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村上 密 Blog

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ビリー・グラハム

 ビリー・グラハムについて知りたい方へ、『良心への服従 アメリカ上院議員の証し』(M.ハットフィールド 矢口以文訳 日本基督教団出版局 1987)をお勧めします。グラハムは「アメリカの偉大な伝道者」「アメリカの尊敬する人物」としてよく紹介されます。しかし、私たちは彼をどれ程知っているのでしょうか。私はビリー・グラハム東京大会で初めて彼を見ました。鷲のような目、聖書を手に持って語る彼のスタイルを今でも覚えています。

 グラハムは、ハットフィールドに手紙を書いています。「親愛なるマーク」にはじまる手紙は、ニクソン大統領を熱烈に擁護する内容です。ハットフィールドは、大統領に牧会的配慮をするグラハムが政治利用されないように心配しています。そして預言者的な姿勢が必要なことを本に書いています。やがてニクソンの実体が明るみになった時、グラハムの鷲の目が曇っていたことが歴史的に証明されていきます。

 神学生時代、グラハムに憧れていた時がありました。しかし、早々と憧れは失望にかわりました。グラハムのベトナム戦争に対する「聖戦」発言を耳にしたからです。以来、福音理解は同じでも、彼の政治的発言には反対と言う立場を取りつづけています。大会に参加することも協力することもありません。人に薦めることもありません。同じような政治的立場のフランクリン・グラハムに対しても同じです。私はハットフィールドから、政治家に対してまたは権力の座に着くものに対して、牧会的配慮を優先するより預言者的であるように教えられて今日まで来ました。それは聖書的に正しいと思ったからです。
by maranatha | 2010-07-28 21:57 | ビリー・グラハム

キリシタン史跡

 京都はキリシタン史跡が多くありますが、私の散歩コースに含まれるのが、妙満寺跡地です。東北東のこの場所は、四条堀川を一筋西に、四条岩上通を下るとあります。フランシスコ会がここに教会堂と病院を建てました。26聖人の大半の人が、ここで捕縛されました。ここから長崎への道が始ったと言ってよいでしょう。8月始め夫婦で長崎のキリシタン史跡巡りをします。散歩の延長です。26聖人は日本人とポルトガル人だけではありません。中国人、インド人、メキシコ人、韓国人が含まれています。教会は国際的な場所でした。アッセンブリー京都教会は、日曜日の午後5時からイングリッシュサービス(英語礼拝)を行っています。10数カ国の外国人が集い、50名程で礼拝を守っています。ここも現代の国際交流の場です。アッセンブリー京都教会は京都にいる外国人に礼拝の場を提供し、世界を視野に入れた宣教を実践しています。私の祈り、教会を世界宣教の為に用いてください。           
by maranatha | 2010-07-26 22:29

新選組

 アッセンブリー京都教会から北東の方角に近藤勇、土方歳三、沖田総司で有名な新撰組の壬生屯所があります。教会から東へ15分散歩すれば島原の角屋があり、ここが芹沢鴨が酒の席で暴れた所です。ここから千本通を北に15分歩けば新選組の壬生屯所がおかれた場所です。
 新選組の屯所は壬生だけではありません。壬生屯所時代 西本願寺屯所時代、不動堂屯所時代、伏見屯所時代と移転しました。教会の場所は新撰組の巡回地域から西に外れていますが、私の散歩コース(巡回地域)と新選組の巡回地域は重なります。新選組が来て京都の治安がよくなったので、彼らは人々に歓迎されました。私はカルト問題で関係者には歓迎されています。幕末の動乱の時代に生きた隊士を思い起こし、このコースを歩く時、いのちを捨ててかからなければならないことを思い起こし、散歩しています。 
by maranatha | 2010-07-26 22:26

平清盛 菅原道真

 私の南への散歩道は、平清盛と菅原道真の縁の所です。西大路花屋町を南へ約900m下ると、若一神社があります。平清盛の八条第跡の西端部分です。梅小路公園を含む広大な土地が平氏の土地でした。妓王と仏御前の話は、ここが舞台です。「驕れる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし」(平家物語)を思い起こし、聖書の「主はすべて心おごる者を忌きらわれる。確かに、この者は罰を免れない。」(箴言16:5)を思い起こしつつ、祈って通り過ぎます。いろいろな人を思い起こし、また自らもおごることの無いように戒めつつ歩きます。そのまま南に約1km下ると、吉祥院天満宮です。ここは菅原道真の誕生の地です。道真の生涯を思い起こし、どんな状況の中でも希望を捨てず、ただ神を畏れて歩むように自分に言い聞かせます。聖書の「あなたがた中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ1:5) を思い起こし祈ります。私はこの聖句の約束を握り、39年間祈り続けています。どんな状況の中にあっても失望することなく、神に希望を置くように祈りつつ、家路に向かいます。南への散歩は約2km、ちょっと早めの帰宅です。
by maranatha | 2010-07-24 19:50

豊臣秀吉 

 私の散歩道には、京都ならではの場所があります。最近は散歩が出来ないので書くのははばかれるのですが、何を思い、私が散歩しているかを書いておきたいと思います。アッセンブリー京都教会は西大路花屋町東入ルにあります。交差点を北上すること30分、円町があります。30分と言うのは私の散歩の折り返し地点です。この辺りの地形には、京都に来た頃から興味がありました。豊臣秀吉は天正19年に「お土居」と呼ばれる土塁を築きました。円町はお土居の凸部で、今でもこの辺りを散歩すればその名残があります。豊臣秀吉は明智光秀が織田信長を西から攻撃したことを考慮して、聚楽第の防御のために、城郭で言ったら出丸的な性格のものを円町に築きました。これは豊臣秀吉の恐怖心が形となった所です。私はここで「恐れてはならない、ただ主だけを恐れて歩まなければならない」と祈りつつ、折り返して家路に向かいます。因みにお土居の跡が西土居通です。お土居は西院辺りで東に折れますが、西土居通は続いていて、アッセンブリー京都教会の西側を通っています。私は教会堂設計の段階で、通りに面する西側の敷地を凹ませて、駐車場、芝生と花壇を作りました。ここはこの地域でも緑豊かで、鳥がよく来ます。春には蝶が飛び交い、のどかな場所です。秀吉の恐れと神の平安、なんと対照的でしょう。
by maranatha | 2010-07-24 19:47

ザビエルの光と影

 ザビエル(1506~1552)は日本に最初にキリスト教を伝えた人として有名です。1549年8月15日に鹿児島に到着したザビエルは、この土地で約1年間布教しました。彼の日本での滞在はわずか2年でしたが、その業績は歴史に残り、1622年には教皇グレゴリオ15世によって列聖されました。これが光です。
 ザビエルは1542年にゴアに到着し、1546年5月16日付けの書簡で、ポルトガル国王ジョアン3世に、インドにおける異端審問所の開設を進言しています。1560年にはゴアで異端審問所が発足しています。その結果、多くのマラーノ(15世紀末から、スペインおよびポルトガルにおいて強制的にキリスト教に改宗させられた旧ユダヤ教徒)が安住の地を求めて行ったゴアで火炙りになりました。これが影です。このことを知っている人は稀です。
 
 雑感ですが、私は過去に「カルト監視機構」の必要性を訴えました。このことに対してある人が「『カルト監視機構』という名の秘密警察」と批判したことがありました。カルト監視機構が国家権力と結び付かない限り秘密警察とはなりません。むしろ、自民党政権下、自民党と協力していたカルト宗教が「スパイ防止法」制定に奔走しました。この法案が宗教をも監視下に置くことは一部の人にはよく知られていました。カルトを叩いていた私や他の人がカルトから監視されることも考えられたのです。危ういのは権力と結び付いた宗教です。キリスト教の一牧師の案に大袈裟な警告は夢想家の戯言です。
 さて、キリスト教は世間に良いイメージを持たれています。そのイメージが近年カルト化した教会によって低下していることは読者の知るところです。このような問題を正すためには裁判が必要だとする私に対して、沖縄南部牧師会は声明文を過去に発表しました。また、沖縄リバイバル教会の儀間盛夫氏の裁判で、当時の南部牧師会の喜納政弘会長が、南部牧師会の総意と偽って裁判所に陳述書を提出した失態はよく知られています。南部牧師会はこのことを正すことも出来ないで会長の交代を繰り返しています。キリスト教のイメージが低下したのは牧師と牧師会の倫理観が低下してきたからが私の見解です。次々と牧師の不祥事が明るみになっています。それを擁護する牧師もいます。被害者は二重三重に心に痛みを受けています。このような被害を知っていながら対策室を開設する教団は稀です。いつまでも限られた牧師たちがやっていること事態がキリスト教の怠慢です。
 最後に、「霊の戦い」が中世の「魔女狩り」と同じようにならないことを私は望みます。「原因帰属論」の私の記事を参考にして下さい。キリスト教は正しいことだけを行ってきたのではありません。歴史的な大きな誤りを幾たび繰り返してきたのです。過去の歴史を学べば、現代の問題も見えてきます。キリスト教の光と影を知ることも、ザビエルの光と影を知るのと同様に必要です。
by maranatha | 2010-07-22 16:01

携挙の日

 携挙の日が2010年9月9日と言う話が沖縄で流れています。日を特定することは控えるべきです。イエスは「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りでない。」(使徒1:7)と教えられました。どの資料から特定されたかは知りませんが、聖書からでないことは確かです。この問題発言の出所は沖縄でよく知られた人です。ある団体の記念すべき日に、沖縄のキリスト教界の重鎮の牧師たちが招かれましたが、その席でこの発言に対して何の注意もされなかったと言うことです。牧師たちも問題です。携挙の日を推定であっても控えるべきです。いままでどれくらいの人が誤った発言をしてきたことでしょう。来年だと言う人も沖縄にいます。再臨信仰は大切ですが、日を特定することは信じやすい信徒の日常生活を脅かします。
by maranatha | 2010-07-15 14:26

原因帰属論

 人は健康や病気、成功や失敗の原因を知りたがるものです。健康や成功を自分の健康管理や努力によると思ったり、病気や失敗を不運や他人の所為にすることは、自分のこころを満足させるには都合の良いものです。しかし、このような考え方を逆に考えるようになると、自分をダメな人間と思い込み、依存的になったり、落ち込んだりします。原因を誰に、何にあるかを客観的にではなく、主観的に自分勝手に推測するところに問題が生じます。
 心理学的に「原因帰属論」と言われるものを、近年の「霊の戦い」に当てはめて見ましょう。病気や失敗を悪魔や悪霊、先祖の因縁の所為にして、悪魔払いや因縁の断ち切りの祈りをすれば癒しと解決があると言う教えです。しかし、効果がないと信仰の不足、祈りの不足と責め立てられます。次第に、罪悪感を抱くようになり、長引く無力感からこころの病に至る人が多く起こっています。カルト化した教会では偏った教えが強調されるため、思考や信仰のバランスが崩されます。成功や癒しは神と指導者の御蔭であると重ね合わせるため、指導者の権威化と神格化が進みます。やがて指導者は高慢になり、独裁的になり、罪を犯すことにもなります。
 カルト化した教会では、原因帰属論が悪用されています。心理学がカルトに悪用され、社会問題が1980年代に起き始めました。同じことがキリスト教界に置き始めています。「霊の戦い」は聖書的ではなく、キリスト教的イデオロギーです。正しい教えがどうして病に至らせることになるでしょう。正しくないからです。このブログを通して警告しておきます。
by maranatha | 2010-07-09 12:41
宗教問題