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村上 密 Blog

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不正を告発すべき?

 キリスト新聞の「教会質問箱」に「不正を告発すべき?」(2011.2.5)が掲載されています。私はこの記事をある弁護士からいただきました。その後「キリスト新聞を読みましたか」と数人からこの記事を聞かれました。私はアモス書の注解書(『現代聖書注解ホセア書ーミカ書』(J.リンバーグ/有沢僚悦訳 日本基督教団出版局)の中に真実について、読んでいました。それでキリスト新聞のことを聞いた人にアモスことを伝えました。
 
 この本には「貧しい人々が訴えるために法廷に出掛けた場合、たとえ彼らが真実であったとしても、彼らの言葉は憎まれ、忌み嫌われたのである!」(p165)と書いてあります。キリスト新聞には「真実を言うことは、それを言われる側には有益であるが、それを言う者には不利である。彼は嫌われることになるからである」とパスカルの言葉が引用されてあります。そうか、アモスの時代もパスカルの時代も真実は嫌われたのか。今もそうだなと思っているとき、今度は友人の牧師から『ソクラテスの弁明』に関する文書を受け取りました。そこにはソクラテスも真実を語るがゆえに人々から嫌われたことが書かれてありました。

 これらのことはほんの10日間程の内に起きたことです。偶然というものを信じない生き方をしているので、真実を語る覚悟を教えられているように受けとめました。注解書には当時の裁判のことがよく書かれてあります。関心のある方は是非読んでください。

キリスト新聞「教会質問箱」に「不正を告発すべき?」(2011.2.5)

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by maranatha | 2011-02-18 12:35

裁判を受ける権利

 コリントの教会員が民事訴訟を提起しました。パウロはそれを教会の敗北だといっています。なぜ、敗北なのでしょうか。当時の裁判制度を調べてみました。

1、ローマ時代は階級社会で差別があった。
2、裁判はより身分の高い階級の人に有利である。
3、裁判では正義と公正が実現されていない。
4、富める者が貧しい者を訴訟にすることが多かった。
5、富める者は職業的弁士を雇っていた。
6、賄賂が判決を左右した。
7、貧しい者は訴訟を提起されたら不利である。

 階級社会では上流階級の人に裁判は有利に働くことは自明のことです。コリントの教会では富める者が貧しい者を疎外していました。また、教会は世間にもないような近親相姦を裁くこともできません。教会は問題を扱うことができず、世俗化とグノーシスの異端が入り込み、混乱していました。このような状況の中で、不正をしている信者が他の信者の財産を裁判で奪い取る(Ⅰコリント6:8)訴訟を提起しました。それで、被害信者は不正をしている信者を逆告訴しました。「なぜ、むしろ不正もの甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」(7)これは、だれに向けられた言葉でしょうか。パウロが被害者を叱責するわけがありません。また、加害者の味方をするわけがありません。神は公義と正義を求めておられます。パウロもそのことをよく知っています。ですから、パウロは、不正を正当化するための裁判を不公平な裁判に訴えることを「裁いてはいけない」と言っているのであって、裁判そのものを否定しているわけではありません。

 教会に問題が起きた時、教会(教団)内に公平に訴訟を取り扱える人がいるでしょうか。そういう人がいないのに世の裁判を見下すことは愚かなことです。私が取り扱った今までの教会(教団)にはしっかりした条文もなく、人間関係と利害関係で、不公平な判断を被害者に与えつづけています。信徒が牧師を訴えた場合、教会(教団)は牧師の言い分を取り上げます。保守的で上下関係で考える人は、立場の弱い人への配慮がないことに気づきさえしません。聖書をよく知らない、法律も知らない人ほど、世を見下します。主観的に自分を裁判官の地位に就け、「聖書的」を繰り返し唱えて、とんでもない判断をします。解決ではなく一層問題化させています。このような裁判官の下で、判断を仰ぐより、まだ世の裁判の方が相対的に公平です。現代の教会もコリントの教会のように、教会の中でしっかり裁くことができない状態です。裁判にする前に、被害者の回復をできない教会が、被害回復を求めて裁判を提起する人に、どうして裁判に訴えるのですかといって止めようとするのでしょうか。むしろ、教会(教団)にしっかり取り扱ってくださいと訴えるべきでしょう。被害者に忠告しても加害者に忠告する人が少ないのは残念なことです。
by maranatha | 2011-02-18 09:47 | 裁判

キリスト教会の「カルト化問題」

 週刊仏教タイムス(2011.2.10)第2431号に「キリスト教会の「カルト化問題」<下>」が掲載されています。記者は藤田庄一氏です。藤田氏は、沖縄キリスト福音センターの元信者と直接面談して、この記事を書いておられます。キリスト教系のメディアは「安心していける教会」といって宣伝しています。この記事を読んで、本当に安心して行ける教会かどうか判断してください。

週刊仏教タイムス(2011.2.10)第2431号「キリスト教会の「カルト化問題」<下>」

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by maranatha | 2011-02-17 16:20

宗教的奴隷化

 ヘルマン・ブロッホは『群集の心理』で「政治的奴隷化」「経済的奴隷化」「イデオロギー的奴隷化」「全体主義」について書いています。カルトの中で行われていることを思い浮かべながら読むと、重なるところがたくさんあります。それでカルトは「宗教的奴隷化」と思いたくなります。ひょっとすると自分はカルトに嵌っているのではと思う人は、ジョージ・オーウェルの『1984年』も読んでください。村上春樹の『1Q84』は『1984』をもじったものです。それほど有名な古典的未来小説が意外とカルト脱出に役立ちます。

 本の紹介
『群集の心理』ヘルマン・ブロッホ/訳入野田真右、小崎順、小岸昭 法政大学出版局
『1984』ジョージ・オーウェル/新庄哲夫 ハヤカワ文庫
by maranatha | 2011-02-07 08:19

読書

 私の趣味は読書です。中学生の時からそうです。図書館の本を随分読みました。高校の時は、学校の図書館をよく利用し、館長とも仲良くなりました。県立図書館もよく利用しました。図書館にない本は小遣いで購入し、古本屋に売ってはまた本を購入の繰り返しでした。母から度々注意されました。「密、あんまっ読むと目ばわるっすっと。」浪人中、神学生時代、伝道師・牧師になってからも読書は私の趣味です。忙しい毎日ですが、本を読まない日はありません。忙しいのにいったい何時読むのですかと質問される時があります。一番ゆっくりと読めるのは出張の時です。交通機関の中で、携帯を持ちませんから、だれからも声をかけられずに読み続けます。家ではそうはいきません。電話、来客、相談がよる遅くまで頻繁です。合間合間をぬって読みます。何を読むかと聞かれれば、キリスト教関連、歴史関連、法律関連、民俗学関連、国際情勢関連、社会問題関連、歴史小説等。自然科学が少ないですが観察関連は読みます。溢れかえっている本をどこに置くかが今後の課題です。読む時、何を目的に読むのか自問自答したことがあります。人が過去・現在・未来の問題にどう取り組んだか、突き詰めれば、自分が問題にどのように取り組むか、生き方を探しているように思います。私は読書から得た情報を実生活に役立てるために読んでいます。iPadを利用する時が来てもペーパーから離れることはないでしょう。
by maranatha | 2011-02-04 19:25

倫理規程

 団体にはその団体に相応しい倫理観を身につけた団体職員が必要です。人々はキリスト教の内情を知らないために、牧師は高い倫理観を持っていると思い込んでいます。実態は高い倫理観を持っている牧師からこれが牧師と疑われる人までいろいろです。

 キリスト教の牧師で名刺に「カウンセラー」と記載する人がいます。カウンセラーは国家資格ではないので、程度の差はあれ名乗れるからです。どのレベルかは相談者には分りません。「牧師」で「カウンセラー」は信用を高める肩書きです。相談者はどこで学びましたかとは聞きません。それをいいことに人に損害を与える人も出てきました。係争中の「牧師」竹内一雄は「カウンセラー」を名乗っています。しかし、「カウンセラー」としても疑わしいことが裁判で判明しました。よく知られた「社団法人日本産業カウンセラー協会 倫理綱領」を引用してみます。
 
(二重関係の回避)
第16条 産業カウンセラーは、専門家としての判断を損なう危険性あるいはクライエントの利益が損なわれる可能性を考慮し、クライエントとの間で、家族的、社交的、金銭的などの個人的関係およびビジネス的関係などの二重関係を避けるように努める。

2 産業カウンセラーはクライエントとの間で性的親密性を持たないよう努める。もしそのような可能性が生じた場合は、カウンセリングを中止するか、他のカウンセラーに依頼する。


 上記の二つに竹内は当て嵌ります。竹内は原告から多額のお金を借りながら返済しないので裁判に訴えられました。又、竹内は原告に対して、暴力的な性関係は否認していますが、性的親密性は認めています。いずれにしましても、もし竹内が協会に所属していたら何らかの処分は受けるはずです。しかし、彼が所属しているのは協会ではなく教会です。彼の教会には彼を裁く規則も信徒もいません。裁判に提出された原告側の陳述書には、竹内の倫理観が疑われる証言がありました。このような牧師が牧師でおられ、他教会から招かれたり、支援する牧師がいるという状態が異常です。全てのキリスト教会に実行性のある倫理規定が必要な時代になっています。
by maranatha | 2011-02-04 19:25

要注意

 『アエラ』や『週刊仏教タイムス』にも取り上げられた竹内一雄が、長野カウンセリングクラブで講師をしています。彼の名前が案内には出ていませんが、定期的な活動です。現在、竹内はカウンセリングの被害者から裁判を提起されています。新たな問題が起きないことを願いblogに以下の案内を掲載します。

「web週間長野」
長野カウンセリングクラブ「ぶどうの枝」参加者
12月22日(水)10・00~11・30、川中島公民会館。
心の癒し・人間関係の回復を望んでいる人を対象に、
臨床心理学のテキストに基づいて勉強。
問合せ/・・・・・・・


 詳しく知りたい方は検索して下さい。
アエラ 竹内一雄
週刊仏教タイムス 竹内一雄
by maranatha | 2011-02-04 15:43

『青い空 キリシタン類族伝 上下』

 『青い空』(文春文庫)の作者は海老沢泰久氏です。手元の文庫本は2009年1月10日に出版されました。昨年12月に買い求めて一気に読みました。この本でキリスト者として知っておかなければならない歴史(事実)を知ることができました。特に「キリシタン類族」という言葉は初耳でしたので、インターネットで調べて,歴史的資料も読みました。1687年6月に幕府は「一度キリシタンになったことがある者は転んだ者でも監視する方針に転換し、彼らとその係累をキリシタン類族として一般市民の戸籍である宗門人別帳から除き、キリシタン類族帳という別戸籍に入れることを命ずるキリシタン類族令を布告」しました。八条からなる悪法は1724年にはさらに改悪され、「その子孫を、直系の男子の場合は本人から五世代後、女子の場合でも三世代後まで監視すると定めた」とあります。幕府の許可がなければ葬儀も埋葬もできない「類族」への差別には胸が痛みました。この小説で禁教下のキリシタンの差別を身近に知り、信教の自由の大切さを教えられました。

 私たちは「信教の自由」と共に「裁判を受ける権利」も与えられています。「村上密blog」で取り上げました「宗教団体の倫理規程で団体職員の裁判提訴や信者に裁判を勧めることを禁ずる」は、この与えられた権利を奪う行為です。団体職員を萎縮させることが目的のであれば、団体は裁判を恐れていると疑われます。また、訴訟を解決の手段として放棄したことによって団体は将来に損害を受けます。さらに、規程は団体の人権意識の低さを世に晒し、団体の名誉を著しく低下させています。自浄作用により速やかな規程の撤廃を求めるものです。このような規程が他の宗教団体に波及していけば、宗教団体は世から非難を受けることになり、布教は妨げられます。
by maranatha | 2011-02-04 11:32

カイロスの会

 沖縄にキリスト教のカルト化被害の受け皿ができました。設立主旨に、自分たちの痛みの経験を通して、痛む人の支えになろうする思いが書かれてあります。今後の働きに期待します。

 無関心という名の暴力はなかなか気づきにくいものです。カルト化の被害者に対して苦しんでいても見て見ぬふりをする教会の冷淡さは一種の暴力で、二次被害を与える行為です。彼らの回復に手を伸ばさないで、長年放置していることは、カルト化教会の活動を支持していることと同じです。カルト化教会の資金力と動員力を当てに、超教派活動で何事もなかったかのように活動する「健全」といわれる教会は、被害者からすると同じ穴の狢です。益々成長し力を維持するカルト化教会にあやかり、同じ運営方法を取り入れる教会もあります。これは暴力の増殖です。神学校でカルト化教会の牧師が教授するに至っては、採用した神学校の良識を疑います。ましてや、神学校を運営する立場にある人物もいるとはあいた口が塞がりません。

 暴力への理解を得るために役立つ本を紹介します。
『暴力 6つの斜めからの省察』スラヴォイ・ジジェク/訳者中山徹 青土社
『暴力とゆるし』ジャン・ヴァニエ/訳者原田葉子 女子パウロ会
『神学と暴力 非暴力的愛の神学をめざして』小山晃佑/編訳森泉弘次・加山久夫 教文館
『攻撃と暴力 なぜ人は傷つけるのか』大渕憲一 丸善ライブラリー
『暴力と宗教-闘争か和解か、人間の選択-』ホアン・マシア オリエント宗教研究所
by maranatha | 2011-02-04 09:17 | カイロス
宗教問題