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村上 密 Blog

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喜納政弘論

 喜納政弘氏は沖縄世界宣教教会の主任牧師です。私が沖縄キリスト福音センター(美浜教会)のカルト化の問題を扱っていたとき、仲原正夫氏の弁護をした人です。また喜納氏は沖縄南部牧師会の会長のとき、沖縄リバイバル教会の裁判で被告儀間盛夫氏の弁護のため、嘘の陳述書を裁判所に提出しました。沖縄南部牧師会はその嘘の陳述書を今に至るまで撤回しないで、被害者に苦痛を与えています。事実を知りながら糾さないのは嘘に荷担していることと同じです。

 さて、その喜納氏が今度は身内の問題で教会とチャーチ・スクールの危機を迎えています。それは教会の牧師兼チャーチ・スクールの教師である息子が性的不祥事を起こしたからです。社会的慣習では解任ですが、辞任のようです。喜納氏夫妻は、教会員とチャーチ・スクールの関係者に十分な説明責任を果たしていません。また、息子を庇う発言をしているところから、喜納政弘氏とチャーチ・スクールの校長である喜納邦子氏は反省しているとは思えません。

 喜納政弘氏の特徴は仲間、身内を庇うことです。庇ってもらう人にとっては有りがたい存在です。しかし、被害者からすると加害者と同罪で、立場を利用したパワー・ハラスメントとです。庇ってもらった牧師たちは、自主性を欠き、力の強い者に媚び、自己保身に陥っていきます。信念のある人は育ちません。力で庇ってもらう人は甘やかされて育てられたお坊ちゃんです。自主性は育ちません。そのような牧師に法令遵守や教会規則に基づく教会運営ができるわけがありません。喜納氏は長く沖縄のキリスト教会の重責を担ってきました。牧師養成にも携わっています。沖縄の牧師や教会を育てる役目を果たしてきたのです。しかし、いまや隠蔽体質と自己保身が社会的に裁かれているだけではなく、庇ってもらってきた牧師や沖縄の教会も裁かれているのです。

 裁きには3つあると思います。教会の規程に基づいて裁く場合と司法の場での裁きと社会的な裁きです。教会の規程で公正に裁かれるにこしたことはありません。司法の場は法的に罪に問えることだけが裁かれます。沖縄世界宣教教会の場合は、今まで支配的な教会運営で隠蔽されてきたことが暴かれつつあります。社会的な裁きは行き過ぎると社会的に葬られることがあります。喜納氏は今度は自分が庇ってもらう立場になりました。庇い、庇われる関係が教会の成熟を阻害しています。
by maranatha | 2010-12-31 14:20

アタナシオスさんへ(2)

 キリストは「十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。」(ルカ9:1)とあります。聖書には弟子たちが悪霊を追い出している記述はありますが、悪魔を追い出している記述はありません。

 悪霊を悪魔と呼んで「祓魔式」をすることは「キリスト教二千年の伝統」とのことですが、Aさんの立場はプロテスタントで二千年経っていません。「祓魔式」と言うカトリック用語を使用しておられますが、カトリックでさえ二千年も「祓魔式」を実践しているわけではありません。誤解を与える権威付けの「キリスト教二千年の伝統」を使用する必要はありません。

 カトリックのフランシスコ会聖書研究所訳は、プロテスタントが悪霊と訳すところを悪魔と訳しています。それは誤訳です。悪魔は複数存在しません。Aさんは「悪魔は一人」に対して「狭い意味」「消極的な是認」と反論しておられます。私は存在論として一人を主張しているのであって、それに対して異論があるのであれば、それはあなたの属する教会の神学的立場とも思えません。私は悪霊追い出しに「悪魔よ出て行け」は誤解を与えているので批判しています。事実、悪魔が多数と思い込む人々がいます。カルト化した教会の信徒は、Aさんのように学んでいる人ばかりではありません。ピーター・ワグナーの『霊の戦い』は神学的なものではなく、宣教学的方法論です。神学的厳密さを書いたものが、現実の教会の宣教の場に混乱をもたらしていることを私は見過ごすことができません。Aさんが方法論として「悪霊」に対して「悪魔」と呼びかけるのを是認されるのなら、それはあなたの主張に留めるべきであって、繰り返しますが「キリスト教二千年の伝統」と言う誤解を与える権威付けは控えるべきです。

 Aさんは悪魔と悪霊の明確な区別はないと次の聖書箇所から主張しておられます。「イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされた」(使徒言行録10:38)。ご存知かもしれませんが、聖書の記述の仕方として、ペテロに対してはペテロですが、ペテロとヨハネとヤコブ,ペテロと弟子たちの場合は代表してペテロと書くことがあります。悪魔と悪霊に苦しめられている人たちを「悪魔に苦しめられている人たち」と表現することはあります。ペテロをパウロと呼び返ることはありません。混乱が生じるからです。よって、悪霊を悪魔と呼び返ることはありません。Aさんが悪霊を悪魔と区別していないと言う聖書的根拠は根拠になりません。Aさんの論法だと荒野における悪魔の誘惑でさえ悪霊の誘惑かもしれないと言うことになります。区別はないと言い切れるほどの根拠はありません。聖書の記述の仕方で聖書を理解していくべきです。すなわち聖書を自分の持っている概念で読解していくのではなく、聖書を聖書の文脈や聖書記者の記述方法を理解して読解していくべきです。

 なぜ、Aさんの随想に反論をしているかと言いますと、blogの読者へ、啓発をもたらすと判断したからです。私に対するどうでもいい匿名の記事がありますが、Aさんの記事は、「どうも理論がおかしい」との匿名の批判です。しかし、どうでもいい記事ではありません。Aさんと読者に対して、Aさんを代表にして書いています。
by maranatha | 2010-12-30 08:04

アタナシオスさんへ

 アタナシオスさん(以下Aさん)が『数学的にありえない』(村上密blog)を読んで、『北風から』に論評を書いてくれました。わざわざメールで知らせてくれましたので、これは公表文に対する私からの反論です。

 悪魔は一人です。これに対してAさんには異論はないようです。Aさんは悪霊に対して「悪魔」「サタン」と呼んで祓魔式を行なっても間違いではない。なぜなら、悪霊は目的と手段において悪魔(=サタン)と一つだからと主張しておられます。キリストや使徒がそのような論理で「祓魔式」を教えたでしょうか。いつ始ったかわからない論理的根拠と過ち多い「キリスト教の二千年に渡る伝統」では根拠が薄弱です。

 Aさんが用いた「祓魔式」はカトリック用語です。プロテスタントではこのような儀式はしないので用いません。また、カトリックでは「悪魔」は複数です。(注1)伝統を重んじるのは、ご自身がプロテスタントの伝統的な教会に所属しておられるからでしょう。しかし、その教会には「祓魔式」はないはずです。プロテスタントは伝統に権威を置くのではなく、聖書に権威を置く団体です。「伝統」には、しばしば異教的なものが混入してきた歴史的な経緯があります。また、カトリックやプロテスタント共に霊的な存在(悪魔、悪霊)に取りつかれたと断定された人々に対して誤まった対応をしてきたことは周知の事実です。

 聖書から話が創作されていく傾向が、昔も今も神秘主義や体験主義のクリスチャンに多いので、私は努めて聖書を根拠にして書いたり話したりするようにしています。「伝統」とされていること(例えば十分の一)にも問題提起をblogでしています。伝統はクリスチャンをしばしば生活と思考の安住状態(思考停止)にします。もう一度聖書を基にして、当り前と思い込んでいること、思い込まされていること考えて見ましょうというのが私の提案です。

注1 『新約聖書』(フランシスコ会聖書研究所訳 中央出版社 )32ページを参照してくだ
さい。「二人の悪魔につかれた者」「悪魔ども」の記述があります。ただし、プロテスタン
トとカトリックの共同翻訳の聖書には「悪霊に取りつかれた者が二人」「悪霊ども」とな   っています。
by maranatha | 2010-12-24 16:26

情報コントロール

 最近、江藤淳の『閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』(文春文庫)を一気に読みました。この本は、アメリカが戦後の「言論の自由」をいかに統制し、支配していたかを暴露しています。CIE(民間情報教育局)によるプロパガンダ、CCD(民間検閲支隊)による検閲で、日本人の思想改造が行なわれたと書いています。アメリカは「言論の自由」を与えているように思わせて、実は裏で最後までCCDの活動を秘匿して検閲を行ってきました。ある程度は知っていましたが、改めて綿密な調査と資料に基づいて書かれた本を読むと驚かされます。CCDの30項目の検閲指導が、伝統的な価値体系を破壊し、新しい価値体系へ組替えることを可能にしたことも論証しています。ドイツ占領軍当局による情報管理体系の4本柱(認可、監視、主題の限定、ニュース・ソースの管理)についても触れています。

 私はこの本を読みながら、キリスト教のカルト化問題を考えていました。それは一部の教会がカルト化して、信者を情報コントロールしているからです。どうしてこんなに簡単に騙されるのか。どうしてあんな人に支配されたのか。本を読んで、情報コントロールの条件さえ整えれば可能であることが分りました。カルト化した教会では、何事も牧師の許可が必要です。信徒が牧師の指導に従っているかどうかは相互監視下にあります。主題が限定された説教が繰り返し行なわれています。牧師の許可した本だけが読むことのできる本です。これはカルト化した教会の共通項です。

 カルト化した教会では、キリストを信じたときの喜びも束の間、信徒は教会活動に多くの時間を割くことになります。さらに牧師や献身者から様々な虐待を受けていきますが、このような被害者がやがて虐待する側に変わっていきます。法律に抵触する行為もときには強制され、「共犯関係」に引き込まれます。それは信者を抜けがたい心理状態にします。また、信者は独裁的牧師に対する恐怖感と悪霊に対する恐怖感で教会に縛り付けられます。

 以前、『転向』(思想の科学研究会編)を「村上密blog」で紹介したとき、physicomathさんがご自分のblogで取り上げてくれました。『閉ざされた言語空間』は『転向』をさらに大掛かりにしたものです。是非読者に読んで頂きたいと思います。
by maranatha | 2010-12-21 07:26

数学的にありえない

 アダム・ファウアーの小説『数学的にありえない上・下』(矢口誠/訳 文春文庫)の題名を拝借しました。「神学的にありえない」にしたいのですが、確率的な表現の方が理解しやすいと思ったからです。何度も書いてきたことですが、悪魔払いのことです。
 
 悪魔は一人です。サタンとも言います。実は、クリスチャンの中から「悪魔よ出て行け」「サタンよ出て行け」と追い出しをしている教会が多くあります。日本だけではなく世界中にあります。そこで取り合えず100,000教会で1,000,000人のクリスチャンに悪魔払いをしていることにします。同時に悪魔払いをしていると仮定しましょう。そうしたら、悪魔は一人ですから、999,999が間違いか、1,000,000が間違いとなります。こんなに確率の悪いことが、多くの教会で行なわれています。これは悪魔に惑わされている状態であって、悪魔が多くの人の中に住んでいる証拠ではありません。悪魔にとって騙されている人は放っていてもいいから「数学的にありえない」と言いたいわけです。
 
 神学的にありえないとは、聖なる神が、悪魔とクリスチャンの中に同居するはずがありません。聖霊降臨後、キリストの弟子達がクリスチャンから悪魔を追い出している箇所はありません。それでクリスチャンから悪魔を追い出すことはおかしいわけです。体験主義の人は「まちがいない」と言うでしょう。しかし、聖書的裏づけがありません。聖霊降臨は教会の誕生と言われています。聖霊の内住はこの時より、キリストを信じる人に成就するようになりました。もちろん、三位一体の神の内住でもあります。

 惑わされている人が多いので、度々blogで注意を促しています。間違った対応をされる人には、不安が増幅され、心を病むケースが起きています。中世の魔女狩りにも等しいことが現代で起きています。神学すること、思索することを放棄する人は、悪魔払いに走るのでしょうか。「数学的にありえない」「神学的にありえない」ことは早く止めましょう。
by maranatha | 2010-12-20 07:15

2010年 キリスト教界不祥事10大ニュース

 2010年にプロテスタント教会で起きた不祥事を記録しておきたい。それは、忘れないためだけではなく、繰り返さないため。

1、ビュン・ジェーチャン 準強姦の疑いで逮捕
2、神谷光匡 JTJ講師を罷免 女性問題が原因
3、藤本光悦 仙台ラブリ聖書教会を辞任 パワハラ セクハラ
4、竹内一雄 貸金返還請求と性的加害行為で裁判開始
5、山北宣久 ラブホ動画流出
6、山田博 総会決議無効請求事件が露見
7、テモテ朴 貸金返還請求事件で敗訴
8、白上敏廣 株購入詐欺で再逮捕
9、喜納ヨハネ 性的不祥事で国外へ脱出
10、ヨハン早稲田キリスト教会 大学での強引な勧誘でカルト化の危惧

 以上は個人的見解に基づく10大ニュースである。9については、中尊寺の僧侶が女子高生(16)にみだらな行為をしたとして、岩手県青少年環境浄化条例違反の疑いで逮捕されている。喜納はこのケースと酷似している。

 沖縄県の「沖縄県青少年保護育成条例」には「第17条の2何人も、青少年に対し、みだらな性行為又はわいせつな行為をしてはならない。」とあり「第22条第17条2第1項の規程に違反した者は、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。」逮捕されるべき人間が、逮捕されずにアメリカへ脱出。もし、逮捕されていれば2010年の牧師の逮捕は3人になるところであった。10大ニュースに共通するのはだいたい女性問題、金銭問題である。牧師も落ちれば只の俗物である。
by maranatha | 2010-12-19 22:06

文鮮明と池田大作

 2010年の宗教界の10大ニュースには、文鮮明総裁と池田大作名誉会長の健康不安説がランクインするでしょう。統一教会の文鮮明総裁の心身の衰えは、2010年6月の流出した映像(URL:http://www.vimeo.com/12532606)で明白になりました。奇しくも同年6月、創価学会の池田大作名誉会長の健康不安説が流れ始めました。6月から本部の幹部会への欠席が続いています。

 二人は、この他にも共通することがあります。後継者問題に悩んでいることです。文総裁は子どもたちが、骨肉相食む状態です。池田名誉総裁には二人の子息がいますが、巨大宗教団体を継承する力に欠けています。従来、巨大化した宗教団体の後継者は、血肉は象徴として祭り上げ、官僚化した幹部の集団指導体制に引き継がれてきました。

 2011年から宗教界は変動期を迎えます。二人の6月の同じような健康不安説は何かのシグナルのように思うのは私だけでしょうか。このことはおいおい判明することもあるでしょう。
by maranatha | 2010-12-12 04:26 | 統一教会

「キリスト教会の『カルト化問題』」

週刊仏教タイムス(2010年12月2日第2424号)に掲載された 「キリスト教会の『カルト化問題』<上>(記者 藤田庄市氏)を入手しました。その中で言い得て妙な文があります。

「世俗の金銭問題、男女関係あるいは脅迫ならば責任追及は相手に向かう。ところが宗教の場で信仰が絡むや、責任を自分に向けてしまうのである。ここを見極めない限り、社会や裁判所は加害者に甘くなり、被害者に冷淡になってしまう誤りを犯すことになる。」


以下に沖縄キリスト福音センター(美浜教会)と北愛チャペルが取り上げられている全文を掲載します。

週刊仏教タイムス 「キリスト教会の『カルト化問題』

拡大はこちらから
by maranatha | 2010-12-11 21:44

桜田門外ノ変

 安政7年(1860)3月3日の雪の降る朝、大老・井伊直弼は水戸・薩摩の浪士によって、江戸城桜田門外で刺殺されました。原因は、大老による安政の大獄などの弾圧政策です。この弾圧によって、吉田松蔭が安政6年(1859)10月27日に斬刑に処せられています。処刑後、彼は小塚原回向院の墓地に葬られましたが、文久3年(1863)、高杉晋作らによって世田谷の若林に改葬されました。ここから谷を挟んだ西側の豪徳寺には井伊直弼の墓があります。高杉晋作らが、3年前に豪徳寺に葬られた井伊直弼を強く意識して、この地に墓を設けたことが窺い知れます。明治15年(1882)には松蔭の墓の横に松蔭門下生らによって松蔭神社が創建されました。
 
 日本の将来を思って闘った2人は当時の傑物です。政治的思惑で、明治から大戦までは吉田松蔭が持ち上げられ、大戦後は井伊直弼が持ち上げられました。しかし、今二人は谷一重で向かい合い安らかに眠っています。
 
 映画『桜田門外ノ変』が上映中です。これは一種の仇討ものです。毎年12月にTVで『忠臣蔵』がありますが、これも仇討ものです。仇討が12月に起きた歴史的大事件と結び付くことがあるかどうか調べたことがありますが、私が思いつくのは真珠湾攻撃です。これは日本海軍による奇襲です。原因は、アメリカが中国大陸の利権で対立していた日本に対して「ABCD包囲網」で経済封鎖したからです。大戦後、アメリカは何事につけて「リメンバー・パールハーバー」を持ち出しました。日本はそれに対して具体的な反論はしません。しかし、抽象的に反論するため「忠臣蔵」があるのだと私は思っています。
by maranatha | 2010-12-11 21:38

シュタイナーのキリスト論

 まず、シュタイナーがキリストについてどのように教えているかを取り上げてみます。

1 「ヨルダン川での洗礼においてキリストがイエスの中に入った。」(s90ページ)
2 「キリストはナザレのイエスのからだに、三年間受肉しました。」(k104ページ)
3 「ナザレのイエスの体に三年間留まったキリストは、高次のヒエラルキアの
  あらゆる存在たちの指導者でもあります。」(k105ページ)
4 「イエス・キリストは、6柱のエロヒムが30歳のイエスに物質的身体・エーテル体・
  アストラル体に3年間受肉した存在である。」(s94ページ)
5 「イエス 30歳のときにロゴス(6柱のエロヒム)を受肉した存在。」(s36ページ)
6 「エロヒム エル(神)の複数形。聖書の天地創造の神々。地球と太陽の分離後、
  太陽に住んだ6柱のエクスシアイのことで、イエスの中に受肉した。
  日光には6柱のエロヒムの愛の力が含まれており、6柱のエロヒム全体を『ロゴス』
  あるいは『プレロマ』と呼ぶ。」(s71ページ)


sとは、『神々との出会い シュタイナー・コレクション4』 ルドルフ・シュタイナー/高橋巌 筑摩書房 2003

kとは、『シュタイナー用語辞典』 西川隆範編訳 風涛社 2008

3の「高次のヒエラルキー」とは上級天使(セラフィム<愛の神霊> ケルビム<調和の神霊>トローネ<意志の神霊>)中級天使(キュリオテテス<叡智の神霊> デュナミス<動きの神霊> エクスシアイ<形態の神霊>)たちのこと

5の「6柱のエロヒム」とは惑星の動きを担う上級天使たちと惑星の生命と意志を担う中級天使たちのこと

6の「エクスシアイ」とはエロヒムとも呼ばれ、6柱は太陽におり、形態の神霊で惑星の外的な形姿の創造者


 シュタイナーは独特の用語を用いながら、持論を展開しています。キリスト論においてはイエスが30歳のときにキリストあるいはロゴスが受肉したとしています。キリストあるいはロゴスは6柱のエロヒムすなわち上級天使中級天使と言うわけですから、キリストと天使の明確な区別はありません。シュタイナーの神は父、子、聖霊、上級天使、中級天使の統一体です。そしてキリストは神の一部でエクスシアイの位階に属するエロヒム中の最高存在としていますが、エクスシアイは神の9階層の9番目であり、三位一体とはかけ離れた教えです。三位一体の「子」とシュタイナーのエクスシアイ(キリスト)は全く別物です。
by maranatha | 2010-12-08 07:08 | シュタイナー
宗教問題