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村上 密 Blog

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山北宣久師の問題行動

山北宣久師に関する記事が「zakzak」に「ハメられた!?青山学院トップ、ラブホ動画流出」と言うタイトルで掲載されています。山北氏は日本基督教団の議長であり、青山学院の院長です。
by maranatha | 2010-08-28 10:42

牧師の裁判

 8月17日午前10時、釧路地方裁判所北見支部で竹内一雄を相手取った民事裁判がありました。平成22年(ワ)第193号貸金返還等請求事件の概要は、訴状を参考にすると「カウンセラーや牧師という肩書きに対する社会的信用を悪用して」「多額の金員を借り受け」「性的被害を与え」「極めて悪質な宗教被害の事案」とあります。さらに、被告は「原告以外の教会員にも同様の被害を与えている」とし、裁判には複数の女性の陳述書が提出されています。
 竹内一雄は答弁書で「本件の概要は否認する」と書いています。竹内は貸し付けた1,080万円の内、郵便局口座振込みの600万円は認めつつも寄附金扱いにし、他480万円は否認しています。性的関係は認めています。
 17日午後6時45分頃、STV(札幌テレビ放送)では山口広弁護士、代理人村上密、原告支援者の記者会見の模様が報道されました。山口弁護士は霊感商法やカルト問題に詳しい弁護士です。この裁判は最近多発している牧師の倫理問題に一石を投じることになるでしょう。
by maranatha | 2010-08-20 20:21 | 竹内一雄

十分の一

 カルト化した教会の被害者が最も質問するのは十分の一についてです。

 マラキ書の十分の一が必ず引用されるます。
「人は神のものを盗むことができようか。
 ところが、あなたがたは
 わたしのものを盗んでいる。
 しかも、あなたがたは言う。
 『どのようにして、
 私たちはあなたのものを盗んだのでしょうか。』
 それは、十分の一と奉納物によってである。
 あなたがたはのろいを受けている。
 この民全体が盗んでいる。
 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、
 わたしの家の食物とせよ。
 こうしてわたしをためしてみよ。」(3:8~10)

 カルト化した教会では、十分の一を捧げないと「祝福はない」「泥棒」と言われます。彼らの聖書的根拠がマラキ書です。ところがマラキ書は旧約聖書に属します。エルサレム会議では異邦人教会に十分の一を捧げよとは言っていません。「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」(使徒5:28.29)よって、マラキ書の十分の一を異邦人教会に適用することは有効ではありません。

 新約聖書のなかで「十分の一」についての唯一の言及は、「忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかみしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。」(マタイ23:23)ここを示して、イエスは十分の一を勧めていると言う人もいます。これは律法下に生きている人への教えです。これを異邦人教会に当てはめることはできません。現代の教会が十分の一を教会員に勧める聖書的根拠がないと言うことです。

 新約聖書の献金に対する教えで、比率については沈黙しています。パウロは「さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤの諸教会に命じたように、あなたがたにもこう命じます。私がそちらに行ってから献金を集めることがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。」(コリントⅠ16:1.2)と教えています。この献金はパウロが使う献金ではありません。貧しいエルサレム教会に送るものです。パウロの働きのために捧げてくれたのはピリピの教会だけでした(ピリピ4:15)。ここにも比率への言及はありません。

 これで十分の一が異邦人教会である現代の教会に要求されていないことがわかりました。今まで「泥棒」と言われたり、「聖書の教えに忠実でない」と責められたりしましたが、良心の責めからも解放されることになります。献金は押し付けられてではなく、自分で判断し神に捧げることが新約聖書の教えです。ですから、十分の一を自分で決めて捧げるのも自由です。二十分の一にするのも自由です。ただし、教会の規則で教会員の義務として「十分の一」が書かれていたら、あなたはその義務に従う必要があります。従いたくなっかたらそのような教会を出ることです。私は教会を壊すためにこれを書いているのではありません。思考停止に陥っている人に、もう一度聖書は何と教えているかを伝えているに過ぎません。キリスト教的習慣が本当に聖書的かは疑問です。
by maranatha | 2010-08-13 15:21

陳述書

広辞苑には陳述書について 「民事訴訟において、当事者本人または証人の言い分を書面にして裁判所から提出を求められることが多い。」(第五版)と書いてあります。裁判に関係していると、陳述人の嘘の証言を読むことがよくあります。嘘の証言が正義が行われることを妨げていると思うと残念です。陳述人が嘘を書く理由は、報復に対する恐れ、利害関係の悪化等があります。裁判では陳述人の嘘が裁かれるのを見たことがありません。力があると思われている人のために、積極的に嘘を書く牧師がいることに私は失望しています。聖書では嘘の証言は罪です。裁判で裁判官をだませても、神を欺くことはできません。神をも畏れず牧師をしている、これほど被害者を失望させるものはありません。また、信徒が加害者の隠れた罪を知っているのに証言をしないこともよくあります。関わりたくないと言って被害者を救済しようとしません。世の中ではこれは罪に問われません。しかし、聖書ではこのようなことも罪です。嘘を書くことも、事実を証言しないのも罪です。証人は見たこと、聞いたことを嘘偽りなく証言することが求められています。「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」(マタイ24:13)このような時代に生きるクリスチャンは、正義が行われるために証言を控えてはいけません。
by maranatha | 2010-08-13 15:20

長崎キリシタン史跡

 8月2日、カトリックセンター長崎(ユースホステル)に到着。ここはヨハネ・パウロ二世の長崎滞在中の宿泊所です。目前に浦上天主堂があります。かつて浦上の信徒は、1867年の浦上四番崩れで3、394人が各地に流配されました。そして、1945年8月9日の原爆投下により、浦上教区信徒の8、500人の生命が失われました。前者は幕府による弾圧です。後者はキリスト教国(?)によるものです。戦争を早く終わらせるためと言う美名の下、原爆の被害者は死者73,884人、負傷者74,909人です。当時の長崎の人口は約24万人で、その半数を超える約14万(非戦闘員)が原爆の被害者です。「大義ほど多くの人命を奪うものはない。」これが浦上を訪れた感想です。
 1泊2日の滞在で訪ねた所は、キリシタン史跡としては浦上天主堂、日本26聖人殉教地、殉教地を向いて建てられた大浦天主堂、島原雲仙地獄、その他は長崎原爆資料館、長崎歴史文化博物館、島原武家屋敷。その中で、浦上天主堂は見るべきもののとしては少ないですが、一番考えさせられる所でした。大切なことは、見るものより、考えさせられる所に立つことです。
 私は現代のキリスト教的大義「教会成長」「弟子訓練」「霊的戦い」等の被害者のカウンセリングを続けています。大義に生きている人は自分たちが被害者を生み出しているとは思ってもいないでしょう。しかし、この大義のために精神的虐待、身体的虐待、性的虐待、経済的搾取を受けた被害者は、キリスト教的なものに失望し、信仰さえ失いかけています。大義のために信徒を一致団結させるようなムーブメントをやめて、信徒の個性が尊重される教会形成が望まれます。私が心掛けているのは、聖書全体から説教すること、神と人に仕える教会形成、あらゆる分野に取り組む信徒の育成です。
by maranatha | 2010-08-11 11:09
宗教問題