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村上 密 Blog

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盗み

盗み
 宗教トラブル相談センターには、時々盗みや詐欺の被害相談があります。全て解決できたら良いのですが、できないこともあります。そのような時、聖書を開きます。
「『盗んだ水は甘く、こっそり食べる食べ物はうまい。』と。
 しかしその人は、そこに死者の霊がいることを、
 彼女の客がよみの深みにいることを、しらない。」(箴言9:17、18)
「こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。」(サムエルⅡ15:6)

マインドコントロール
 盗みは、物だけと思われがちですが、心を盗むこともあります。それは、今日では、マインドコントロールと言い換えることもできるでしょう。被害者は、そのときは分かりません。分かったときは、やり場のない気持ちです。ですから、ダメージは心の方が大きいようです。このような被害者の心のケアを、随分長いことしてきました。

裁き
 盗みに対する裁きは、律法にあります。人が裁く場合と神が裁く場合があります。人の裁きは限界がありますが、神の裁きは間違うことがありません。正しい神の前に私たちは全て立ちます。クリスチャンの倫理観が形成されるのは、それを意識して生活するからです。しかし、教会のカルト化が指摘されるようになって、倫理観が崩れてきました。いま、クリスチャンの真価が問われています。
by maranatha | 2011-10-20 22:11

教会のカルト化問題

日本福音同盟が教会のカルト化に警鐘
 「カルト関連ニュース」Cult NewsのNo.61に「日本福音同盟、教会のカルト化問題に関する文書を発送」の記事があります。日本福音同盟が教会のカルト化に警鐘を鳴らしています。読者に目を通していただきたい記事です。

ウッド師の貢献
 2002年にウッド師が『教会がカルト化するとき』(いのちのことば社)を著された時、教会の反応は<宣教の妨げ><証しにならない>と冷たいものでした。このような頃を思い出すと、時代が変わったと思います。福音派の超教派の団体が「教会のカルト化」を認めたのです。カルト化教会の被害者は、自分たちの状況を知ってくれる人が現われたと歓迎しました。本は4刷そして改訂新版発行となっています。

見て見ぬふり
 2011年10月18日の京都新聞の朝刊に「路上ひん死女児、18人見て見ぬふり」の衝撃的なニュースが掲載されています。この記事は、カルト化に被害に会った人にとって、他人事ではありません。自分たちが路上に放置されたままの人だったのです。被害者が相談した教会の牧師は、被害者の声に耳を傾けないどころか、<赦しなさい>を語るだけでした。被害者の中には、<赦さないことは罪>と言われ、教会に失望落胆する人が多く出ました。神を信じている人に見捨てられたからです。鬱になった人もいます。被害者で自死された人もいます。教会のカルト化に対して、多くの教会の牧師と信徒が無関心を通したのです。

被害者支援者への非難
 教会のカルト化の被害者は、牧師の仲間からも非難されます。牧師仲間は被害者の声に耳を傾けないで、牧師(虐待牧師)の声に耳を傾けます。被害者は、霊的におかしな人、悪霊にやられている人といわれたり、散々ないわれ方です。そして、被害者を支援する人に対しても、攻撃ならぬ「口撃」を浴びせます。インターネットを見れば、その酷さに驚かれることでしょう。このような現実を見聞きしている牧師が、被害者支援に立ち上がることには、勇気が必要です。火の粉が飛んでくるところに飛び込むのは消防士です。「口撃」覚悟の消防士のような牧師は現われないでしょうか。
by maranatha | 2011-10-19 21:19

『罪意識の構造』

『罪意識の構造』の推薦
 宗教トラブル相談センターには、罪意識に捕らわれた人からの相談がよくあります。その中には、カルト化教会の中で植え付けられた「偽りの罪」に捕らわれている人がいます。そのような人に、『罪意識の構造 その実像と虚像の分析』(ポ―ル・トウルニエ/小林恵一訳 ヨルダン社)をお勧めします。

「偽りの罪」
 カルト化教会では、牧師の権威を強調し、牧師に従わないことは罪と教えられます。「牧師が間違っても、従うならば神が祝福してくださいます。」このような言葉を聞いたことはありませんか。神への服従は正しいことです。しかし、牧師が自分を神と等しくして、服従を要求することは間違いです。神の代理と強調する牧師に気をつけましょう。間違った牧師に従うことは罪ですが、抵抗することは罪ではありません。抵抗を不従順とか不信仰と断罪しますが、これこそが「偽りの罪」の植付けです。

「機能的罪意識」
 トウルニエは「機能的罪意識、それは社会的暗示の結果としてでてくるものであり、タブーに対する不安、他人の愛を失うことへの恐れの結果でてくるものである」(84ページ)と言っています。カルト化教会は、牧師に依存する信徒を育てているので、信者は見捨てられたら地獄へ行くのではとの恐れや不安を抱えています。家族や親族との関係が教会中心の生活で破壊されているので、教会での人間関係を断たれることを極端に恐れます。不安や恐れを抱いている人に、タブーや暗示は強く影響します。

解放
 カルト化教会は、キリスト教式でない葬儀への出席を、タブー(禁忌)として植え付けます。相談者は葬儀への対処の仕方を聞くと、葬儀に出席するようになります。親戚は交わりへの復帰を喜んでくれます。むしろ、墓の掃除を率先して行うことによって、家族や親戚の人が信仰を持つこともあります。カルト化教会は、親族関係を切ることによって、教会への取り込みを強化しています。それで、切られたものを回復することによって、「偽りの罪」から解放される人もいます。葬儀への出席は罪ではありません。クリスチャンは亡くなった方を神として葬儀で礼拝することはしません。葬儀はなくなった人とのお別れです。出席することで遺族を慰めることができます。
by maranatha | 2011-10-14 19:38

京都観光

 京都新聞の夕刊(10/12)に、「京都アジア人気1位米旅行雑誌投票」の見出しがありました。アッセンブリー京都教会は、京都駅から近いこともあり、外国の観光客の方がよく英語礼拝に出席されます。礼拝は約50名です。出席者の出身国は常時10ヶ国以上です。京大の留学生や研究者が多いのが特徴です。観光で来られた方が同国の方と出会うとにぎやかになります。以前はホテルから電話の問合せがありました。最近はPCで「English Service」を検索すると、アッセンブリー京都教会がトップページに出てくることもあり、電話はなくなりました。
 アッセンブリー京都教会には英会話教室があります。それで、生徒さんが親しくなった外国人の方を観光に案内されることもあります。伝統文化にちなむ用語を覚えなければならないのも京都ならではです。
by maranatha | 2011-10-14 08:00

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の危機 8

万民中央教会
 韓国のキリスト教の異端が日本のキリスト教会に影響を与えているとのニュースがキリスト教系メディアで警告されています。これは他人事ではありません。アッセンブリー教団に属する教会が万民中央教会の支教会一覧の中に、協力教会として紹介されています。牧師の顔写真付です。また、飯田万民教会とアッセンブリー教職名をキーワードとして検索すると、2008年に、茨城県にあるイエス・キリスト鉾田万民教会に牧師が足を運んだのが、交流の始まりのようです。牧師のいやしの体験記が万民ニュースに掲載され、飯田万民教会の「入学要項」には講師として掲載され、伝道集会では講師として招かれたり、活発な交流が伺われます。

危機
 なぜ、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の危機か、それは、この教会の主管者が教団の理事の一人であり、具体的な対策を立てないまま、放置してきたからです。3年以上の交流を知らなかったとは言えないはずです。また、この間に交流を止めることもできませんでした。これは監督責任が問われる内容です。

過去に学ばない
 教団を離脱した鳴尾キリスト福音教会の山田博牧師が、キリスト教の異端であるシュタイナーの教育を取り入れた幼稚園に招かれている写真が、かつてネット上に掲載されていました。ことことを指摘すると、写真はすぐに削除されました。しかし、今回は問題を指摘しても、ネット上から削除されていません。万民中央教会は異端です。理事会は、誤解を与えないためにも、すみやかに教会名と牧師名を削除を指導しなければならないはずです。もし放置すれば、鳴尾キリスト福音教会の離脱を防げなったことから、何ら学んでいないことになります。この時の主管者は教団の理事長でした。教団理事会は管理能力を疑われています。
by maranatha | 2011-10-10 09:49

繁栄の神学 3

 アッセンブリー教団の牧師なのに、繁栄の神学になぜ反対の意見を述べるのですかと質問を受けることがあります。アッセンブリー教団の教職は繁栄の神学の支持者だと思うのは偏見です。アメリカのアッセンブリー教団の中にも同じように反対する牧師がいます。『新約聖書の釈義』(教文館)で日本でも著名なG.D.フィーです。確かに繁栄の神学には部分的に聖句が使用されています。しかし、聖書の全体から、繁栄の神学に対しては賛成できません。北森嘉蔵『痛みの神学』を参考にしてください。ローザンヌでは以下のことが語られています。

苦しみの神学
 確固たる苦しみの神学の必要性です。貧しさやテロリズム、エイズ、危機に瀕する児童など、苦しみの現実を放置しない神学です。麻薬のように働いて現実感覚を麻痺させる繁栄の神学が猛威をふるっています。そこには十字架がありません。十字架の神学が求められています。
―ケープタウン2010(第3回ローザンヌ世界宣教会議)―
by maranatha | 2011-10-10 08:07 | 繁栄の神学

教会に行けない

 カルト化教会の被害者支援をはじめて、7年目を迎えました。被害者から「教会に行きたいので、健全な教会を教えてください。」と電話やメールがあります。残念ですが、このような質問には、注意点を申し上げてから、自分で捜してくださいと返事をしています。自分の属する教会も、教団も積極的に勧めません。被害者の自主性を育てるためには、自分で決めることが大切だからです。
 被害者から、恐くて教会に行けませんと聞くこともあります。教会が「恐いところ」になる程、深刻な被害を受けておられるわけです。被害者への傾聴で分かったことは、行く教会の牧師も虐待牧師だったらどうしようという思い、また、説教の中の聖句や用語も恐怖の原因だということです。例えば、権威、服従、不信仰、十一献金、奉仕等です。さらに、賛美する曲にも反応します。作詞作曲をした人が問題と思うときやカルト化教会の中でよく賛美された曲が礼拝で出てきたら嫌だと思うと行けません。勇気を出して礼拝に参加しても、賛美の途中でフラッシュバックを起こす人もいます。ある言葉やメロディーが引き金になるわけです。選曲した人に悪気があるわけではありませんが、どうしようもないのです。
 教会に行けない被害者をカウンセリングする時、場合によっては、お祈りも、聖書も開かないことがあります。「先生は牧師でしょう。お祈りしてくださらないのですか。」この場合はリクエストに応えて祈ります。何年もある人の前で祈らなかったこともあります。もちろん、隠れた祈りはしています。属していた教会の牧師が、誘導するような祈りをしていた場合、祈りも受け付けられないことがあります。「聖書を開きませんね。」開いてよい時がきたと思って、これから聖書使っていいですか聞く時もあります。カウンセラーのペースではなく、被害者のペースを知ることが大切です。カウンセリングは続いてこそ効果があります。
by maranatha | 2011-10-10 08:04

静かな年

 今年は、超教派の集会が少ない年です。牧師になってからの記憶では、30年間の中で一番少ない年です。カルト化教会を脱会した人との交わりの中で、このことを話題にすることがあります。幾つか、思いつくことを取り上げてみます。
 3月11日に東日本大震災がありました。始めは震災の影響、とくに放射性物質の影響で、集会が少ないのかと考えました。しかし、年間スケジュールは前年度に立てるわけですから、震災はあまり影響していないことになります。
 最近は、インターネット上で、カルト化教会の問題がよく取り上げられます。超教派の集会は、おかしなことですが参加者数の多さが「成功」や「祝福」の計りになっているので、問題の多いカルト化教会も参加教会に組み込むことがあります。ところが、そのような教会の不祥事が次々とネット上で明らかにされ、批判されるようになってきました。また、主催する立場の教会や牧師に問題があると、これもすぐ批判されます。それで、目立つ活動を自粛する傾向が出てきています。超教派の集会と言うと、以前はお祭り的な賑わいがあり、多くの参加者を集めていたことは事実です。しかし、招かれた講師の問題も明らかになり、自粛ムードにつながっています。教会の問題、牧師の問題、講師の問題等がインターネット上で取り上げられることが、静かな原因ではないでしょうか。今は知らなかったでは済まされません。例えば、ベニ-ヒンを講師で呼ぶことが出来るでしょうか。もし、講師として招聘するならば、その超教派の委員会は見識を疑われ、信用を失うでしょう。今は招く側の責任が問われる時代です。
 静かな年が続くことを願います。しかし、聖書は警告しています。「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれていくような時代になるからです。」(テモテⅡ4:3,4)今はまさにこのような時代です。「自分のつごう」「気ままな願い」は自分中心の生き方です。悔い改めて、神を求める生活に返りましょう。
by maranatha | 2011-10-10 07:53

繁栄の神学 2

 前回、2009年にローザンヌ世界宣教会議の神学作業部会のアフリカ部門が、繁栄の神学に対して懸念を表明しました、とお伝えしましたところ、随分多くの方がこの記事を読んでくださいました。それで、追加記事を書くことに致します。

偽預言者
 「繁栄の神学に対して懸念」と書きましたが、もっと強い表現が使われています。繁栄の神学の指導者は偽預言者という指摘です。なぜ、このような声明が出されるかといいますと、繁栄の神学の強調する「祝福」は、しばしば多く献金したら祝福されるという条件付だからからです。祝福は恵みです。恵みは神からの一方的なっものです。救いが信仰によって与えられるように、祝福も信仰によって与えられるのです。「多くの献金」という条件付は間違った教えです。これは福音の本質を歪めるような教えなので、繁栄の神学の指導者は偽預言者と強い表現をしているのです。御利益宗教と何も変わりません。

悪影響
 アフリカではキリスト教が急成長しています。しかも、多くの教会が繁栄の神学の影響をうけています。1994年のルワンダ虐殺を思い出してください。クリスチャン人口が90パーセントという中で人口の10パーセントから20パーセントが虐殺されたのです。教会はこれに対して無力でした。国内には繁栄の神学が浸透していました。歴史の中ではキリスト教徒が多い中で悲惨な事件が起きています。その背景には、福音がイデオロギー化していることが分かります。アパルトヘイト、ユダヤ人虐殺などもそうです。今日、キリスト教のカルト化が世界的に進行中です。そのような中で多くのクリスチャンが精神的虐待を受けています。多様性ではなく、画一性を求めがちな権威主義が、繁栄の神学の特徴だからです。
by maranatha | 2011-10-02 08:33 | 繁栄の神学
宗教問題