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村上 密 Blog

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牧師の横領

 宗教トラブル相談センターには、牧師の金銭トラブルの相談がよくあります。収支報告がない教会にこの手の問題は頻発しています。また、役員会がないか機能を果たしていない場合も同様です。こういう教会は教会総会もないかシャンシャン総会になっていて、教会員が教会運営に参加する意識が未熟です。牧師が甘い汁を吸いつづけるために、牧師の判断を絶対化して信徒を依存させる方法がまかり通っています。
 ある教会の信徒が牧師の使い込みを相談してきました。教会の会計から牧師が勝手に個人的なことの支払いに流用していました。それで、税務署に内部告発するように提案しました。税務署が2週間調べました。結果は追徴課税です。これを警察に持っていけば牧師の横領です。統括する教団が、これを反省し、教団を上げて予防に取り組むと言うことなので経緯を見守りたいと思います。被害者と代理人(村上密)は、被害金額が大きいので、牧師の解任と教会解散並びに教会財産を処分して、教会員の被害金額の割合に応じて分配するように提案しました。甘い処分にすれば牧師の横領で警察に被害届を出す予定です。また、監督責任を問うために、償い金が些少であるなら、教団の資産からも補填も考えています。この手の解決はいままで公にしませんでしたが、いつ、どこでを伏せて啓発の為に簡単に報告したいと思います。
 さて、頻発する金銭問題に対応するため、宗教トラブル相談センターは櫻井圀郎師を迎え、2010年6月6日(日)の午後1時にセミナーを開催することにしました。テーマは「牧師の横領」です。どんなことが横領なのか、牧師の横領対策等を講義していただく予定です。当日は日曜なので牧師の参加や教会役員の参加は難しいと思います。しかし、事の重要性から少しでも多くの方がセミナー参加されることを願っています。場合によっては、講師の許可を取って録音し、CDで販売できればよいのですが、内容が内容なのでどうなるかは、後日発表します。
 櫻井圀郎師は東京基督教大学教授で、日本長老教会神学教師です。名古屋大学法学部、同大学院博士課程(民法専攻)、東京基督神学校、フラー神学校神学大学院神学高等研究院(組織神学専攻)修了。著書には、『教会と宗教法人の法律』他多数があります。今回は櫻井師を迎えての3回目のセミナーです。内輪の学びを広く公開する今回のセミナーは、現代のキリスト教会に対する警鐘の意味を込めています。
by maranatha | 2010-04-29 12:40

ベニー・ヒンと大川従道師

 私のブログを読まれた方から、ベニー・ヒンのことについて、情報提供を受けました。それはブログ『だいすけのおもいっきり聖書』にベニー・ヒンのことが書いてあるということでした。早速検索してみました。驚きです。「ベニー・ヒンの妻が離婚状を提出」「ベニー・ヒン にせ預言者」「ベニー・ヒンと自家用ジェト」とベニー・ヒンに関することが書いてあるではありませんか。妻から離婚したいといわれる夫ベニー・ヒンが家庭を治めきれない器であることは確かです。大川従道師はこのようなベニー・ヒンを長年支持しておられますが、転向の潮時が来ています。同様に国内のベニー・ヒン支持者もベニー・ヒンとの決別の時が近づいています。ただ離れるのではなく、神学的検証をして離れないと、また同じような人物やムーヴメントに悪影響を受けます。「ベニー・ヒンの教えが間違いではなく、彼のやったことが間違い」等と、信徒に教えることがないようにしていただきたい。
by maranatha | 2010-04-28 22:43

大川従道論

 2009年は、日本のプロテスタントの宣教150周年の記念の年であった。エキュメニカル派、福音派、聖霊派から実行委員長が選ばれた。聖霊派の代表が大川従道師であった。どこで、どのような人々が決めたのかを私は知らない。ペンテコステを代表する教団はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団である。その教団が話し合いの過程から除外されていた。2009年11月の教団総会において、私はアッセンブリー教団が宣教150年記念大会に参加することに反対した。理由は、聖霊派の代表として大川師がふさわしくないからである。日本のキリスト教会を代表する牧師と紹介されること事態が問題であるが紹介する人も問題である。

大川師が日本のキリスト教会を代表する牧師と紹介されることへの反対理由は以下の通りである。

 第1に、大川師はセカンドチャンスの信奉者である。正しい教理から逸れた人を選んだ人々の見識を私は疑う。どんな基準で彼を選んだのか。大きな教会と正しい教理を天秤にかけて、大きな教会を選んだのなら、日本プロテスタント史の汚点である。そんなことは世俗的な選択基準である。教会が立たなければならないのは正しい教理の上である。私はアッセンブリー教団総会の席上で、大川師がセカンドチャンスの信奉者であることを問題にした。このような人を聖霊派の代表として認めるような大会になぜ教団は参加するのかと反対した。

 第2に、大川師はベニー・ヒンの支持者である。ベニー・ヒンの『聖霊さま、おはようございます! 』には教理的な間違いがいくつもある。アッセンブリー教団は出版社に抗議した。そして、教団はベニー・ヒンの著書の中にある教理的問題点を列挙した文書を教職に配布した。さらに、ベニー・ヒン大会への教団教職の参加自粛を通達した。しかし、個人の資格で参加する教職がいた。教団は筋を通すため後援等は一切しなかった。このような経緯がありながら、ベニー・ヒン支持者の大川師を聖霊派の代表と認めることは教団としてできないことである。また、べニー・ヒンは宗教ビジネスでひんしゅくを買っている人物でもある。二重に問題のある人物を支持する大川師を私は聖霊派の代表者としては認めない。よって、私は教団総会で教団が宣教150周年大会に参加することに反対した。そして、その大会に当然私は参加しなかった。

 第3に、大川師はハレルヤ・コミュニティー・チャーチと親密な友好関係があった。HCCの被害者の相談を受けていた私としては、大川師が守秘義務を守らなかった事を被害者を通して問題にした。この件は裁判に大きな影響を与えた。また、ホームページでの対処の仕方は誠意がなかった。この件では大川師は終始逃げ腰であった。また、カルト化したHCCの榊山清志との親交、沖縄リバイバル教会の儀間氏との大教会主任牧師フォーラムでの親交等の理由により、私にはとても大川師を日本のキリスト教会を代表する牧師などと認めるわけには行かない。

 以上のことは身近な人々には言ってきたことではあるが、日本のキリスト教会の今後の行く末にも関わることなので、より多く人々に知っていただくために記録することにした。終わったことをなぜ取り上げるのか、このようなことをまとめた記事を目にすることがないからである。今、キリスト教会は高い倫理性を失い、社会の尊敬を失いつつある。2009年は宣教150周年を祝う年ではなく、プロテスタントもカトリックも喪に服する年ではなかったかというのが私の所感である。大川師を私は知らないわけではない。まだ私が若い時、関東の若手の牧師たちとカルバリー・チャペルに押しかけ、学びの時を持ったことがある。その時、大川師は「異端の専門家」としての私をご存知であった。その私が3つの問題点を指摘した。改善を心掛けていただきたい。
by maranatha | 2010-04-26 22:46

なぜ反対したか

 2009年5月、東京厚生記念会館で、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は宣教60周年の記念大会を開催した。私はこの宣教大会に参加しなかった。2008年11月、教団総会において、宣教大会の講師も内容も大半が決められていた。教団総会は単なる承認機関ではない。それで、私は<総会軽視だ>と理事会に強く抗議した。<大会の講師にふさわしくない人がいる>と言うことも付け加えた。ブログの読者は「パリの蝶々夫人」をご存知だろうか。私はこの時点で内容を耳にしていた。これを名誉毀損で訴えないなら、法廷外でどんなに自己弁護しても通らない。また、子供の不祥事の解決がはなはだ牧師にふさわしくない方法であった。このようなプライバシーを議場で発言するわけにはいかない。それで、最大の反対の意思表示のため、議場を退場した。余程のことと総会議員が思ったのか、反対する総会議員もいた。しかし、講師を決めて今更変更は難しいと押し切られてしまった。既成事実を積み上げて強行することは、民主的ではない。その他の講師についても賛成できない人が含まれていた。これらのことが記念大会に参加しなかった理由である。時期はずれではあるが私の真意を知りたい人と後代の人にブログで伝えることにした。この人選は後年不明であったと問題視されるだろう。多数が最善でも次善でもないことの事例として問題提起しておきたい。
by maranatha | 2010-04-25 20:59

審判

預言者アモスは、選民イスラエルはその特権のゆえに、
           異邦人の国々より厳しい審判を受けると預言しました。。


預言者マラキは、祭司に対する審判を預言しています。
           「あなたがたは道からはずれ、多くの者を教えによってつまずかせ、
           レビとの契約をそこなた。・・・ わたしもまた、あなたがたを、
           すべての民にさげすまれ、軽んじられる者とする。」(マラキ2:8、9)

イエスは、律法の専門家に対して、「忌まわしいものだ」と強く指摘しました。
           「あなたがた律法の専門家たちも忌まわしいものだ。
           あなたがたは、人々には負いきれない荷物を負わせるが、
           自分は、その荷物には指一本さわろうとはしない。」(ルカ11:46)
           「忌まわしいものだ。律法の専門家たち。
           あなたがたは、知識のかぎを持ち去り、自分もはいらず、
           はいろうとする人々をも妨げたのです。」(ルカ11:52)

ヤコブは、教師に対して格別の裁きを警告しています。
           「私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。
           ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。」
           (ヤコブ3:1)

 選民、祭司、律法の専門家、教師、いずれも選ばれた者たちです。しかし、その任にふさわしくない場合は審判を受けます。当然のことですが、それを失念しているクリスチャンが多いことに驚いています。それはカルト化している教会によく見られるものですが、問題のないキリスト教会のクリスチャンにも見られます。クリスチャンが牧師を神の代弁者、代理人と崇めるときに陥る危険性です。牧師は特別職ではありません。牧師は教会のなかで、聖書を正しく解き明かし、牧会するために立てられている働き人です。体はさまざまな機能によって成り立っています。そのように、教会もさまざまな人々の役割によって運営され、機能しています。人を特別視する時、人々の目は曇らされます。人を等身大に見るようにしましょう。立てられた器は、重い責任を負っています。権威を振り回す人は権威を授けられていない人です。権威は主張するものでもありません。もし、あなたが色メガネで歩き続けるなら、あなたが見ている人に躓くでしょう。判断基準は、その人が結ぶ実(行いの結果)です。自分だけを例外扱いする人に気をつけましょう。審判は、にせキリスト、にせ預言者、にせ教師、にせ牧師、にせクリスチャンに確実に下ります。そして、騙されつづける人にも、目覚めないなら、審判は下ります。にせ者と一体となるからです。カルト化はその指導者との同一化です。 
by maranatha | 2010-04-24 19:25

ブログのよさ

 ブログのよさは、利潤追求でないので、広告主を気にせずに書けることです。メディアには制約がありまが、私はだれに気兼ねすることもなく、カルトやカルト化した教会や牧師の問題について書き続けています。事実に基づき、公共の益のため、妨害されながらも、名前も、住所も、身分も明かしながら書き続けています。そして、ブログの読者から、いろいろな問い合わせや励ましをいただいています。私は聖書と法律、又、自分の信仰と良心とに基づいて、ブログを書いています。読者によっては腹立たしい文章もあることでしょう。反論をしたい方は事実に基づき、どうぞ公開している住所にメールでも手紙でも書いて送ってください。逃げも隠れもしません。ただし、問題ありと見做した姑息な揶揄、中傷、誹謗は保存しますが、いちいち返事を書くことはありません。重要と見なした文章についてのみ返事を差し上げます。私も多くの仕事を抱えていますので、返事が遅れることもあるかと思いますが、悪しからずご了承ください。
 宗教トラブル相談センターは、現在、最も多い相談はキリスト教会と牧師の問題です。カトリックの神父のセクハラからプロテスタントの牧師の性犯罪まで扱ってきました。金銭トラブルと精神的暴力の酷さには呆れています。神父や牧師の支配欲を満たそうとする行為は犯罪行為であり、聖書的には罪です。悔い改めることのない傲慢な心は、裁きを待って熟しています。
 ブログを自分で打つようになって、「教会」「牧師」「罪」「多い」「被害」のタイプが早くなったのに気付き、我ながら呆れています。手が覚えるほど問題なのです。
by maranatha | 2010-04-22 06:27

イングリッシュ・カフェ『ライトハウス』大好評

 イングリッシュ・カフェは、英語礼拝に参加している外国人の発案で始りました。毎月第4土曜日の午後2時から5時までです。3時間英語漬けです。一度体験してみませんか。参加者は、英語礼拝参加者、イングリッシュ・バイブル・クラス参加者、英会話の生徒と家族、友人です。一般の方も大歓迎です。イングリッシュ・カフェには、コーヒー、お菓子、ケーキ等がついて200円です。「お金は払った方が参加しやすい。」との提案を採用しました。イングリッシュ・カフェの内容ですが、会話、ゲーム、音楽等です。テーブルに必ず外国人が数名いて、参加者は外国のカフェで会話を楽しむシチュエーションです。英会話が十分できなくても、日本語の話せる外国人がテーブルにいます。今度のイングリッシュ・カフェは4月24日。教会の庭のバラが咲いているかもしれません。5月29日は満開でしょう。アッセンブリー京都教会のホームページのバラの写真は教会の石垣のバラのカクテルです。道行く人が剪定していると「枝をいただいていいですか。」とよく声をかけられます。皆さんに差し上げています。庭には「春芳」「耀」「ゴールデン・ハート」「ウィミー」「ラブ」「ダブル・デライト」「プリンセス・ドゥ・モナコ」「ミニバラ」が植えられています。いまちょっと見てきました。「ゴールデン・ハート」の大きなつぼみが開きかけています。4月24日、「ゴールデン・ハート(黄金の心)」を眺めながら、ゆっくりとコーヒーを飲みませんか。暖かな日でしたら、大きな窓を全開にして、庭に椅子を出すこともできるでしょう。庭の南のフェンスには蔦が絡まり、一面が緑の壁です。フォトには最高です。
by maranatha | 2010-04-22 06:26

告白

 「告白」と聞いて何を思い浮かべますか。たぶん罪の告白や愛の告白を思い浮かべるはずです。キリスト教では、「イエスはキリスト(救い主)です。」「イエスは神の子です。」と公に言い表すことです。また、どのようにイエス・キリストを信じたかを言い表すことを信仰告白と言います。
 この告白をどのように勘違いしたのか、以前、沖縄キリスト福音センター(美浜教会)では、教会の礼拝や国際通りの三越前で、性体験や性に関する罪の告白をしていました。特に教会の礼拝の中ではどんなに罪深いかをリアルに告白することが要求されていました。それをテープに録音し、販売していました。プライバシーの侵害と言う意識は仲原牧師にはありませんでした。この告白がある本に取り上げられていますが、読めたものではありません。文書も書かせましたから、彼の手元にはかなりの告白文がありました。彼はテープと文書があり、信者の弱みを握っていることになります。徹底的に服従を強いる教会体制はこのように出来上がりました。
 教会の中で、非常識がまかり通るのは、それが信仰的と思い込まされるからです。宗教トラブル相談センターには、よくこの非常識が持ち込まれます。社会的に立派な人でも、宗教の世界ではその人の見識は不信仰と指摘されれば、非常識を信仰的を転換します。牧師の見解を絶対視するのはやめましょう。いまや牧師や神父の罪が公にされつつあります。信頼を取り戻す為に、牧師には高い倫理観が要求されています。
by maranatha | 2010-04-21 22:09

宣教師

 外国から派遣されてくる宣教師は、日本人に伝道するために、本国で資金を集め、来日してから日本語を学び、それから伝道する。ところが、私たちの教会は独自に宣教師を迎えて、外国人と英語に興味を持つ日本人に伝道している。宣教師の活動資金は英会話と教会の一般献金から確保している。さらに、宣教師の働きは、いろいろな国々から来たクリスチャンたちが支えてくれる。現在約50名の英語礼拝が行われている。日本の教会の平均礼拝出席を超える規模である。宣教師は日本語が十分ではないが、礼拝は全て英語なのでかまわない。賛美も祈りも説教も英語だ。幾つかの大学で、イングリッシュ・バイブル・クラスをしているが、その時も英語である。日本人の牧師、伝道師、ボランティア・スタッフが同行している。大学に来ている世界中の留学生に対するチーム伝道である。宣教師と外国人留学生と日本人の協力による外国人に対する伝道と日本人に対する伝道を同時に行っている。それは世界宣教と国内伝道の同時並行である。これは私の知る限りでは、いままでなっかた取り組みである。今年は、いままでになく大いに宣教が前進すると期待している。
 
by maranatha | 2010-04-21 19:46

大切な教え

 パウロが最も大切なこととして教えたのは、十字架と復活です。彼はそれをどのように教えたのでしょうか。また、他の弟子たちはどのように十字架と復活を教えたのでしょうか。このようなことを考えつづけている人に私の見解を伝えようと思います。

 受難週と復活は、マタイの福音書に3分の1、マルコの福音書4分の1、ルカの福音書の3分の1、ヨハネの福音書の2分の1です。十字架と受難週は同じと考えて下さい。受難週では多くの旧約の引用があり、預言の成就が記されています。特に、詩篇22篇とイザヤの53章です。なんと4つ福音書の3分の1が十字架と復活です。

 なぜ、福音書の記者たちは、こんなに十字架と復活を書いたのでしょうか。それは、エマオの途上で復活の主が「モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」(ルカ24:27)からです。さらに復活の主はエルサレムで「わたしがあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセと預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」(ルカ24:44)と十字架と復活について語られたからです。ここでイエスは今日私たちが言うところの旧約聖書に書いてあるとおりに、十字架と復活が成就したと語っておられます。そして「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始ってあらゆる国々の人々に伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。」(ルカ24:46~48)とも復活の主は語られました。私たちは遺言を大切にしますが、弟子たちには復活の主の言葉が大切でした。なぜなら、十字架と復活に自分たちの救いとあらゆる国々の人々の救いと結び付いているからです。

 「あなたがたは、これらのことの証人です。」(ルカ24:48)とあるように、弟子たちはこれらのこと(十字架と復活)の証人となったのです。福音書の十字架(受難週)と復活が分量として多い理由がこれで分かっていただけたと思います。これらの証人となるために、弟子たちはエルサレムで「父の約束」を待ち望み、使徒の働きの2章の聖霊降臨(父の約束)を体験しました。使徒の働きの中に見られるように、福音は聖霊の助けにより急速に拡がりました。十字架と復活が預言の成就であると分かった二人の弟子のこころが燃えたように、他の弟子たちのこころも燃やされたことは言う迄もありません。聖霊とこころ燃える体験が十字架と復活を伝えるエネルギーになりました。
by maranatha | 2010-04-20 07:40
宗教問題