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村上 密 Blog

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沖縄べテル教会

 沖縄べテル教会が「これはみなさんの教会です。」と言って購入した物件は、エミルダ・ミランダが「これは私のものだ。」と言って私物化してから、まだ時効はきていません。先日、ある人に沖縄税務署に購入金額を含む資料と個人がいかにして多額の収入を得ていたか、そして登記簿謄本を持って行くように言いました。また、収益事業届を出さないで外人教会に貸している事を通報するようにも言いました。ミランダの個人収入になっているはずです。もちろん、税務署が動く、動かないを言うわけはないのですが、今年2月にある件で動いてくれた税務署もありました。ミランダはアメリカに行ってしまったと思っていましたが、現在は沖縄に住んでいます。裁判は相手の住所が不明の場合は打てません。今はチャンスです。忠告を聞くような人にはそれなりの対処の仕方がありますが、そうでない人には、公的機関を動かした方が早く解決が進むように思います。ここは沖縄税務署に頑張っていただきたい。

 ところで、沖縄リバイバル教会と浦添税務署の件はどうなったのでしょうか。税務署が動いたら成果を出そうとするはずです。何もなかったはないでしょう。ただし、税務署はこうでしたとは言いません。教会もこうでしたと発表はしないでしょう。それでも、こういうことは漏れてくるものです。裁判で名実共に個人のものになったのですから、税金を払うのは個人の義務です。税収入がままならない昨今、7000万から8000万の税収は税務署にとってありがたいはずです。馴れ合いのような手打ちをするようだと、事件を知っている人の納税意識が低下します。ここは、浦添税務署に頑張っていただきたい。
by maranatha | 2010-05-24 22:38

速報 竹内一雄の裁判は北見で行われることになりました。

    日程はまだ決まっていません。
    決定次第、ブログに掲載します。
    マスコミも注目する裁判です。
    北見在住の方々は傍聴にご協力ください。
by maranatha | 2010-05-22 15:35 | 竹内一雄

ブログの特徴

 ブログにはそれぞれ特徴があります。実名で記事を書く人は慎重ですが、匿名の人はそうではありません。サングラスや仮面をつけると人が大胆になるのに似ています。特徴が良く表れるのは助動詞です。
 カルト被害者の文章は、「せる」「させる」の使役、「れる」「られる」の受身が特徴です。自信過剰の人の文章は、「ない」の打消、「だ」の断定が多く、短文でリズムがあります。妄想癖の人の文章は、「そうだ」「そうです」の伝聞、「らしい」「よう」の推定、「だ」「です」の断定が多く、文章が長文です。不確実な伝聞に推定を重ねて断定された文章は、本人の心の中では事実化されています。このような人は事実が後日判明しても、事実に対して推定を加えて、事実を歪めてしまいます。歴史小説家は歴史的事実と人物を題材に、大胆な想像を加えて創作活動を続けています。妄想癖は迷惑ですが、歴史小説家は読む人を楽しませてくれます。詐欺師は短い話では人を騙せません。事実と嘘を混ぜながら、相手を錯誤に陥らせます。
 ブログを読むとき、どんな助動詞が多用されているか気をつけて読むことは、読み手を冷静にさせてくれます。また、なぜ自分はこれを読むのかと自問自答することは、自分を客観視するためにとても大切です。
by maranatha | 2010-05-22 08:51

JTJ神学校へ 

 神谷光匡氏がJTJの講師陣から消えました。神谷氏の講義ビデオを回収する必要があります。受講者の中には女性もいます。すでに内容を知った女性が彼のビデオから学べるでしょうか。学べる人もいるでしょうが、学びたくない人もいるでしょう。そういう人への配慮が必要です。田中信生氏の本を無神経に棚においている書店があります。売れればよいと言うものではありません。その書店の倫理観が問われます。JTJはビデオの回収に費用がかかるでしょうが、それでも、回収しなければなりません。それだけの問題を起こした講師を知っていて用いたのです。その責任ある対応が「罷免」と「回収」と「謝罪」です。
by maranatha | 2010-05-22 08:50

閲覧請求

 私は、ある教団に対して閲覧を請求した人の代理人をしたことがあります。その教団は9回も閲覧請求されたのに、すべて拒否しました。その中には弁護士を通したものも含まれます。あまりの対応に請求人は裁判に訴えました。その事実が教団の総会で明らかになり、賢明な教団監事の仲介で、<教団は閲覧請求に応じる。請求人は裁判を取り下げる>で決着しました。教職の中には「教団を相手に裁判をした」と非難したおかしな人物もいました。非難すべきは法に基づく閲覧請求を拒否した教団に対してでしょう。私は代理人ですから理事会議事録を閲覧しました。記述の内容への言及は控えますが、理事会議事録が大変不備でした。決議事項が明確でなく、メモ程度には驚きました。それで議事録の改善を申し入れしました。知りえた情報は「ある問題」を解決するために大変役立つものでした。しかし、「ある問題」を引き起こした人物は最後の手段と、教会員を錯誤に陥らせ教団離脱を謀りました。幸い目覚めた教会員26名が「総会決議無効確認請求事件」を裁判所に訴えています。もう一度教会総会を開いても、教会員の3分の1の賛成を得ることは出来ないので、教団離脱は出来ません。牧師と教会役員は26名を不当にも役員会で別帳会員に移し、正教会員の資格を奪いました。教団はすでにこの牧師の代表権を教団理事会決議で取り上げていますが、牧師は勝手に前述のように役員会を開き、総会を招集し、暴走を続けています。もし、26名が訴訟を起こさなければ、教団離脱は成功していたでしょう。今、この教団の統治能力が試されています。なぜなら、教会の代表権は暴走牧師から、非常時とのことで、理事の一人が理事会で選任されました。その理事が閲覧請求を拒みつづけた教団の担当者でした。もちろん教団理事会の決議の下での行為でしょう。この事情を知らない大部分の教団総会議員は、事も有ろうにこの理事を教団の理事長に選出しました。教団の代表者が教団離脱を謀った教会の現代表者になり、その教会の訴訟をどのようにして解決できるでしょうか。何も有効な手を打てなかった人が、どうして、より大きな問題を扱うことができるでしょうか。神は、善かつ忠実な僕に、より大きなことを任せられるのに、教団総会は小さな問題だった時に手をこまねいていて大きな問題にした人を、より大きな責任を担う教団理事長にしたのです。だれも「ある問題」で責任を取った人がいません。次に起きた問題で責任を取る人がいるのでしょうか。教会は、創立、発展、成長、成熟、衰退をたどります。あの使徒時代の教会でさえ現存する教会はありません。これが地域教会の現実です。福音は伝えられるが、教会は、時代と共に変化し、移動し、消滅します。変わらないのは、キリストと福音です。今、地域教会に依存する信仰形態ではなく、キリストと「私とあなた」の関係を強く持たなければならない時代が来ています。

 ある教会は、閲覧請求人と代理人の弁護士と私に対して、日時を打ち合わせて、対応してくれました。そこは役員構成数が規則と違う人数で、リーダー会が役員会扱いでした。こういう場合の決議は無効です。役員会も教会総会もずさんで、教会の収益事業が総会で報告されていませんでした。後日この教会は税務署に調べられました。牧師は収益事業から一銭ももらっていないと豪語していましたが、自分の高級車の支払いに、収益が使われていることが発覚しました。教会員は事実を知って離れた人、残った人に分かれました。残念なことに正しい教会運営を願っていた人が残らずに、今もこの教会は存続しています。

 私は長く宗教問題に取り組んでいます。閲覧請求と代理人は問題解決のために大変役に立っています。普段、牧師は問題を抱えた人に「お祈りしています。」と声をかけます。具体的な方法を知りたい人にとって、この対応は失望を与えるだけです。また、加害者と被害者の間で、「私は中立ですから。」と驚くような発言をする牧師もいます。被害者にとっては、二次被害です。問題解決のための手立てを必要としている被害者に対して中立はないでしょう。中立を言うなら、何もしない傍観者の方がまだましです。私は問題は充分内容を知ってから取り組み、具体的対応をアドバイスしています。。ただ、他人には何でも知りえた事を言えるわけではありません。野次馬は知りたがりですが、責任感がありません。憶測と断定で迷惑をばら蒔きます。被害者の回復を妨げるのは批評的な、懐疑的な問題提示するする人です。批判に曝されてきた被害者には、加害者とだぶって映ります。思いやりのない発言が、人の中にやっと入ろうとする被害者の思いを砕くのです。閲覧請求は情報を正確に知る一つの方法です。情報が大切です。代理人、それは情報を持った人を自分の法的問題解決のために協力者にすることです。弁護士なら報酬を支払わなければなりません。しかし、報酬なしで協力する友人や家族もいます。私もその一人です。物理的限界を乗り越えるため、知性を鍛えています。
by maranatha | 2010-05-21 22:14

カルト

 「カルト」という呼び方を団体に使用する場合、その団体が最低限度反社会的であることが必要です。キリスト教であるならば、宗教法人を取得し、民主的な教会運営をしているところを「カルト」「カルト化した」という表現はふさわしくありません。また人物に対してもです。ただし、牧師が独裁的で、役員会や教会総会を牛耳っている場合は、民主的な運営とは言えません。2chやブログの書き込みでレッテル張りする人がいますが、中傷された人が、名誉毀損や侮辱罪で訴えたら、法的対応を迫られます。氏名・住所を出して書いている人は法的知識を持っている人です。訴えるなら訴えなさい。法廷で事実認定に持っていけば「お釣」がついてくると対策立てて書いている人ですから、匿名の人は真似をしないようにしてください。また、私に対してカルト呼ばわりする人がいますが、カルトは価値観を転倒させますから、そう言う人はカルトに属しているか、カルト思考法に陥っている人です。法に基づいた行動がカルトであったら、何がカルトかを知らない人の妄言です。「ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘みとしている。」(イザヤ5:20)このような人が目覚めたら、自分に恥じ入るでしょう。

 民主的な運営には透明性が必要です。宗教法人を取得しても、オウム真理教のような犯罪を犯し、カルトと言われた団体がありました。オウム事件をきっかけにカルト犯罪を防ぐため、宗教法人法が改正されました。これで防げるとはとても思いませんが、1995年に改正された内容は大切だと思います。民主的な基準になるからです。

 宗教法人法には「第25条3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であって前項の規定により当該宗教法人の事務所に備えつけられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当な利益があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。」と書いてあります。閲覧を知らないか、知ってもそんなことをしたら「教会(教団)に居れなくなる」といった恐れを抱かせていたら民主的な運営はされていない証明です。宗教法人で認められていることをするのに、教会(教団)の中に嫌な目で見る人がいたら、その人の法的知識が低いか偏見です。「私たちには何も問題はない」と言いながら、閲覧させないのは教会(教団)にやましいことがあるからです。

 前項とは25条2項「宗教法人の事務所には、常に次に揚げる書類及び帳簿を備えなければならない。
一 規則及び認証書
二 役員名簿
三 財産目録及び収支計算書並びに貸借対照表を作成している場合には貸借対照表
四 境内建物(財産目録に記載されているものを除く。)に関する書類
五 責任役員その他規則で定める機関の議事に関する書類及び事務処理簿
六 第6条の規定による事業を行う場合には、その事業に関する書類

 宗教法人でない教会は、せめて、人格なき社団としての要件を満たしておかなければなりません。もし人格なき社団でもなければ、それは牧師の個人事業です。教会経費を引いた残金は、牧師個人のものです。
「①『規則』があって、規則の中に次の事項が記載されていることです。
・名称
・事務所の所在
・団体の目的
・代表の選任規定と代表権について
・団体の意思決定機関としての役員会・総会について
・会員の定め
・資産の適正な管理について
②『規則』に基づいて組織的に活動していること。」
( 『宗教法人こんなときどうするQ&A110』佐藤丈史 いのちのことば社より引用)
by maranatha | 2010-05-21 22:13

終わりの日には

 「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(Ⅱテモテ4:3、4)

 この聖書の言葉は、終わりの日の文脈に置かれています。ペテロはペンテコステの出来事は、預言者ヨエルによって語られたことの成就と言っています。「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ」(使徒の働き2:17)と。それで終わりの日はペンテコステから始っています。今日までの約2000年間が終わりの日です。日を24時間で考えがちですが、終わりの日は24時間ではなく、期間をあらわす言葉です。もちろん、終わりの日の最後の日も終わりの日です。それでは、今日と言う日はどんな日かと言いますと終わりの期間の終わりに近づいている日と言えます。
 
 1980年代から、日本の経済力を背景に、外国から次々と講師を招くことが多くなりました。超教派の聖会やセミナーが盛んになり、教団の特色が薄れてきました。それで、教団間の垣根も徐々に低くなりました。キリスト教系のメディアにはいかがわしい聖会の案内もよく掲載されました。読者は見抜く力がなければ、広告案内を鵜呑みにして、被害を被ることになります。それは今も続いています。
 聖会の成功はメッセージの内容ではなく、如何に大勢の参加者が集まるか、いかに多くの献金が献げられたかでした。そしてその二つが満たされると「祝福」と言う言葉が使用されました。TV会社が視聴率が高く、広告収入が多いことを成功と見ることと同じ感覚です。ベニー・ヒンは教理的に誤りであっても、大勢の人を集めました。彼を招待するのは、興行的に成功するためであり、招待した人は人々が惑わされることに責任を取りません。離婚が明らかになった今、ベニー・ヒンを招く人はいなくなるでしょう。それで、都合の悪くなった人は忘れて、新しい人を講師に招きます。招かれる人は、招く人を見抜く力がないのでしょうか。招かれればどこへでも行くようです。その招く教会や団体がカルト化していようがおかまいなしです。そして問題は続くことになります。かつて、ピーター・ワグナーらが、トッド・ベントリーを使徒に按手・任命してまもなく、トッドの離婚問題が表面化し、見抜く力もないにせ使徒ぶりを証明してくれました。ピーターはカルトを日本に輸出しているような人物です。私は見抜く力は指導者に必要な資質だと思います。相変わらず次々と外来講師がきます。終わりの日に惑わされない人は、ムーブメントに振り回される人ではなく、聖書の教えを生活化していく人です。
by maranatha | 2010-05-17 22:16

カルト王国

 カルト化した教会の指導者は、「キリスト教会」という名の自分の王国を建設しています。王国では、指導者が権威化され、神格化されています。また、王国は指導者による支配と服従によって維持されています。このカルト王国は、見えない神より、見える権威主義的な指導者に依存する傾向にあります。聖書から王国について見てみましょう。Ⅰサムエル記8章には、神疎外の人間中心の王国が建設されたことが記録されています。

民衆の要求
 民衆は「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王をたててください。」(5)「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき」(19、20)と神に要求しています。偶像を礼拝する他国の民と同じようになりたいと言っています。

神の見解
 神は「彼らを治めているわたしを退けた」(7)そして「わたしを捨てて、他の神々に仕えたことだった」(8)と、民のこころを見ておられます。

王の権利
 神は王の権利について、「とる」「させる」「王の奴隷となる」と言及しておられます。
 王は何をとるのでしょうか。「息子をとり」(11)、「娘をとり」(13)「畑や、ぶどう畑や、オリーブ畑の良い所を取り上げ」(14)「穀物やぶどうの十分の一をとり」(15)、「奴隷や、女奴隷、それに最もすぐれた若者や、ろばをとり」(16)あなたがたの羊の群れの十分の一をとり」(17)神はとられることを覚悟しなさいと怒っておられます。
 王は何をさせるのでしょうか。「走らせる」(11)「耕させ」(12)「従事させ」(12)作らせる」(12)「仕事をさせる」(16)これは王が民を使役することです。
 そして、王は民を「王の奴隷」(17)とします。

神の警告
 神は「その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めても叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。」(18)

自分中心の王国
 ここには「自分」(11、11、12、12、12、14、15、16、18)という言葉が多く出てきます。これは王が中心で、神が中心ではない、世俗の王の姿があります。

 以上、王制について書きましたが、なんとカルトと共通していることでしょう。それでカルト王国と題をつけました。聖書の中では、神は王の不正や腐敗を裁くために預言者を立てました。しかし、カルト化した教会の牧師を裁く預言者はいません。カルト化した教会内で預言者が出るときは、指導者への裁きではなく、教会員への裁きの傾向があります。にせの教会に本当の預言者がでれば、教会から追放されるでしょう。カルト化した教会の牧師に愛される預言者は偽者です。本物の預言者とカルト化した教会は共存できません。
by maranatha | 2010-05-17 17:58

明智光秀

 アッセンブリー京都教会は京都の観光地から外れています。しかし、何もないわけではありません。建物がないだけです。教会から徒歩10分、千本通と七条通の交差する所に京の七口の一つの丹波口がありました。ここから丹波街道(山陰街道)が始ります。これが現在の七条通です。歴史上、明智光秀は亀山城を立ち、老いの坂を越え、桂川を渡り、七条通を通って丹波口から本能寺をめがけて攻め入ったと言われています。その日は天正10年(1582)6月2日未明です。教会は花屋町通に面しています。七条は花屋町より一条下った通です。かつて、すぐ近くの道を明智軍が通り、歴史を変えたのでした。

 6月と言えば梅雨です。桂川は増水していたはずです。いろいろ調べても明智軍が橋を渡ったと言う記録がありません。おそらく当時の人は船を使って渡ったと思われます。明智軍は大勢が渡るために浮橋を作って渡ったのでしょうか。渡渉は無理だと思います。浮橋でも危険すぎます。気になって、当時の天気を調べてみました。5月27日は雨、28日は晴、29日は土砂降りの雨、(この年の30日はありません。)6月1日は激しい雨が夕方まで、これでは6月2日未明に桂川を渡渉することも、浮橋を作ることもできません。これが私の結論です。梅雨の2日続きの大雨の桂川、このような状況の桂川を見たことがありますが、浮橋さえ作れる状況ではありません。でも歴史では渡ったとあります。これは私にとって謎です。私は歴史上の記述でおかしいと思ったことは、問いとして心に留め置きます。


花屋町の由来

 時々私は歴史散歩をします。運動不足解消のためです。因みに「花屋町」は『京都坊目誌』に本願寺の近くに「花を売る店が多かった」とあります。これがこの通の由来です。五条、六条がなくて花屋町、七条と続きます。不思議に思い、京都に赴任した頃調べました。六条はないわけではなく、ちょっとだけ鴨川の近くにあります。花屋町の由来を聞いてもなかなか答えられる人はいません。
by maranatha | 2010-05-14 08:30

神谷光匡論

 神谷光匡氏の名前がJTJ神学校の講師陣から消えました。シオン・クリスチャン・フェロシップのホームページは閉鎖されています。http://www.zcf.jp/をクリックすると、「当教会の主管牧師・神谷光匡の加療のため、ホームページもしばらくの間お休みさせていただきます。シオンクリスチャンフェロシップ」と案内が出ています。2つに共通することは、問題を穏便に済ませる体質です。
 JTJ神学校から名前が消えた理由は、関係者から「罷免」されたと聞いています。罷免であれば公益性の高いJTJ神学校としては説明責任が必要です。私は罷免の理由を知っていますが、多くの方々は知りません。知らない方々は彼の今までの働きを評価して気にもしないでしょう。けれども、罷免の内容は説明なしでは片付けれない出来事です。罷免の理由を明らかにすれば、神谷氏から名誉毀損で訴えられるとでも思っておられるのでしょうか。訴えられたら裁判で事実認定に持っていけばよいでしょう。最低限名誉毀損にならない程度には罷免を公表すべきです。岸義紘学長は神谷氏を今まで庇ってきましたが、そのレベルではないことを認められたのです。罷免の理由を知らない他の神学校が、今後神谷氏を採用しないためにも公表が必要です。被害者の苦痛は、何事もなかったように神谷氏がキリスト教の世界で用いられることです。
 シオン・クリスチャン・フェロシップは神谷氏がJTJ神学校を罷免された理由を知っているのでしょうか。シオンの主な関係者は神谷氏の不祥事を知っているはずです。過去に穏便に済ませようとしたことを反省し、教会規則に照らし合わせて主管牧師を解任すべきです。解任条項がなければ教会総会を開き、規則改正をすべきです。そうでなければシオン・クリスチャン・フェロシップは存在意義を失います。神谷氏は、名誉を捨て、神の前に悔い改め、被害者に謝罪と償いをしなければなりません。シオン・クリスチャン・フェロシップは、将来神谷氏が辞表を提出しても、それを承認しないようにすべきです。辞任は自分から任務を辞退することで、名誉ある退任だからです。
 神谷氏が今日まで何事もなかったように、教会とその他の働きを続けてこられたのは、深い悔い改めがなかったからです。悔い改めたのであれば、真っ先に被害者の所に謝罪に行くべきです。門前払いにされるなら、文書で謝罪文を提出すべきです。手を尽くして行動してこそ誠意が伝わるのです。
 神谷氏が青年宣教大会で活躍していた時代の同世代の仲間たちが次々と不祥事を起こしています。彼のメッセージのキーワード「恵み」です。それはキリスト教会の先輩牧師たちの律法的な体質に対するアンチテーゼでした。その恵みの中で罪を犯しても、神は赦してくださると言うなら、自己弁護の恵みで、聖書的な恵みでありません。神の恵みは、罪人を悔い改めに至らせ、品性の実を結ばせてくださるものです。
by maranatha | 2010-05-11 22:25
宗教問題