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村上 密 Blog

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除籍の問題

 私たちが罪を犯したというので、国籍を剥奪されるでしょうか。又、私たちが罪を犯したというので、市民権を剥奪されるでしょうか。当然のことながら、剥奪されることはありません。しかし、カルト化したキリスト教会の中に、教会規則の中に戒規がないのに、牧師が一存で信徒を除籍するということが起きています。牧師が扱うのは、クリスチャンの犯した罪であって、すぐに籍を扱うことではありません。罪を悔い改めて、神に立ち帰るように導くのが牧師の役割です。教会員としてふさわしくない行為をしたというので、戒規もなく、除籍にするというのは、牧師の問題です。罪を犯したからといって、すぐ天の国籍からその人の名前が削除されるわけではありません。神は悔い改めるように聖霊を通して働き続けられます。死に至るまで悔い改めないならば、神より罪を愛したことになります。裁きは当然です。

 除籍のことで教会に必要なのは戒規です。信徒に問題があれば戒規に基づき除籍にします。強制的除籍は牧師のすることではありません。戒規がなければ、規則改正委員会を設置して検討を始めるべきです。マタイの福音書の18章にある回復のプロセスを踏みながら、悔い改めに導くのが教会の務めであり、どうしても聞き従わなければ、除籍という最終手段で教会の「聖」と秩序を守るということは、コリント化していく現代の教会の中で必要です。
by maranatha | 2008-09-25 12:45

うそつき病

 『「うそつき病」がはびこるアメリカ』(デービッド・カラハン著 小林由香利訳 NHK出版)が発行されたのが2004年8月でした。マスコミに不正事件が報道される度にこの本を思い出します。「うそつき病」にはアメリカだけでなく、中国や日本も同様に羅患しています。そして、宗教も「うそつき病」に罹っています。

 私は最近キリスト教のカルト化した教会の問題を扱っています。裁判の席で、良心に誓って「うそ」を言う加害者を目前にし、「うそつき病」の深刻さを知らされました。彼らは神をも恐れない偽牧師です。「もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制御することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。」(ヤコブ1:26)「彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道(信心より利益を優先した生き方)に従った。バラムは不義の実を愛し、そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた。」(Ⅱペテロ2:15、16)「うそつき病」は「拝金主義」に伴って起きた疾患です。

 『「うそつき病」がはびこるアメリカ』は、アメリカが抱える大病の原因と結果をよく伝えています。もっと多くの人に読んでほしいと思います。教会もこの本から学ぶことがたくさんあり、予防にも役立てることができます。
by maranatha | 2008-09-15 05:37

デマを飛ばす人とカルト化の証人

 相手を不利な状況に追い込むために、虚偽の情報で中傷することをデマ(デマゴギーの略)と言います。デマを信じ易くするためには、虚偽の中に事実を交えます。読み手や聞き手は知っている事実が含まれるので、間違いないだろうと推測します。ここに誤解が生じます。人は、情報の断片に、自分の経験と知識をもとに推測を加え、自分の物語を作ります。そうしないと記憶できないからです。そこに個人差が生じます。それぞれに加工修整された物語は、他者との情報交換によって、さらに憶測が加えられ、いよいよ真実から遠ざかっていきます。匿名のブロガーの批評記事はその典型的な例です。加害者や被害者から聞き取りはなく、飛びかっている情報を自分の記憶の中に取り込み、空想物語に仕立てています。

 証人とは、事実を証拠立てる人です。過去の経験した事実について、公やけに報告する人です。裁判では証人尋問があります。裁判官は証人が虚偽の証言をした場合、罰があることを伝えます。証人は、氏名、住所、職業等を明らかにし、良心に誓います。このように、証人は証言に責任を持つ人のことを言います。証人は目撃者であり、体験者です。その証言はリアルです。

 教会のカルト化の被害者は、終末の時代の証人です。私は最近、教会のカルト化は終末に起きる背教ではないかと思うようになりました。そこには数々の偽キリスト、偽使徒、偽預言者、偽教師が登場してきます。彼らの神をも恐れぬ悪行三昧は想像を絶しているため、被害者の証人の方がおかしいのではと疑われるぐらいです。確かに、人は自分の想像を超える話を容易に受け入れません。クリスチャンでも「うそでしょう」「考えられない」「何かの間違いでしょう」と言います。このような教会のカルト化(背教)を信じたくない人は騙されるか利用されます。事実に目を閉ざす人は、真実を見極めることができません。被害者は周囲の無理解によって孤立を深めますが、口を閉ざしてはいけません。被害者の証言が、偽り人の野望と欲望を砕く力です。
by maranatha | 2008-09-09 12:25

心の傷負い人

 モラルハラスメント(精神的虐待)のカウンセリングをしていると、ときどき、クライアントから怒りを打っ付けられることがあります。加害者に対して怒りを打っ付けるのはわかりますが、なぜ、カウンセラーに。加害者に怒りを打っ付けられないので、聞いてくれる人に、たまりにたまった怒りを打っ付けるのです。被害者の回復のために行動しているとき、加害者から非難されても、そんなにダメージはありません。しかし、被害者から非難されたり、怒りを打っ付けられ、その理不尽に初めの頃は戸惑いました。間違った怒りの捌け口は、周囲の人々を傷つけ、被害者が加害者に変わることもあります。しかし、被害者の遣り場のない気持ちを受け止めることも、カウンセラーの大切な働きだと理解するようになって、心が穏やかになってきました。被害者が回復して、「あの時、怒りを打っ付けて、すみませんでした。」と言うとき、「ああ、本当にこの人は回復したんだ。」と思います。カウンセラーへの一時的な依存と甘えは、重度の被害者であれば、他人に見捨てられているので当然です。しかし、依存症にしてはいけません。カウンセラーは全ての問題を解決できるわけではありません。カウンセラーにも限界と引き際があります。無限に包容すれば、やがて、精神的・物理的限界に達します。精神的にはタフでも物理的限界はどうしようもありません。カウンセラーは心の傷負い人です。カウンセラー自身が心の傷を癒す方法を知らなければ、燃え尽き症候群に陥るでしょう。私は、自分が負っている心の重荷を下ろすために、キリストのもとに行きます。又、くびきを共に負ってくださるキリストが共にいてくださることを信じて安らぎます。
by maranatha | 2008-09-05 19:38

ブランチが何故できたか、何故必要か

 沖縄キリスト福音センターのカルト化に伴い、2000年以降に、深刻な問題が顕在化しました。その結果、大勢の教会員が沖縄リバイバル教会や他の教会に移動しました。元教会員の中には、カルト化の問題を風化させてはいけないと思い続けている人々がいました。そういう人々の中から、2005年の春頃から、相談が寄せられ、私は聞き取りとカウンセリングを続けてきました。そして、カルト化の予防と問題の啓発のため、被害者の裁判を支援してきました。沖縄のキリスト教会のある牧師会からは、このような取り組みが歓迎されず、被害者も私も非難を受けました。どこかの教会で礼拝を守ろうと考えていた被害者たちは、非難する牧師の教会と傍観する教会を信頼することができず、自分たちで信仰を守り続けてきました。そういう経緯の中で、被害者たちの中から、宜野湾に教会をという声が上がり始めました。こうして、カルト化予防と啓発を教会の中に取り入れた仮称宜野湾ブランチ(正式には七條基督教会の家庭集会、ブランチ規約成立後はブランチに変更予定)が2008年6月に始まりました。

 沖縄ベテル教会のカルト化の問題が顕在化してから、この教会はいくつかに分裂しました。それは、私が相談を受ける前のことです。分裂の後、私は被害者たちから相談を受けるようになり、毎月沖縄でセミナーとカウンセリングを継続してきました。使徒と自称する傲岸不遜なエミルダに対して、被害者は経済的な被害で裁判に訴え、勝訴しました。にもかかわらずミランダの夫であるラフィーは礼拝の場で「勝った!勝った!」と奇妙な言動をしました。残った教会員の中には、勝訴したと思い込んでいる人もいます。一方的な情報しか信じない人は、情報のマインドコントロールにかかっていると言ってよいでしょう。被害者の裁判に訴えるという方法は、沖縄のある牧師会には歓迎されず、沖縄キリスト福音センターの被害者たちと同様に、非難を受けました。被害者が困難の中にいる時は、手を伸ばさずに関わりを避け、私が関わってから裁判を支援すると、無関心から非難に変わりました。被害者が途方に暮れて、裁判する権利に目覚めない方が、彼らにとってよかったのでしょうか。このような非難と傍観の中で、カルト化の被害に目覚めた元教会員たちは「みくに教会」を始めました。そして単立の弱点を克服するために、どこかの教団に加入しようと検討するようになりました。その結果、困難の中で私を派遣し、支援してきた七條基督教会(通称アッセンブリー京都教会)に数十名が転会を申し出てきました。何度も協議し、ブランチ規約を作成し、2008年6月から沖縄ブランチとしてみくに教会は再出発することになりました。

 裁判に対する非難は、情報不足と古い体質からです。親身に被害者の状況を聞き、被害実態に目を向ければ、とても放置しておくことはできないはずです。「センター被害者の会」のブログは、沖縄キリスト福音センターで何が起きたかを詳しく伝えています。それでも、理解と支援、知識と行動には大きな隔たりがあります。消防士は火炎の中に飛び込まなければ炎の中にいる人を救い出すことはできません。そのように援助者は安全圏にいては、被害者を救うことはできません。沖縄の牧師会はカルト化した教会の問題を裁くことはできません。牧師会は交わりであり、宣教の協力関係です。交わりを断つことはできても、問題を裁く権限は交わりに含まれていません。単立教会は上部団体がありませんから、自らチェック機能を身に付け、自浄作用をもつしか、カルト化を予防できません。カルト化した教会には正しく裁く人がいません。牧師自身が権威主義で独裁者で問題です。被害者は世の裁判に訴えて、被害の回復をするしかありません。それを非難するとは何ということでしょう。「裁判は教会になじまない」という古い体質こそ問題です。転会者は受け入れても、転会者の問題は受け入れません。転会者と問題は不可分です。それを「赦しなさい」と強制することは大きな問題です。これでは解決にも予防にもなりません。私は加害者が自分の罪に目覚め、謝罪し、償うことが解決だと思います。被害者はこれなら赦すことができます。相手に伝わっていない一方的な被害者の赦しは和解ではありません。私は和解交渉を引き受けます。相手から和解を拒否されれば、裁判に訴えるように被害者にアドバイスをします。和解を拒否する加害者は自分の罪と向き合えない、常に自己正当化する人物です。被害者は裁判によって加害者に社会的制裁を加え、彼らの行動にブレーキをかけて予防することができます。霊感商法の被害者が統一教会を裁判に訴え、勝訴することによって、度々新聞に取り上げられます。そして被害拡大を予防することになります。教会のカルト化がメディアに取り上げられることは、被害の拡大の予防になります。報道されることは悲しいことですが、カルト化を放置することは、キリスト教会の責任の放棄です。裁判による被害者救済の新しい取り組みを非難することは簡単です。しかし、非難する人がどんな救済活動をしているのでしょうか。助けの手を伸ばさずに、非難する人は二次被害を与えています。まだ傍観者の方がましです。しかし、それはキリスト者の取るべき道ではありません。温かい支援者と教会が起こることを希望します。それこそが傷ついた人々が避難できる所です。

 アッセンブリー京都教会は、ブランチのおおいとなって援助し、やがて、ブランチが自立して健全な教会に成長することを願っています。カルト化した教会が分裂し、細分化したカルト化した教会にならないために、分裂したところの教会の牧師は気をつけなければなりません。そのためには、リセットするために、一時、神学校へ入学するとか、通信で学ぶとか、自己研鑽を積む必要があります。ブランチの取り組みは、掩護(えんご)とカルト化予防のネットワークです。カルト化の被害者の心理を理解し援助する教会が全国に必要です。
by maranatha | 2008-09-02 22:57
宗教問題