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村上 密 Blog

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人殺し

 人を殺していない人に対して、人前で又は文書で「人殺し」と指摘したら、その人は刑事責任を問われます。犯罪を犯していない人に対して、犯罪用語を人前で又は文書で使った場合、これもまた刑事責任を問われます。被害を受けた人が警察に証拠を持って被害届を提出することが、刑事責任を扱う最初のステップです。名誉毀損罪、信用毀損・業務妨害罪、侮辱罪が当てはまる文書がネット上にはたくさん見られます。民事責任を問う場合は弁護士に相談して裁判に訴えればよいでしょう。匿名でも責任を逃れらるわけではありません。名前を書いているからその人が正しいことを書いているとは限りません。
 私はカルト問題を長年扱っていますので、カルト陣営から偏見で見られます。過激なレッテルを貼られて迷惑することもあります。自分の為に裁判を起こしたことはありませんが、あまりにも酷い場合は、今後は弁護士に相談しようと思います。被害相談者が偏見を乗り越えて私のところに電話乃至来訪するのに年月がかかっている事に驚く時があります。これは宗教トラブル相談センターへの業務妨害です。今まで匿名、実名は関係なく書きたてている人は文書を削除してください。2010年10月末日を期限にします。全ての人を訴えることは時間のロスですからしませんが、一罰百戒の対象者が今後でるでしょう。最近放置しておくことは「寛容」ではないと思うようになりました。被害者が相談する道を妨害されているのです。宗教の中での被害者はどうしても相談が遅くなります。これを防ぐためです。最後ですが、文書を削除した人の責任は問いません。反省、謝罪と見なします。
by maranatha | 2010-09-30 07:22

牧師の違反行為及び懲罰と復職

 牧師の違反行為には、教理上、倫理道徳上、犯罪上、教規上のものがあります。
これらの違反行為を黙認すること、また協力することも違反行為となります。

 このような違反行為を犯した牧師が適切な懲罰を受けることは当然です。もし、
懲罰がなければ、団体や教会の秩序は失われ、無法がまかり通ります。戒告、
停職、資格取消は団体によって個人差があります。

 復職は、資格取消を受けた牧師が悔い改め、元の団体や教会に復職することです。
2人もしくは3人の牧師が、一定の悔い改め期間を見守り、確かに悔い改めの実を結
んだと判断しなければ、復職は適いません。証人と判断する人は責任が伴います。

 単立教会の場合は教会の役員会並びに教会総会が教会の規則に基づいて判断
します。牧師がその場に出席してはなりません。

 これは私のこれまでに扱った事例からの感想です。上記のことはほとんど機能して
いません。だから、私のところに相談があるのです。大体はなあなあで、人間関係で
判断しています。団体も教会も自己保身的です。関わって傷つきたくないのです。
判断で恨みを買いたくないのです。どこに正義があると被害者は叫んでいます。

*英国AGの服務規程を参考にしました。カトリックの『新教会法典』が一番しっかり
  しています。
by maranatha | 2010-09-29 19:46

外国人のための無料法律セミナー

 アッセンブリー京都教会では、11年前より英語礼拝を始めました。
近年、特に在留外国人が増加し、いろいろな問題を抱え、不安を覚えている
ことを知りました。研究のため大学や研究所で働いている方だけでなく、
研修と言う名目の労働者もいます。日本人と結婚している方等。彼らが
日本の法律を知り、自分を守って生きる事ができたらと願い、無料法律
セミナーを企画しました。外国人向けに英語でされる貴重なセミナーかと
思います。


            「在留外国人と日本の法律」

 在留外国人に関する労働法、入国問題、法律に基づく宗教活動について、
英語でわかりやすく説明します。

日時 2010年10月10日 15:00-16:30

場所 京都府中小企業会館 704号会議室
    (西大路五条下ル 有料駐車場有り)

講師 櫻井圀郎 東京基督教大学教授
    名古屋大学大学院博士課程修了(民法専攻)
    日本私法学会 国際消費者法学会 宗教法学会所属

主催 アッセンブリー京都教会 TEL 075-311-5193

*講演は英語です。通訳はありません。

by maranatha | 2010-09-28 07:11

セミナー 

 関東でのセミナーの案内です。詳しくはhttp://chirobanokai.web.fc2.com/を検索してください。関東はカルト問題が多いのに、このようなセミナーが少ないですね。ちょっと心配していましたが、立ち上がる人たちが出てきました。
by maranatha | 2010-09-23 22:31

沈黙

 2006年9月8日、沖縄県北・中・南部牧師会は「村上密師のカルト問題への手法に関する声明文と憂慮」を作成し、諸教会に配布しました。牧師会は、私がカルト問題の解決のために裁判を支援することに、反対しているわけです。私は問題を起こしていません。むしろ、当時の南部牧師会の会長喜納政弘師が、南部牧師会の総意でないのに総意と偽って陳述書を裁判所に提出し、牧師として大きな倫理問題を起こしました。この偽りの証言に対し南部牧師会は今尚沈黙を続けています。また、根間民雄師も沖縄単立牧師会の会長として裁判所に陳述書を提出しました。この沖縄単立牧師会の広報委員長は比嘉球英師です。比嘉球英師は「べレア運動」を信奉する牧師で、これは韓国のキリスト教の異端です。重大な教理問題を抱える単立牧師会の相談役は比嘉幹房師と国吉守師です。お二人はべレア運動にお墨付きを与えているようなものです。べレア運動は韓国の金ギドンが始めました。この運動は日本の各地に流れ込んでいますが、三位一体を否定する異端です。「べレア神学の教理」を検索してください。簡潔に教理の問題が書かれています。かつて私が扱った聖神中央教会もべレアでした。沖縄にはいろいろな問題を孕んだ運動が流れ込みますが、問題を見分ける力がないのか、新しい流れに乗る牧師が多いのには呆れます。そうでない牧師もいるはずです。私は沈黙している牧師が問題を正すために声をあげる時を待ち望みます。
by maranatha | 2010-09-22 18:01

啓示

  極端なペンテコステやカリスマの牧師は、聖書啓示より個人預言や夢、幻を重んじる傾向にあります。このような牧師のもとで育った信徒は、聖書を深く学ぶことよりも、個人預言や夢、幻に走ります。いつも、「神が○○と言われた。」「○○の夢を見た。」「○○の幻を見た。」といかにも神に近い生活を送っているようです。しかし、信仰生活や品性が向上しているわけではありません。預言は聖書に基づいて吟味されなければなりません。しかし、聖書は預言によって吟味される必要はありません。必要なのは適切な解釈です。聖書をあまり読んでいない信徒が個人預言に走って、どうやって聖書に基づいて吟味するのでしょう。自分の主観に基づく判断をするだけです。個人預言や夢が実現しなくても、反省もなく、啓示の話をし続けます。牧師がそうだから、信徒は注意されません。それで、教会全体が主観主義に陥り、「私」と言う主語が欠落した話が飛び交う所となります。人の話を聞くのではなく、自分の話をする人の集まりになります。そこにあるのは、いかに自分が霊的かと言う自己主張です。聖書の解釈を十分学んでいない牧師は、自分の解釈が一番正しいと思わせ、大きく聖書から逸脱していきます。そのような教会では恐ろしく聖書を知らない「霊的信徒」が育ちます。みことばの飢饉が、最も霊的だと思い込んでいる教会に来ています。
 さて、読者は2010年9月9日がどのような日か覚えておられますか。何事もなく過ぎました。携挙の日(キリストの再臨の日)だと主張した人はどのように弁明するのでしょうか。踊らされたクリスチャンは反省をするのでしょうか。人が知らないことを神が示してくださることを啓示と言います。神は偽ることのないお方です。ですから、預言が外れたら、神が示されたのではなく、個人が偽ったのです。                
by maranatha | 2010-09-11 07:38

社会派か福音派か

 戦後キリスト教会は社会派と福音派に分かれました。社会派は社会問題に取り組みました。「伝道」と言う言葉は社会派の中では死語でした。最近は伝道をよく聞きます。伝道をしなかったことによって信徒が高齢化し、信徒数が激減しているからです。代表的な日本基督教団の執行部が代わった事によって従来の路線が変わりました。福音派は伝道一本槍でした。しかし、スイス・ローザンヌにおける「世界伝道会議」(1974年)においてキリスト者の社会的責任が強調されました。それから社会問題にも目を向けるようになりました。飢餓問題はよく取り上げられます。人道的支援にキリスト教的隣人愛が近いからです。
 私は福音派からは社会派のように見られます。社会派からは福音派と見られます。それは統一教会が引き起こす社会問題に取り組んだからです。1970年代に統一教会の活動は社会問題となり、世間の注目を浴びました。入信した子どもが職場を放棄して、失踪する事件が多発しました。私が大阪府の高槻市で伝道を始めたのは1981年です。その当時この問題に取り組む人はわずかでした。その後社会派の牧師たちが本格的に取り組むようになりました。さらに、マスコミや弁護士たちと協力して霊感商法にも取り組みました。私はイエスが病人を癒し、福音を伝えている姿を通して、福音だけではなく、人々の必要にも答えるべきだと思い始めていました。統一教会の教えの矛盾を指摘して脱会させるだけでなく、真理を知りたいと思っている人に福音を語り、救われる人が続出しました。私の心の中で社会的問題と福音が一つになっていきました。本来のキリスト教は社会派や福音派と区別するものではありません。キリスト教の徳目である隣人愛は政治、社会、経済、戦争で苦しむ人にも手を伸ばすべきだからです。
 私の働きは、キリスト教の異端問題からカルト問題を含むようになり、さらにキリスト教のカルト化の問題まで扱うようになリました。キリスト教のカルト化は日本だけの問題ではありません。世界中で起きている現象です。教会が世俗化し、効率化を求め、牧師の独裁を許すほどに教会論がゆがめられました。その歪が社会問題を起こすまでになっています。私は当分キリスト教のカルト化の問題を取り組んでいかなければならないと思っています。
 今日、社会派と福音派と色分けする時代は終わっています。しかし、人々は今までのカテゴリーの中に留まっています。人々の救済のために殻を破る思考が大切です。真理はあなたがたを自由にすると聖書は教えています。真理に基づいて自由に行動することが、人々の社会的必要に応え、福音の前進に繋がる。これが今の私も働きです。
by maranatha | 2010-09-03 08:16

荒野の誘惑

 荒野の誘惑で最も印象的なのは「パンの誘惑」です。悪魔がイエスに「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」と語りかけます。悪魔はイエスが「神の子」であることを知っていますが「神の子なら」と言っています。石をパンにすることが「神の子」を証明することだと言いたいわけです。イエスはこの仮定と証明の誘惑を退けます。なぜ知っている悪魔に証明する必要があるでしょう。知っている悪魔は知っていることに相応しくイエスに対応すべきです。イエスは「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」と言って悪魔を退けます。ここでイエスは人が生きる為、神のことばの必要性を語られます。私たちはパンの有り余るなかで生きていますが、心の飢えはパンでは満たされないことを自らの生活の中で体験しています。パンも必要ですが、今こそ人にもっとも必要なのは神のことばだと思います。
 聖書はイエスを信じた人は神の子(複数)とされたと教えています。クリスチャンは神の子ですが、石をパンにすることはできません。ですから、悪魔が同じ誘惑をクリスチャンにしても誘惑にはなりません。むしろ、神のことばも大切だが、あなたに必要なのはパン(生活の糧)と言って、神のことばから離れた生活をするように惑わすとことこそ誘惑になります。できないことは誘惑になりません。できることが誘惑になります。できてもしてはならないことが誘惑です。できてもしてよいことは誘惑になりません。誘惑を受けない人はいません。だれもが誘惑と戦っています。誘惑を退ける秘訣、それは信仰と良心に従って生きることです。
 なぜ、誘惑をここで取り上げたのか、それは牧師が多くの誘惑にさらされて負けている情報が私のところに届くからです。それだけでなく牧師が誘惑をしている情報も届きます。人々が牧師を聖人か神の代理人、特別な人と思い込むとき、信じやすい、だまされやすい状態と思ってください。
by maranatha | 2010-09-02 06:55
宗教問題