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村上 密 Blog

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2007年11月28日(水)

「平成18年(ワ)第666号損害賠償等請求事件」の公判が那覇地方裁判所で開かれた。第10回であるが、未だ、被告儀間盛夫氏は出廷していない。裁判長から請求されている書面は6ヶ月近く提出されていない。今回の準備書面は従来の繰り返しで、新しいと言ったら「事実無根の被告の不法行為を主張し、被告の名誉を毀損する訴訟行為を継続してきている。・・・・原告の被告の不法行為にもとづく請求棄却するよう強く求めるものである。」と書いている。この準備書面は裁判長の請求に添う書面ではない。いつ収支報告、運営議事録等を出すのだろうか。傍聴者は裁判長の怒りを感じ取った。私は今回傍聴していない。

私の記事で最もカウント数の上位2つを再掲載し、感想を添えて置きたい。(2007年11月27日現在)

1)「偽使徒」Dの問題点(1005ヒット)投稿日時2006.6.14

2)O教会の8つの問題点(850ヒット)投稿日時2006.6.14

1)に関する裁判がいよいよ2007年12月20日京都簡易裁判所で始まる。簡易では解決が早いと言われている。
 なぜこの記事が多く読まれるのか。それは「偽使徒」「偽預言者」「偽教師」が増えているからである。このような偽りの働き人は教会から起きる。牧師はそれを見抜き、クリスチャンを守らなければならない。ところが、守る立場の人が騙され、信徒を誘い、被害者を増やしているとうのが現状である。牧師の責任は大きい。いったいどのように責任を取るのだろうか。私のライフワークは偽りの働き人に対する予防と対策である。場合によっては、被害者の裁判を支援している。今まで被害者は泣き寝入りが多かった。しかし、時代は変わった。
2)に関する裁判は那覇地方裁判所で継続中であるが、来春には判決が下ると思われる。
 この記事は、教会が宗教法人を取らず、ビジネスとして運営していることが問題である。これは「バラムの道」である。このような運営をする教会が目立つのは、民主的に運営をしたくないという代表者の意向が働いている。オウム真理教の「地下鉄サリン事件」以降、宗教法人の取得は難しくなったと一般的に言われているが、それは言いわけである。事前に民主的な運営を心掛けていれば宗教法人は取得できる。



1)「偽使徒」Dの問題点
最近「使徒」と自称する人物による被害相談が増加しています。具体的な被害事例をお知らせし、予防に役立てたいと思います。2006年3月、K教会の元教会員が「被害者の会」を結成しました。詐欺と横領にあった被害者たちは弁護士に相談中ですが、被害は以下の通りです。

1.Dは聖書通信講座のCLSTで学べば、米国のB大学の単位が認定されると案内に書いていますが、事実ではありません。私は。米国の責任者に確認を取りました。K教会が認める単位を出しているにすぎません。CLSTを取り入れて学んだ11の教会は騙されたことになります。又。CSLTは閉校になっているのにホームページでは2005年12月現在、継続しているように案内しています。この件について米国責任者の文書が私の手元にあります。

2.Dは2003年から「使徒」と自称しています。教会の案内にはよく「使徒D」を使用しますが、家や車等を借りるとき又は、購入するとき信徒の名義を借りています。しかし、遅滞や未納によって名義人に迷惑をかけています。民事裁判では負けて名義人に迷惑をかけています。

3.Dはブライダルの奉仕者たちに報酬を約束していますが、未払い分が多額になっています。この件については脱会者が証言できます。

4.Dは教会活動の維持のためにサラ金からお金を借りるように信徒に指導しました。この件については脱会者が証言できます。

5.Dは語学留学とホームステイをインターネットで紹介していますが、被害者に早く振り込むように言いながら、学校とホストファミリーに費用を振り込んでいません。この被害は確認できただけでも4件です。内部証言ではもっと多くあります。



K教会のDから精神的被害を受けた信徒が「聖神中央教会事件」の報道を通して私を知り、相談に来ました。K教会はDに支配されて何の力もありません。そこで私は個人的にDに注意や忠告をしましたが、何の改善もしませんでした。そこで私は被害が明白であり、証人も複数おり、証拠もあるので、法的に彼の違法性を明らかにする手段を選びました。被害者はダメージから回復途中なので、私が「被害者の会」の代表を務めることになりました。

Dは脱会者によく電話やメールで攻撃をします。彼の方法は今までと同じです。脱会者の家族、会社等に「○○によって教会は大変な迷惑を受けている。」と言って、人格攻撃をします。実は私もDから私の教団に抗議をされました。今までDは成功しましたが、目覚めた脱会者と私には通用しません。

Dは、私たちが裁判に訴える準備をしていることに気づき、長い長い海外旅行に出る計画をしています(5月5日出国確認)。私は「逃亡」しないように警告文を出しました。脱会者はDが外国へ行ったきり帰ってこないのでは?と心配しています。民事を起こしても彼の手元には動産も不動産もありません。負債総額は約1500万円に上り、責任能力がありません。彼は私に、FAXで「5月20日に200万ドル以上のお金を受け取る」と送信してきました(5月24日現在返事なし)。日本円にすると2億2千万円ぐらいです。夢のような話ですが、実際夢物語です。彼は、この夢を信じて、借金をしてきたのです。しかし、自分の生活と教会活動に行き詰まっています。現在信徒は数名です。このような結果は、彼が「偽使徒」だということを証明しています。

私は、Dが「偽使徒」であることを知っていただくために、この文書を作成しました。特に、彼を使徒と呼んでいる人々が目覚めるために。彼は最近、使徒と呼ばれる世界的ネットワークの人物に「村上が使徒的働きに対して攻撃している。村上に抗議の文書を送るように。」と要請しました。そのネットワークの中には、世界的有名な人物も含まれています。彼らが本物の使徒であったら、ペテロがアナニヤとサッピラを見抜いたように、Dを見抜いたことでしょう。もし、Dの要請通り私の元に抗議文が届いたら、この文書を英訳して彼らに郵送する予定です。私は、使徒的働きを問題にしているのではなく、Dが「偽使徒」だと言っているのです。

カルト化した組織の被害者は抵抗する力を奪われ、打ちのめされ、泣き寝入りをしていることが多く、時には、罵声を浴びせられ、呪いの言葉を浴びせられ、裏切り者と言われ、病院に通い、薬を飲んでいる人もいるのです。このような被害者が回復するために、一つの方法として声をあげ団結することが大切だとお伝えしたいのです。裁判は指導者が過ちを犯したことを客観的に証明する方法です。私は、聖書の教えに基づいて彼らが、謝罪するように要求しますが、その要求が受け入れられなければ裁判を通して、謝罪を要求します。偽りの指導者は公然と自分に反対する信徒に対して「教会を混乱させる者」「悪魔に支配されている者」と攻撃します。私のような存在は、悪魔のように言います。偽りの指導者は、常に神側にあり、油注がれた器と自認し、信者に服従を要求します。もし、読者の中で村上に連絡を取りたいと思った時、「背教」「裏切り」「不信仰」の言葉が浮かんだら、あなたの心は誤った教えの支配下にあります。真実を知ろうとする動機は良いものです。それを防ぐ心理的作用は「クライムストップ」(自己防衛的な愚鈍『1984』ジョージ・オーウェルより)です。

最後に、脱会者のみなさんに聖書の言葉を贈りたいと思います。
「あなたがたが、悪者どもに我慢できず、自らを使徒と称して実はそうではない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いた。」(黙示録2:2)
というのは、あなたがたの取り組みにも当てはまります。


2)O教会の8つの問題点
昨年から私はO教会から除名された元信者の方々の相談を受けています。G牧師は教会成長の「モデル教会」の牧師として、セミナー等によく用いられています。それは「多数の信徒をかかえる教会」ということが理由のようです。もし信徒が多いということで「祝福されている」「油そそがれた器」と評価されるとすれば、何と薄っぺらな理由でしょうか。下記に取り上げる問題点を読んでもなおG牧師を擁護したり、用いる人々がいるとしたら、その人々は「目が見えるようになるため、目に塗る目薬」(黙示3:18)が必要です。苦言や忠告をすることが良き友人の証しでしょう。O教会を模範にして教会が成長したら日本の教会は大変なことになります。

以前私は「OR教会の問題」と題して二百数十通の手紙を諸教会に郵送したことがあります。今回少し手を加えましたので「O教会の8つの問題点」としました。そして多くの方々に知っていただくためにホームページに載せることにしました。とりわけ、十分なことを知らされず、自分の教会は「日本一」だと思っておられる信徒の方々に読んでいただきたいと思います。なぜなら、「OR教会の問題」を読んだB教会の信徒の方々が、自分の教会も似ていると気づいて、現在改革のために多数立ち上がっておられるからです。それこそ自浄作用を持った教会の姿です。又、この文書を読まれる牧師の方々にも「教会運営」について自己点検をしていただきたいと思います。なぜなら、権威主義の独善的な牧師の問題が私の元に次々と寄せられているからです。現在民事裁判に向けて弁護士に相談しているのが6件です。その他にも検討しているのが4件です。牧師が「お祈りしています」「大変ですね」というだけでは被害救済になりません。具体的なアドバイスと宗教的カウンセリングが必要です。私は霊感商法の被害救済に取り組んでおられる弁護士の方々を知っています。どの都道府県に問題が起きても弁護士を紹介することができます。牧師の協力者もじょじょに起こされています。最近、良心と信仰に基づき、法的にも聖書的にも正しく扱わなければならない問題が増えてきました。



1. 宗教法人取得の問題
宗教法人は必ず3人以上の責任役員(うち一人は代表役員)を置き、規則に別段の定めがなければ、宗教法人の事務は責任役員の定数の過半数で決定します。しかし、O教会は500名の教会員を有するのに未だ宗教法人を取らず、役員会も教会総会もない状態です。宗教法人を取れば、教会財産を保全しやすくなり、宗教団体の目的を達成しやすくなります。しかし、取得しないということは、個人事務所であり、個人所得が多くなるということです。最近宗教法人を取る動きがありましたが、決算書数年分の記録が必要です。教会員は20年間そのようなものを見たことがありません。教会が民主的に運営されているのであれば、会計は透明にすべきです。宗法化のため教会員が見たこともない決算書を作成するのであれば、それは大きな問題です。又、責任役員が教会の意思決定機関ですから、書類などに責任役員が決めたような表現も役員会がないので問題です。どのようにしてO教会は宗法化を進めるのでしょうか。教会は自治能力がないために、問題にも気づかないのです。

2. 牧師独断の問題
G牧師は1億200万円を独断で動かし、詐欺に遭っています。詐欺にまだ気づいてなかった頃、G牧師は詐欺師から「マジェスタをプレゼントされた」と信徒に言っていますが、どのように弁明されるのでしょう。新会堂建築は多額の資金が動きますが、収支報告がありません。これは大きな問題です。さらに牧師館を同地に建設する時は教会全体にも諮らず、土地所有者に断りをもなく建てています。新会堂建築後相当の費用が掛かったはずなのに、どこに牧師館を無断で建てる費用があったのでしょう。これを独断と言うのです。このような独断を教会員が黙認しているのは、教会員が聖書的にも社会的にも成長していないからです。しかし、このような教会で問題点を口に出したら牧師から除名されるでしょう。残るのはイエスマンの側近と「沈黙の羊」だけです。

3. 教会規則の問題
除名処分は教会の罰則としては非常に重いものです。しかし、教会員は規則を見たことがありません。役員会もなく除名処分は牧師の意向で決まっています。牧師は1億200万円の詐欺に遭い、教会に莫大な損害を与えています。牧師は弁償していなければ、普通の教会では解任ものです。この詐欺に遭ったことも当時は一部の教会員が知るのみで未だ教会全体に詳しい報告がなされていません。G師はこのことに対して説明責任を果たしていません。これは民法644条によれば善管義務を怠っており、責任問題です。教会性に乏しいということは悲しいことです。教会員への罰則は規則になくても厳しいのに、牧師の大きな過ちは規則がないので見過ごされるのです。せめて人格なき社団(宗教法人でない教会)となるべきですが、代表の選任規定と代表権について、団体の意思決定機関としての役員会、総会について、資産の適正な管理がなされておらず、要件を備えていません。O教会は教会成長の「モデル教会」と言えるでしょうか。

4.教会会計の問題
教会の運営は、多数の教会員の献金の上に成り立っています。宗教法人を取っていなければ、経費を除けば個人の収入と見なされます。本当は会計報告を行って教会員に疑念を抱かれないようにしなければいけません。「什一献金」を徹底している教会で、教会員500名、その他の様々な献金を奨励していますから年間1億円を超える収入のはずです。「神様のため」「教会のため」といって献げられた献金の大半が個人収入となっていることに信徒はなぜ気づかないのでしょうか。20年間会計報告をしてこなかったG師の不透明な会計処理は早急に改善されるべきです。

5.土地・建物の所有権の問題
土地はY姉のものです。彼女の「土地を使って下さい」との申し出をG師が献品と取り違え、教会員に報告し、献品されたと既成事実化しました。しかし、土地の名義を変更したわけではなく、役員会、教会総会への報告と記録があるわけでもありません。宗教法人を持っていない団体がどうやって土地の献品を受け取ることができるでしょうか。大変な課税を誰が払うのでしょうか。Y姉の同意もなく牧師館を建てたのは、所有権の侵害です。裁判で争えばG師の負けです。私は仲介人であったとき、Y姉の同意を取りつけて教会に和解案を提案しましたが一方的に断られました。建物はいったい誰の物でしょうか。名義がG師のものであれば将来相続争いが生じたときG師の家族のものとなります。宗教法人でない場合でも規約を作成し、「O教会 代表者 ○○ 印」と契約書等に表記すべきです。もちろん印鑑は代表印です。

6. 事業報告と事業税の問題 
教会の一階の喫茶店は貸店舗でしたが、領収書は駐車料でした。果たしてどちらの事業報告をしているのでしょう。税務署に事業報告をし、事業税を正しく払わなければ問題です。駐車料を取るなら、土地所有者のものです。あるいは、断りが必要です。土地を無料で借りている教会がその土地で経済行為をすることは、正しくありません。良心的とは思えません。教会がどんな形態か,信徒が真実を知れば躓くことになるでしょう。教会の実態は「個人の事業所」なのです。


7. 除名処分の問題
牧師の教会運営の問題を指摘した教会員に対し、牧師は彼らが分裂分派をもたらす者、悪霊の働き等と言い除名処分にしました。このような対応は自分たちを一方的に神の側に置き、相手方をサタン、悪霊の支配下にあるとして敵と見なし、善悪闘争の思考パターンに陥らせます。そして、外からの批判に対して自己防衛的となり、反対者に対しては攻撃性が強くなります。U姉が喫茶店に行った折、多くの教会員、牧師たちが手をかざして祈るなど、全くもって失礼な対応です。どんなに相手を傷つけるか、神側にいると思い込んでいる人々にわかるはずがありません。この思考形式は、二元論的です。これは物事を単純に割り切るため、問題点を見誤らせて解決への道筋を妨げます。自分たちが神側にいるという一体感はイデオロギーの一体感であって信仰の一体感とは異質なものです。

8. 規約持ち出し禁止という問題
O教会は規約を作成し、それに署名捺印した人を教会員として扱う方針を出しました。それ事態は問題ではありませんが規約の持ち出しを禁止したというのは問題です。OHPで規約を写し出し、その後サインを求めるという即断即答は民主的な教会運営になじみません。もしO教会が「宗教法人」を設立すれば「教会の行為によって損害を被った者」は教会が事務所に備え付けている書類及び帳簿を閲覧請求できます。宗法化は現在のO教会にとって難題です。「人格なき社団」への移行するために規約を作成したと思われます。私は規約の簡単な写しを見たことがありますが、牧師を利する項目が目につき、信徒の立場を重んじているとは思えません。
by maranatha | 2007-11-30 09:57

『教会のカルト化と裁判』

 こんな教会が存在するのか。作り話ではないか。残念ながら、教会は存在し、内容は事実である。
『「すべての問題の背後に悪霊が存在している。故に、この悪霊をイエス・キリストの御名によって打ち砕けば、すべての問題は解決する。」
 この特異な教えの故に、私たちは思考することを奪われていきました。通常、問題が起これば、その原因を探り、原因を特定し、改善していきます。クリスチャンであれば、一般的な社会通念と聖書に照らし合わせつつ、原因を探り、改善に努めていきます。ところが、N氏はイエス・キリストの御名によって打ち砕け、40回打ち砕いてダメなら、次は400回、4000回と指導していきました。実際、祈りを数え上げるのが困難でしたので、計数器(カウンター)を片手に、「イエス・キリストの御名によって病気をもたらす悪霊よ出て行け。」等とカウントしながら指導された数に達するまで、連呼するように祈っていました。片手は計数器を持ち、もう一方の手では人差し指を突き出して祈るその様は、今考えるとゾッとします。病気であっても、精神的な患いであっても、子供の非行など家庭内における問題であっても、その他どのような問題でもこの方法によって解決できると指導していました。もし、それ以外の方法をとれば、不信仰とみなされ肩身の狭い思いをしなければなりませんでした。ところが、何も考えずに、「イエス・キリストの御名によって悪霊を出て行け!」だけで事足りるわけですから、こんな楽な話はありません。O教会における祈りとは、何も考えずにそのように祈ることでした。』
 
 上記はO教会を脱会し、神学校を出て、現在牧師をしているS師の陳述書の一部である。私の手元には16名の陳述書が届いている。どれもこれも痛ましい内容である。
 11月15日、被告人N氏は那覇地方裁判所沖縄支部で開かれた第5回公判に出席しなかった。いまだ一度も出席していない。彼は自分を正しい、愛の実践をしてきたと主張している。全く反省の色は見られない。聖書は偽りの教師の到来を預言しているが、今やいたるところに現れ始めているというのが私の実感である。

注、下線__ は実名であったのを私が変更した部分である。  
by maranatha | 2007-11-26 18:35 | 沖縄キリスト福音センター(美浜教会)

書く動機

 歴史を書こうとして筆をとる人の動機
1、文学的才能を誇示して自分の名声を獲得するため
2、自分の書くものの中にある特定の人物のご機嫌をとるため
3、自分が参加した歴史的事件が重要なため
4、知っておかねばならね歴史的大事件について世間があまりに無知なため、真相を語っておく必要から

 以上のことは私の古いノートから見つけた文である。誰かの本を読んでメモったもので出典を明示できないのが残念である。なぜこの文を書くかというと、「なぜ、私はブログを書くのか」と自問しているからである。

1、私には文学的才能はない。よって、ブログで名声を獲得するためでないことは明らかである。
2、ある特定の人物のご機嫌をとるようなブログは書いていない。むしろ、耳に痛いことを書いている。
3、自分がかかわっている事件が重要なため。そう、私はそう思って忘れないために書き溜めている。
4、真相を語っておく必要から。そう、事件にかかわっている者として、証言しておく必要を覚えるから。

聖神中央教会事件と取り組んだとき、私は歴史的事件とかかわっていると思った。発信しなければならないことが多くあったが、多忙を極め、又、プライバシーの問題も絡んでいるためできなかった。今も多数の問題が寄せられ、対応に追われている。今も歴史的事件とみなされる出来事に取り組んでいる。顔と顔を合わせて問題に取り組むことを基本にしてきたため、物理的限界を考えざるを得ない状態である。これを克服するために、「ペンの力」に取り組んでいる。
 精神科外来は5時間で40人の患者というのを聞いた。薬は出せてもこころに触れることは最小限である。約7.5分の診療。患者が一番求めているのは薬だろうか。話を聞いてほしいことだろうか。心理カウンセラーは薬を与えることはできない。これは補完しあわねばならない職業である。しかし、心理カウンセラーが対応できる人数は、1日8人、1人に1時間で、患者の支払う費用は高くならざるをえない。どの職業も物理的限界がある。

 ブログは不特定多数の人が読むことができる。北海道から沖縄まで読者からのメールが届く。ひとつひとつに返事を書いているため、語ることが多かったのに、今は書く時間も相当に多い。これも、物理的限界がやがて来る。しかし、語る言葉は消えても、文字は消えない。それにいつでも読み返すことができる。この利点は貴重だと思う。
by maranatha | 2007-11-19 13:52

和解のための4段階

「謝っているのだから、赦してあげなさい」こんな言葉の押し付けを受ける人が多い。「とても赦せる気持ちになれません。赦さない私が悪いといいますが、本当でしょうか」これはほとんど2次被害の状況である。「赦し」が強調される余り、正当な怒りと被害事実の認識が曖昧なままで抑え込まれ、被害を公にすることさえ困難にしている。加害者が責任追及されないため、真の問題解決がなされない。このようなことがいたるところで起きている。このような対応では被害者をキリスト教信仰から離れさせる結果になり、加害者の深い反省なき生活が繰り返され、さらに被害者をつくる結果になりかねない。知ってほしいのは次の4つの段階である。

1、加害者は罪の認識を持っているか。
 罪の認識が不十分なのに、謝れば済まされると思うのは身勝手である。どんな実害を与え、被害者へどんな精神的ダメージを与えたか、被害者への視点が必要である。

2、加害者は心から罪を悲しんでいるか
 良心の痛みを感じただろうか。眠れぬ夜を過ごしただろうか、謝ろうとしてそれが出来ずに悩んだだろうか、心から悲しんでいるかどうかは被害者と出合った時に表情に表れる。気まずさと、申し訳けなさ、何と言ってよいかわからないもどかしさ、思わず頭を下げるしぐさ。被害者の前で謝罪していないのに、「赦してあげなさい」を第三者に言ってほしくない。

3、加害者は口で告白しているか。
 どんな罪を犯したのか、その告白によって被害者は赦すかどうか迷う。いつだったのか、どこでだったのか、だれだったのか(複数の場合)、どんなことだったのか、被害者は全体像を知りたい。その手がかりを与えてくれたら、赦したいという気持ちが与えられる。

4、加害者は罪の償いをしようとしているか
 謝罪を言葉だけで済ませるのではなく、実害を与えているのであれば、それに相当する金額と慰謝料を添えることは常識である。しかし、この常識がしばしば欠けることに驚く。教会の中で償いが欠けるのは、牧師がしっかりとこのことを教えていないためである。加害者は償いを実行すべきである。それを受けるか受けないかは被害者の判断であって、第三者がどうこう言うべきではない。

 「赦しなさい」は御言葉の乱用である。本当は人を救う言葉が人を傷つけるという結果にどうして人は思い及ばないのだろうか。それは被害者の被害状況をわがこととして受けとめていない傍観者になっているからである。罪の認識、罪を悲しむ、罪の告白、罪の償い。この4つを全て含んでこそ謝罪は被害者の心に届き、赦しの思いを生じさせ、真の和解への道が開ける。
by maranatha | 2007-11-01 11:22
宗教問題