払いだけでも大変である。
このような返済をどれだけの期間続けるのだろう。

そこである人がクイズを出した。
この家は、赤い家、黒い家、白い家?

経済はバブルがはじける前は右肩上がりだった。教会はそれを目安に新会堂建築の支払いの計画をしたが、バブルがはじけて当てが外れた。その結果、負担は信徒に重くのしかかった。信徒は教会からひとり去り、ふたり去り、残った信徒に負担が増した。ビジョンという名の牧師の自己実現に付き合う信徒はあわれである。最近、教会成長に伴う教会収入の右肩上がりを目安に豪華な教会建築をした教会がある。信徒への負担が増していると聞いた。会堂は建てるのに資金がかかり、維持費にもかかる。大きな会堂であればあるほど、10年ごとの外壁塗装、内装費も多額の資金が必要である。大切なのは堅実な返済計画である。

by maranatha | 2018-05-08 10:53 | 献金

傍聴

平成28年(ワ)第9460号 損害賠償等請求事件
原告 岩崎 明子、同岩崎 隆昭
被告 京阪中央教会 村上好伸

平成30年1月19日(金曜日)午後1時30分から
大阪地方裁判所の第809号法廷

上記の裁判で本人尋問があり、傍聴した。原告、被告当事者同士が、尋問の前に、良心に誓って嘘偽りを申しませんと宣誓をするのだが、被告の質問に対する答えを聞いていて、私は何度も首をひねった。これが良心に誓っての答か。たとえ、神の前に誓ってであっても同じように答えるのだろうと思うと良心と言うものがいささか軽いものだと思わざるを得ない。聖書には誓ってはならないとあるが、それは軽々しくいろいろなものを指して誓う当時の悪癖を戒めた言葉である。

by maranatha | 2018-01-22 21:49 | 献金

什一献金は救いの条件ではない

ある牧師が、オリーブ熊本城教会のことで問い合わせてきた。物件を次々に購入している。どんな教会かホームページだけではよくわからない。牧師の経歴が書かれていないからである。それで関連する記事を捜してみた。「神さんの言うとおり」のブログに牧師のメッセージの内容が記載されてある。以下は2016年8月16日のメッセージの抜粋である。

https://ameblo.jp/kinoshita-kotoba/entry-12191034752.htmlより
【8月16日メッセージ】
4月16日の熊本地震から4ヶ月が過ぎました。
愛するおかんと兄弟姉妹のお祈り、ご支援に感謝と御礼を申し上げます。
私たちの教会は 真理と結婚して約11年前にスタートしました。
1万5千円の家賃の小さい丸太小屋からスタートしました。
祈りと断食するしか何もありませんでした。
この10年間、ヨブのようには大げさですが、夢みる者のように主は祝福して下さいました。
熊本城の近くに8階建と9階建の賃貸マンションを建て
1階がResurrection And Life Japan Churchです。
去年の3月にオリーブミルクロード教会も購入しました。
いつも 主の栄光の為に成るならください と祈ると与えられます。
主のしるしと不思議、奇跡をこの10年間見てきました。
携挙に残されたらいけないので、十分の一献金はメッセージしますが、
会堂献金等一切していません。
900坪【1坪は3.3㎡】、450坪、250坪、500坪の土地に4階建、7階建、8階建、9階建.10階建と新築賃貸マンションを毎年のように建てました。

神の祝福を受けた話である。何の問題もなさそうな話であるが、「携挙に残されたらいけないので、十分の一献金のメッセージします」と書いてある。これは什一献金をしない人は携挙に残されるととれる発言である。となると、祝福された話ではなく、携挙の時に残されたくないので、牧師の話を真に受けた人は什一献金をすることになる。これでは、救いに什一献金が付け加えられていることになる。これは福音ではない。いろいろな間違った救済論が語られてきたが、新しい間違った救済論が語られていることになる。

by maranatha | 2017-08-25 23:15 | 献金

献金 2

クラウディウス帝の在位は紀元後41年ー51年である。アガポが「世界中に大飢饉が起きると御霊によって預言した」(使徒11:28)のは紀元46-47年に起きたユダヤの飢饉と思われる。この飢饉が起きたとき、アンテオケ教会の「弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。」(使徒11:29)バルナバとサウロをエルサレムの長老たちに遣わし、救援の物(献金)を届けさせた。

「献金」は力に応じてであって、強制ではない。律法にある十分の一でもない。コリント人への手紙の1と2に出てくる「献金」はすべて、エルサレムへ届ける救援の物である。今日のような宣教や教会運営のための献金ではない。それゆえ、パウロが言うところの「献金」は、紀元46-47年に起きたユダヤの飢饉以後に出てくる言葉である。それ以前は、「献金」ではなく「代金」(使徒4:34、37、5:2、3)という言葉が使われている。「献金」は諸教会からエルサレムへの救援の物であり、「代金」はエルサレムの中で「必要にしたがっておのおのに分け与えられた」(4:35)お金である。

「代金」は初代教会から始まったものではない。「『国のうちにいるあなたがたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。』」(申命記15:11)これは主の命令である。初代教会は、この教えを、当時のユダヤ教徒以上に実践した。それは憐れみ深い神が望んでおられることだと知っていたからである。そしてそれはイエスの教えでもある。「施しをするときには、人に褒ほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。・・・施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」(マタイ6:2、3)教会の週報に献金者名と金額を書く教会があるが、何か間違っていないか。

「献金」と「代金」に共通することがある。それは貧しい人々への捧げものである。教会が「献金、献金」と強調して、それも旧約聖書の「十分の一」を引き合いにして「献金」を強調し、個教会の経済が潤い、繁栄を謳歌したり、高額な牧師給を支払うような教会の有り方は、全く聖書的ではない。「献金」は「平等」(2コリント8:13、14)を図ろうとしておられる神のご計画にたずさわる業である。

by maranatha | 2017-06-15 22:21 | 献金

献金

パウロ書簡の中で、献金は6節ある。1コリント人への手紙に次のように書いてある。「さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤの諸教会に命じたように、あなたがたにもこう命じます。」(16:1)「私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。」(16:2)「私がそちらに行ったとき、あなたがたの承認を得た人々に手紙を持たせて派遣し、あなたがたの献金をエルサレムに届けさせましょう。」(16:3)ここでの献金は、現代の私たちが持っている献金の概念とは違っている。この献金は貧しいエルサレム教会を支援する献金である。次に2コリント人への手紙には次のように書いてある。「この献金のことについて、私の意見を述べましょう。それはあなたがたの益になることだからです。あなたがたは、このことを昨年から、他に先んじて行なっただけでなく、このことを他に先んじて願った人たちです。」(2コリ8:10)「私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています。」2コリ8:20「そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。」(2コリ9:5)これもまた、貧しいエルサレムへの支援するための献金である。

パウロが書いている献金は、捧げた人が属する教会の活動のために使用される献金ではなく、集められたすべて献金は、貧しいエルサレム教会へ送金する献金である。このような性質を持つ献金が、自分の所属する教会活動を維持するために用いられるのは飛躍がある。

2コリントの手紙8章と9章は献金について書いてある。この中で、献金は「神の恵み」(8:1)「ささえる交わりの恵み」(8:4)「恵みのわざ」(8:6、7、19)「奉仕」(9:1,9:12 )「贈り物」(9:5a、5b)「わざ」(9:13)「証拠」(8:24、9:13)という用語でも書かれてある。詳しく読めば他にもあると思う。献金については、動機、意味、心構えについても書いてあるが、これも誤用されているようである。献金について悩んでいる人、苦しんでいる人、考えている人は、1コリント16章1~4、2コリント8章、9章を注解書でしっかり学ぶことを勧める。牧師が何と言っているかではなく、聖書が何と言っているかが判断基準にして信仰生活をしなければ、惑わされかねない。なぜなら、繁栄の神学を取り入れた牧師が、聖句を誤用しているからである。

by maranatha | 2017-06-05 22:22 | 献金
宗教問題