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村上 密 Blog

<   2011年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧

オウム真理教

 オウム事件を自分の中で風化させないため、麻生幾『極秘捜査 政府・警察・自衛隊の[対オウム事件ファイル]」(文春文庫)を購入して読みました。宗教が起こした最悪の事件、化学兵器による無差別テロは、裁判によって解明されませんでした。むしろ、精密に描くノンフェクションが私たちの記憶を風化させない力があります。
by maranatha | 2011-11-23 19:21

裁判

 2011年10月25日、釧路地方裁判所北見支部で開かれた、被告竹内一雄の「貸金返還等請求事件」を傍聴しました裁判は。宣誓「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず何事もつけ加えないことを誓います。」で始まりました。原告側弁護士が<2004年3月、竹内が礼拝の場で女性問題で過ちがあったことを認めて土下座して悔い改めたことがありましたね。>に対して、竹内は、<はい>と答えています。当日の原告側証人は、原告側弁護士の、<竹内さんとの性的関係があったことは事実ですか>に対して<はい><この性関係は〇〇さんから望んだものですか。><いいえ>と答えています。倫理観の低い牧師の実態が裁判で明らかにされました。これは氷山の一角です。
by maranatha | 2011-11-18 21:32 | 裁判

裁き

 裁きには聖と俗の二つの裁きがあります。2011年10月20日、「総会決議無効確認請求控訴事件」は原告が敗訴しました。鳴尾キリスト福音教会の山田博氏と晃美氏は教団処分を免れるために、2009年4月5日に臨時総会を開き、教団離脱を謀りました。原告の信徒は臨時総会手続きに瑕疵があったと主張し、決議の取り消しを求めましたが、却下されました。2011年11月15日のアッセンブリー教団の総会の席上、理事会は山田博氏と晃美氏に対して処分を明らかにしたいと発表しました。合法的に離脱をしましたが、教団の処分は免れることができないようです。聖と俗の裁きは対立しています。
 2009年5月30日、教会員を交えた会議の席上、役員の一人は涙ながらに、信徒に知らせず、教団離脱を謀ってきたことを告白しました。彼は良心の痛みを感じています。臨時総会では、晃美氏は涙ながら教団からいじめられていると信徒に訴えました。これは事実に反します。二人とも涙を流しましたが、同じ涙ではありません。神の前で流す涙こそ、神に喜ばれる涙です。
by maranatha | 2011-11-18 21:31

『警視庁情報官トリックスター』

 濱嘉之の第三弾 『警視庁情報官トリックスター』を読み終えました。宗教と警察の対決がテーマの作品です。世界平和教と代々木教に加え、代々木教から分離した原理主義的な日本研鑽教が新しく登場しています。また、ヤクザから牧師になった人物が登場するなど、宗教事情を知るものとして、興味深い内容となっています。オウム真理教以来、警察がカルトの動向に警戒をしていることがよく分かります。カルト問題に関心のある方に読んでいただきたい作品です。
by maranatha | 2011-11-16 22:19

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の危機 9

 教団の総会が11月15日から始ります。送られてきた総会資料には倫理規程見直しの議案は見当たりません。
 9月11日付けの総務局長から、教職各位へ送られた「倫理規程に関する補足説明」には、「第十二条、教師は、教団内における争いを解決する手段として、聖書的な原則に立ち、話し合いと和解、赦しの姿勢で問題解決に当たることとし、司法の場における解決方法を極力回避することを努め、また、訴訟の提起ないしこれに類する解決手法を勧め、助勢することをしてはならない。」に対して「a)十二条は、教師が当事者として裁判を提起することを禁じるものではありません。『極力回避することに努め』とありますように、最大限の努力を払うようにとの要請です。言うならば、この前段部分は禁止規程ではなく、努力義務規定と言えます。」第二章の禁止事項十二条に書くべき内容は、禁止規程であって努力義務規定ではないはずです。これは読む人に誤解を与えるだけです。「b)当事者でない教師が、人に「勧め、助勢」することを禁じています。教団内にもめ事が起こった場合、第三者である教師は話し合って和解するようにアドバイスするのが基本的な姿勢です。それは、教会内に於いて信徒同士が争っている時に、法廷の場に持ち込まないで、話し合いによって解決するように勧める牧師と同じです。十二条後段は、教師が訴訟の提起ないしこれに類する解決手法を他の人に慫慂(ショウヨウ)・助勢することを戒めた内容です。「煽り」(あおり)行為を禁じた内容と言えます。これらは聖書の指し示すところと思料されます。」補足説明は、第三者が裁判を勧めることを禁じたのではなく、煽り行為を禁じたと言っています。それでは第三者は裁判を勧めることができるようになります。勧めることはイコール煽りではないからです。倫理規程本文は禁止と受け取られ、補足説明は禁止でないと受け取られることは、倫理規程の表現不足です。そして、内容からすると前段部分と後段部分は条文を分けるべきです。なぜなら、前段は当事者であり、後段は第三者だからです。
 総務局長のa)b)の説明は、牧師の裁判を受ける権利と第三者が裁判を勧めることを禁じていないことになります。それならば、なぜ、昨年の総会で、<裁判したかったら教団を出て行け><裁判を勧めることは規定に違反する>等の発言に対して不適当発言と注意しなかったのでしょうか。総会後も理事の一部に同様の発言をする人がいた事実から、それぞれの理事が自分の見解を十二条に抱いていたことになります。理事会が十分な説明責任を果たせないのは当然です。このような状況では、総会議員が条文をよく理解しないのは当たり前です。そして、総会議員は倫理規程に賛成票を投じたのです。理事会の見解の変化は、憲法上保障された裁判を受ける権利を教団は侵害しているという私の主張に対して弁明をしなければならなかったからです。そのため補足説明を書くのに10ヶ月かかりました。「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない。」(憲法三二条)のですから、第三者によって裁判を勧めることも禁じられるわけがありません。
 以上のことから、総務局長の「倫理規程に関する補足説明」がなければ、誤解されるような十二条は倫理規定から削除すべきです。なぜなら、禁止規定になっていないからです。今度の総会で、議員提案で削除が提案されることを希望します。
 さて、私は昨年から理事会に対して倫理規程に関する議事録の閲覧請求してきました。どのような過程で理事会が稚拙な倫理規程を作成し承認に至ったかを知るためです。約1年経って、理事会から拒否の文書が届きました。総務局長の「倫理規程に関する補足説明」で対応しているという見解です。これでは閲覧請求の成立過程を知ることができません。理事会が閲覧請求に応じないならば、閲覧請求のために裁判を検討するしかありません。1年間もかけた回答が拒否では、誠実さもなければ、和解とか赦しの精神で対応したとも思われません。全くの譲歩もなく、完全な拒否で、理事会が時間稼ぎをしただけです。裁判を準備して始めれば、判決が出るのは、理事会の改選された後となり、現理事会の責任逃れです。宗教法人法に基づく閲覧請求は裁判では認められます。理事会はこの裁判にかかる無駄な費用を教団経費から出すことになります。閲覧拒否は、個人に対して時間と経費を使わせ、諦めるように仕向ける対策です。これは姑息な手段です。裁判までしなくても閲覧請求に応じることはできるはずです。それは監事が宗教法人に基づく請求は正当であるから、負けるような裁判に教団の費用を使わないように指導した事例です。このとき理事会は監事の指導を受け入れました。私が当事者として裁判を提起しても、倫理規程で私を禁じることはできません。宗教法人法に基づき、規程に違反しないで請求するからです。教職に関する大切な倫理規程を定めるのに、理事会は総会前に全教職に説明責任を果たしませんでした。総会直前に議案を出し、十分な審議する時間も取らないで、決議に持って行く方法は民主的ではありません。これは、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の危機です。
by maranatha | 2011-11-09 21:38

建築家レーモンドはスパイ!

 秋尾沙戸子の『ワシントンハイツGHQが東京に刻んだ戦後』(新潮社)を読んで、ショックを受けました。建築家レーモンドがスパイだったからです。それも、米軍による東京空襲に貢献した建築家ということで二重のショックです。レーモンドは、建築家フランク・ロイド・ライトの弟子として、帝国ホテルの設計に関わっています。日本で多くの建築を手掛けた有名な人物です。私は建築が好きで、ライトやレイモンドのファンです。彼の日本への功罪を思うと複雑な気分です。このような気分は松下幸之助の死亡ニュースの時もありました。経営の神様と崇められた彼の私生活が新聞で明らかになり、その時失望しました。日本への貢献と家族への裏切り行為は、尊敬していただけにショックでした。
 話は変わりますが、私はクリスチャンから尊敬されている牧師の問題を扱っています。尊敬が軽蔑に変わる時、その牧師に関わったクリスチャンは大きな失望と喪失感に襲われます。被害者になった人で鬱になる人もいます。牧師を特別視しないことです。牧師もクリスチャンも赦された罪人です。罪を犯さない人ではありません。想定の中に織り込んでいないとショックが大きくなります。金銭の被害より、性的被害が深刻なのは言うまでもありません。ショックを受けないために友人が被害者でも「私は信じません。牧師がそんなことをするはずはありません」と言い張る人もいます。証人と証拠があっても、客観的判断でなく、主観的判断で済ませるのです。これは盲信で信仰でも信頼でもありません。信仰生活にも客観的判断が必要です。この6年間で、どれだけの著名な牧師たちの問題が発覚したことでしょう。彼らの功は功、罪は罪と区別できません。罪によって功が消し飛んでいます。有名であれば有るだけ、深刻な影響を教会にも世間にも与えてしまうからです。起訴された牧師が裁判で勝つことがあります。勝ったから無罪というわけではありません。不起訴すなわち証拠不十分で罪を証明できなかっただけです。民事でも同じようなことがあります。複雑な気分はレーモンドや松下幸之助だけで終ることなく、今も続きます。
by maranatha | 2011-11-03 07:43

苦い根

 最近、相談者から「苦い根」をよく聞くようになりました。へブル人への手紙に「苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように」と書いてあります。このことばは、聖書の中に一箇所だけです。どうして、一箇所なのに頻繁にクリスチャンが使うのでしょう。一節から教理はできません。ましてや、重要な教えもできないはずです。それなのにどうして使用頻度が高いのでしょう。バランスの面から言えば、控えるべきです。「苦い根」の中に、聖書が伝える以上の意味を加えていないでしょうか。
 「断ち切りの祈り」も最近相談者から聞きます。聖書にそのような祈りの勧めがあるわけではありません。このような祈りをする人は、ありとあらゆることを宣言して「断ち切る」と祈ります。このように祈っている人の中には、イエス・キリストがすでに十字架で赦してくださったものまで、まだ赦されてないかのごとくに祈っています。例えば、先祖の因縁を断ち切るという祈りです。自分の祈りで切れるものなら、十字架はいりません。これはすでにキリストが十字架で赦してくださったものです。私がこのような断ち切りの祈りを心配するのは、十字架の罪の赦しの一回性、完全性、永遠性が部分的に否定されているように感じるからです。罪は悔い改めによって赦されます。それが聖書の教えです。しかし、罪との決別が「赦してください」という悔い改めから「○○を断ち切ります。」に変更されています。何度かこのような祈りを聞いたことがありますが、勇ましく、何度も宣言して、祈りの昂揚感に浸っているように見えます。私にはこのような祈りをすることができません。キリスト教の祈りに思えないからです。
by maranatha | 2011-11-03 07:39

エホバの証人の矛盾

 最近、ある人がこんな話をしました。「エホバの証人は、人間の霊魂は、肉体の死と共に消滅すると言っていますが、エホバの証人の冊子には死後の挿絵がたくさん描いてあります。消滅だったらなにも描けないと思います。」こんな話初めて聞きました。矛盾しますね。
そういえば、エホバの証人はキリストは十字架ではなく杭につけられたと主張しています。挿絵も杭にかけられたキリストの絵です。そして、十字架を嫌います。ところが、エホバの証人のべテル指導者たちの共同墓地には、ピラミッドの形をした記念碑に十字架が刻まれています。ピラミッドは異教のシンボルです。なぜ、嫌っているものを使うのでしょうか。矛盾しています。
by maranatha | 2011-11-03 07:38 | エホバの証人

ノブレス・オブリ-ジュ

 ノブレス・オブリ-ジュとは、身分の高いものはそれに応じた社会的責任を果たす義務があるという道徳観です。私はこのことばを私なりに果たすために、すなわちカルト問題を良く知る者として、ブログで啓発活動をしています。それだけでなく、問題のあるところに足を運び、被害者の支援をしています。私を支えるのは次の聖書のことばです。「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。」(ヨハネⅠ 3:17)
by maranatha | 2011-11-03 07:37

完売

 『聖書 原文校訂による口語訳』(フランシスコ会聖書研究所訳註)が完売したと、昨日キリスト教書店で知りました。幸い私は初版2刷を購入しました。2011年8月15日に初版発行、11月1日に初版2刷とは、キリスト教の本としては異例です。関心の高さを示しています。フランシスコ会の『新約聖書』は比較のためよく使ってきました。この度旧約が読めることをうれしく思います。この『聖書』を買い求めたい方は、早く書店に駆け込めば、ひょっとしたら手に入れることができるかもしてません。
by maranatha | 2011-11-03 07:36
宗教問題