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村上 密 Blog

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偽の神学

 「偽」が今年の世相を表す漢字に選ばれた。会社が利益と業績を成功の基準にすれば、欲得づくの不正行為に流される。教会も収入と会員の増加を祝福あるいは成功の基準にすると、牧会倫理は無視され、ルールなき競争原理に陥る。このような教会では、牧師が不正をしても不道徳に陥っても辞めさせることができない。そこでは、正義と公正ではなく「力」が支配しているからである。正義と公正を求める信者は牧師の「力」によって追放されている。もはや、そこには不正を質す人はいない。

 1980年代、教会の中に「成功」という言葉が飛びかうようになった。同じように「成長」という言葉も飛びかった。富と豊かさを神の祝福と見做す繁栄の神学の影響である。反対に、貧困や病は悪霊の仕業とされ、悪霊追放が盛んになった。この頃から、成金社長のように、高級車、高級服地、高級住宅、高い給与を所有所得する牧師が増えた。イエスの時代に贅沢している大祭司や祭司長たちを祝福されていると思っている人がいるだろうか。彼らの関心事は、自分の利益と名誉である。繁栄の神学は、利益と名誉を追及することを是とする神学である。マリヤとヨセフは祝福を受けたが、この神学からは除外されてしまう。神は貧しくも信仰に生きる人に目を注がれる。羊飼いたち、ザカリヤとエリザベツ、シメオンとアンナ、クリスマスに登場する人物たちは敬虔な信仰者たちである。

 繁栄の神学を信徒が信じるとどのようになるだろうか。まず、牧師の高級志向に疑問をもたず、次にはそれを助長し、自らもそれに陥り、貧しい人々を見下すようになる。気前のよい献げ物は、祝福されたいという願望と祝福されているという自己顕示欲の産物だと気づいていない。繁栄を追及する人には"目薬"が必要だ。繁栄の神学では、その利益の分け前をいただくのが牧師であるため、教会の中で一番豊かに見えるのは牧師ということになる。もはやそこには、羊と共に寝起きするような羊飼いの姿はなく、エアコンの効いたオフィスでコンピューターで羊を管理するオーナーが座っている。信仰は神と自分の関係が重要である。その間に、牧師がいて、牧師から祈っていただくと特別に祝福を得ることができると思い込むと問題である。しばしば、旧約の祭司を牧師と同一視する人がいる。新約では全ての信者が祭司である。大祭司はイエス・キリストのみである。信仰者はいつも神の前に誠実に務めを果たすことが大切である。富に目を向けて道を誤ってはならない。偽の神学にまどわされてはならない。
by maranatha | 2007-12-14 22:09
宗教問題