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村上 密 Blog

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あなたはおかしいと思いますか?

UさんはかつてOR教会のセルリーダーでした。
この教会では、牧師が説教をノートに書き留めるように徹底的に指導しています。彼女は牧師の語る一言一言を書き漏らさないように書き留める習慣を身につけました。彼女の記録をもとに、教会が健全かどうか検討してみたいと思います。地域教会の指導者の方々の教会の実態も同じだからでしょうか。それとも、知らずに仲がよいのでしょうか。これは、地域教会の教会員の方々にも参考になる記録です。彼女の許可を得て、テーマごとに抜き書きしてみました。

サタンについて
1、クリスチャンが成長しないようにサタンが邪魔し動き回る。
2、サタンの攻撃は人間関係から入る。神から離れることは最大の罪である。
3、サタンは思いに働く。汚れた霊、悪霊が人に取り付くために動き回っている。
4、安定レベルで留まるならサタンの思うつぼ。
5、不幸の原因は悪魔に制されているからである。
6、与えられた奉仕任務を徹底して行う。恐れが入ると悪魔の要塞になる。
7、攻撃の体系をしっかり定め、サタンと戦う。
8、信仰は疑わないことが条件。サタンと人に注意しなさい。
9、悪魔に揺さぶられても振り落とされないようにしがみ付く。
10、悪魔にやられないために立ち向かえ。
11、敵を知り、サタンを見抜け。勇気を失うとサタンにやられる。
12、自分の感情で動くと破壊がくる。欲深さはサタンが持ってくる。

献金について
1、もっと時間を捧げ、借金があっても関係なく什一献金をささげる。
2、蓄えのある人は神に返しなさい。教会に精一杯の奉仕と捧げものを。
3、弱音を吐かない。従い通す。貧しいからこそ什一献金を捧げるべき。
4、財布に残った額、自分のために蓄え残していないか?
5、経済に行き詰っている人、ケチな根性は捨てろ。

奉仕について
1、自分を持ったまま信仰していないか?自我に死ぬこと。
2、教会と死も生も運命を共にする。
3、奉仕者は自我に死ぬ。
4、如何なる状況であっても奉仕を降りない。
5、闘いは司令官に従うこと。
6、いかに忠実に、従順に従ったかを問われる。
7、心から喜んで仕えない者には災いがくる。
8、世の一般企業でさえ奉仕をする。クリスチャンはあたり前。
9、自分自身を打ちたたいて従わせよ。
10、奉仕しない人は全ての面で成長できない。
11、セルリーダーは神からの選び、何があっても生涯やり通せ。途中で降りるな。
12、心の中で疑うな。自分はごまかせても神様はごまかせない。
13、しもべとは奴隷のこと。奴隷には主権はない。 
14、理解できなくても服従し、命令に従う。
15、不平不満を言うな。死に至るまで忠実であれ。

サタンについて、献金について、奉仕について、以上のような教えを受けたUさんがどのような信仰生活を過ごしたか、これは彼女の証言です。

私は、毎月献金(什一献金含む)を納めると、次の月の献金が気になり不安でした。牧師は十分の一は最低ラインだ!十分の二、十分の三を目標にするように語っていました。これ以上の献金は無理と思い、寝る間も惜しんで奉仕奉仕の生活を過ごしました。平日は仕事でクタクタになり、土、日は平日以上に教会の奉仕に明け暮れ慢性疲労状態でした。体調を崩し病気にもなりました。奉仕を止めると落伍者と見られるので、薬を飲みながら奉仕を休まず続けました。あるとき、睡眠が取れず、セルリーダーを休みたいと牧師に申し出ると、「奉仕を降りるということは、悪魔にやられたことになるんだぞ!悪魔にやられていいのか!」と怒鳴られました。
このような奉仕の生活は私だけではありません。他の多くの信者も生活を切り詰めギリギリの状態で教会の奉仕をこなしていました。奉仕に熱心であればある人ほど多くの問題を抱えるようになりました。奉仕中心の生活なので、家庭を省みることができず、夫婦間の問題が多くありました。熱心な奉仕者ほど教会の中では模範者を演じなければならず苦しんでいます。一人の奉仕者は心を病み、教会の周りをうろつくようになりました。やがて家庭が崩壊し、離婚しました。もう一人の奉仕者は借金を抱え、育ち盛りの小さい子供を残して離婚しました。私は牧師にこの人の奉仕を降ろしてくださいと頼みましたが「代わりの奉仕者がいないから奉仕は降ろせない」とことわられました。あるとき、ある方のことでは牧師に訴えたことがあります。すると「アルバイトの什一献金を彼女はしていないんだよ!」愛のかけらもない牧師だとおもいながらも、その教会から離れることができず、奉仕を続けました。

 彼女の証言は健康な教会に属する教会員にとっては驚きですが、カルト化した教会に属する教会員にとっては同じということになります。カルト化した教会で信仰生活を過ごしたければ、牧師に従っていくしか方法がありません。それは苦しいことなのに教会を出ることに直接には、結びつきません。教会での人間関係を失う苦痛の方が大きいと思うからです。「教会」を素通りして牧師の懐にお金が流れていても、自分は神のために献金したのだと思い続けたいのです。

 カルトは真実と虚構の落差が大きいところです。その最たるものが指導者の偶像化です。貪欲で非常識なのに、それがカリスマ的とみなされます。信者は貪られ、貧しくなり、非常識な教えのために、多くの問題を抱えるようになります。すると、それが「神からの試練」「サタンの攻撃」に摩り替えられます。何のことはありません。指導者も信者も非常識なので、周囲との摩擦が多くなり、問題解決能力が低下し、万事が神だのみか、悪霊祓いにのめり込み、神かサタンの二元論的思考に陥り、肉体的にも精神的にも疲弊した状態になります。

 以上が私の扱うカルトやカルト化した教会の共通した点です。サタンも悪霊も存在します。しかし、カルト化した教会では神と同等なくらい力があるように教えられ、恐れられています。それこそサタンの思う壺です。統一教会では勝ち続けている虚構が作り上げられ、勝利の記念日が一杯です。カルト化した教会では敗北の連続です。悪霊を追い出そうとしても追い出しきれないで疲れ果てているからです。悲劇を終わらせるためにUさんは立ち上がり裁判を起こしています。
by maranatha | 2007-08-27 14:18

physicomathさんへ

ブログ「physicomath」を読みました。
「思想の科学研究会」編の『転向』をカルト救出に活用したことを評価くださりありがとうございました。今でこそカルトに関する書籍は山ほどありますが、カルト問題に取り組み始めた頃はほんとうにわずかでした。特に人の考えが変わるためにどのようなアプローチをしたらよいかについての本はありませんでした。私は思想、哲学、宗教、心理学を読みあさり、鶴見先生の本に出合いました。数年前あるカルトの被害者の会に鶴見先生と同席して、講演したときは、喜びひとしおでした。こんな出合いもあるんですね。長年カルト問題に取り組んでいますといろいろな本、人との出合いがあります。全てから学べると思っています。最近、何度か佐々木秀典弁護士と協力して、ある団体に閲覧請求をしました。佐々木弁護士は以前民主党の衆議院議員で、細川内閣では法務政務次官をされました。その働きの中で、宗教法人改正にも取り組まれました。この改正案によって閲覧請求ができるようになり、これを共に用いることができたときは感慨無量でした。宗教法人改正に関する書籍はずいぶん買い求め読みました。今ずいぶん助かっています。カルトの被害者から学ぶこともたくさんあります。民俗学は聞き取りから始まると言いますが、カルトもひとつの文化を持っています。カルト用語、意味付け、行動形態、支配系統、家族関係、思想形態等など、数を当たり、聞き取りを重ね、その人の属するカルトを知らなければ闘えません。勝つためには「己を知り、敵を知る」のみです。
by maranatha | 2007-08-11 07:31

隣人愛

 「良きサマリヤ人」の物語は私たちに隣人愛を教えてくれます。私たちの隣人とはどのような人でしょうか。お隣さんでしょうか。友人でしょうか。私は虐げられている人、非人道的な行為の犠牲者と考えています。ですから、カルトの被害者は私の隣人です。

 私は少年時代、両親から「密は三日坊主だ」とよく言われました。その私がカルト救済のために30年間取り組んできました。これは私の人生で一番長い取り組みで、信仰を持った時からです。きっかけは、私がカルトから救われたからです。私はこの働きを神から与えられたと信じています。そして、この働きに伴う問題や困難を神が必要な知恵と力を与えて克服させてくださると信じています。それで30年間も取り組むことができました。これからもこの働きを与えてくださった神を頼り、カルト救済を続けていきます。被害相談の中には何ヶ月も何年も必要とするものがたくさんあります。すぐに飽きてしまう性格ではこの働きは務まりません。

 さて、良き隣人とはどのような人のことでしょうか。だれが私の隣人でしょうかと言って辺りを見回す人は良き隣人にはなれません。私は私の隣人たちに対して、私は良き隣人であろうと願い生きてきました。それはイエスが「それを実行しなさい」(ルカ10:28)と命じておられるからです。
by maranatha | 2007-08-07 08:57

教会のカルト化

 教会がカルト化するなんてうそでしょう。そんな過激な表現はやめてください。災いが来ようとしているのに平安だと何故言えるでしょう。カルト化した教会が存在するのは事実です。そして、カルト化しつつある教会が存在するのも事実です。異端は教会から出ました。ならば、カルト化した教会が教会から出ても何らおかしいことではありません。

 カルト化した教会の牧師と仲良くしている地域教会の牧師会は、カルト化の被害者から見ると加害者に見えます。戒めることもしないで仲良くしているからです。地域教会の合同の大会やセミナー、イベント等に多額の献金をし、動員をかけるカルト化した教会は大会等の「成功」を願う主催者側にすると歓迎すべきことです。カルト化した教会は地域教会に歓迎されていることを強調し、自分たちの「健全性」を信徒にアピールします。しばしば、教会の集会に招かれる著名な講師たちも「成長している教会」「りっぱな牧師」と持ち上げ、ふところぐあいをよくして帰っていきます。このような関係は利害関係であって、キリストの体なる教会を建て上げる協力関係ではありません。招かれればどこでも行くという方針を持っておられる講師たちは、方針を改めていただきたいものです。カルト化の被害に一役買っていることになります。又、カルト化した教会の牧師と協力関係を維持しておられる地域教会の責任者の方々は、カルト化した教会の身近にいて、被害を耳にする立場にありますから、知ってなお、協力関係を続けているとすれば、責任問題です。これから、ケースによっては責任を追及することもでてくるでしょう。自ら反省することができなければ実名公表で公開質問状を出し、反省をうながすしかありません。もうすぐある裁判の判決がでます。この裁判はある地域教会の牧師会が裁判をさけるように私たちに働きかけがありました。私たちが勝訴したら、牧師会は裁判における被告を応援ないし、擁護したことになりはしないでしょうか。不正を正さず、ただ裁判しないように働きかける牧師会はいったい何のために存在しているのでしょうか。「赦しなさい」と言って被害回復を助けるわけではなく、被害拡大を防ぐために立ち上がるわけでもない。いったい何を目的として行動しておられるのでしょうか。傍観者でもないことは確かです。
by maranatha | 2007-08-07 08:56
宗教問題